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不定期コラム:Engineerを考える(4)
現場を離れ、交友関係を広めよう


加山恵美
2003/7/31

決死のオフ会デビュー

 私のネットおよびオフ会デビューは早い。ネットデビューの1カ月後には「初オフ」に参加していた。といっても、初オフに至るまでは清水の舞台から飛び降りるような決死の覚悟の連続だった。

 ネットデビューのきっかけは職場だった。上司が取引先の人たちとの連絡用にパソコン通信のIDを交換し合っていた。私には頭上で飛び交う8文字の英数字は呪文のようにしか聞こえなかったが、その最先端さにあこがれ、その輪に入ろうとした。会議後に社外指南役(注1)の人からこっそりパソコン通信に接続する方法を教わった。「モデムは輸入物がいいですよ。“スポスタ”の“ニパッパ”なんていいんじゃないですかね」と推奨されたものの、またしても耳慣れない略語の連続に目を丸くするだけだった。

注1 指南役:社内にネットワークのノウハウを持つ人材がいなかったため、上司がネットベンダのエンジニアを1人、自由に質問できる相手として契約してくれていたのだ。その人物から私はネットワークから「ノーツ」の知識まで幅広く指導を受けた。

 パソコン通信への接続は業務外なので、1人で秋葉原まで冒険することとなった。私にとっては当時の“秋葉原”は異境の地だった。試行錯誤の末、Windows 3.1の「ターミナル」からIDを取得してパソコン通信を始めることができた。その後も顔文字のオンパレードに圧倒されたり、オンライン上で道に迷う始末だった。禁じ手だが見ず知らずの相手に直接質問メールを出すことまでした。

 そんな迷惑な厚かましい初心者にもネットの常連は親切に接してくれた。当時のネット人口男女比(注2)に助けられたのかもしれない。質問相手は「女性から直接メールが来るとは」と驚いていた。たまたま紛れ込んだフォーラムでは、オフ会の話題が持ち上がり始めたばかりだった。当初はオフ会の意味も分からなかったが、親切にしてもらった人たちに会ってみたいと思った。しかし、見ず知らずの集団に1人で飛び込むのもまた恐怖だった。同僚からは「いやだ、危ないわよ。無事に帰ってくるのよ」とまでいわれ、私の頭には危険な妄想が広がった。

注2 ネット人口男女比:1995年当時、ニフティサーブ(現@nifty)の会員数が100万人を超えたころ、1995年12月末現在のニフティサーブ会員全体の男女構成比は、男性85%、女性15%だった。ちなみに私が加入したのは1995年4月のこと。

会ってみれば親切で楽しい人たち

 そんな決死の覚悟で出かけたオフ会だが、すっかり肩すかしを食らった。集合場所に集まったのは普通の人間たちだった。当たり前である。

 唯一違うのは、パソコンにとても詳しいということだった。私が参加したオフ会は久しぶりの開催ともあって、大半が初対面だった。それにもかかわらず話は弾んだ。特にどうやってパソコンを拡張するかを皆熱心に話していた。ちなみに私が紛れ込んだのは富士通のパソコンに関する情報交換の場だった。当時私が会社から与えられたノートパソコンが富士通製だったから、というだけの理由だった。

 もう1つ補足しておくと、この当時の私は交友関係に飢えていた。学生時代の友人たちと離れ、一人暮らしも再開して孤独だったからだ。大学が地方にあったので、親しい友人の多くは実家に戻るかその地元に残り、東京勤務はまれだったためだ。さらに、卒業後に埼玉の実家に戻ったのだが、4年も1人暮らしを経験すると親との同居は息苦しく、逃げるように家を出たのだった。不慣れな社会人生活も加わり、孤独で不安を多く抱えた生活をしていた。

 そんな私の孤独と不安をパソコン通信で出会った友人たちは吹き飛ばしてくれた。多様なオフ会に参加するようになった。オフ会では居酒屋でチャットを始めたり、最新鋭のPDAを自慢しあったり、ハンドル名で呼び合うなど特異な雰囲気もあったが、楽しい時間を過ごした。非常に高度な技術的な話をする傍ら、カラオケで羽目を外すほど熱唱する人もいて、そのギャップに驚いたりもした。ネット弁慶(ネットでは威勢がよいが実生活は小心者)もいたし、その逆もいた。とにかく多様な人間がいた。

 多くのネット人との交流から、私はオンラインでアクティブな人に悪い人はあまりいないことを発見した。アクティブな人というのはよく発言する人のことだ。不特定多数の観衆がいる場で、見ず知らずの相手に救いの手を差し伸べたり、臆することなく議論に加わる人たちだ。こういう言動からしても信頼できる人が多いのは当然かもしれない。ただそれは潔さというよりは、向こう見ずな場合もある。ただ、発言の内容を読めばおおよそ違いが分かるようになった。

公私ともに支えてくれる友人

 私はネットから多くを学んだ。特に業務のグループウェア関係ではちょっとした物知りになれた。任務以上にIT技術を楽しむ人たちに囲まれ、携帯や新しいソフトなど新技術の変遷を友人たちと体感し、評価し合ったりもした。特技も増えた。チャットすることでタイピング速度が上がったり、文面から人物像を推測したり、初対面の人を待ち合わせ場所で探し当てるのも得意になった。

 いろんなイベントやトラブルもあった。仕事関係だけではなく、時には互いのプライベートな相談もした。振り返ると交友関係を深めるだけではなく、自己の成長にも好影響をもたらしたと思う。特に社会的な成熟というのは1人では難しい。他人との多様な接触を経験して得られることも多いと実感している。

 多くの転職や職場の変遷も見た。IT業界では転職は珍しくない。名刺入れを見れば同一人物の数社の名刺が並ぶ人もいる。そういう友人の中には交友関係を利用して転職したり、共同で開業した人もいる。確実に信頼のおける人物をビジネス相手に選ぶことは重要なことだ。私も特にエンジニアからライターへの転職にはネットの影響があった。

よい交友関係を持つ

 幸いなことに、オフ会で出会った友人たちは”優しいオタクたち”だった。かつ、彼らは私の不安と多感な20代後半を共に過ごした宝物のような存在でもある。そんな実体験からも私は多くの人にネットでも交友関係を広めてほしいと思う。特に若いうちがいい。相手は同業でも同業でなくても構わないが、同業であれば仕事の視野が広がる。例えば、開発を委託する会社と受注する会社、ソフトウェアのベンダ企業とユーザー企業、前衛的な企業と伝統的な企業、立場の違いによる考え方の違いに気付くこともあるだろう。同僚の間では絶対に気付かない視点や意見もあるかもしれない。

 よい交友関係を築いて人生の糧にしてほしい。そのきっかけとしてオフ会を提案する。ただ、今は昔より敷居は低いが、それでも初対面の人と会うのは勇気がいるのも確かである。またオフ会に出れば必ずいい人に会えるという保証はない。だが、まずはいろんな人と会ってみることだ。もし機会があれば勇気を出して、オフ会を企画したり、参加してみてはいかがだろうか。

筆者紹介
加山恵美(かやまえみ) ●茨城大学理学部化学科卒業。金融機関システム子会社とIT系ベンダにてシステムエンジニアを経験し、グループウェア構築や保守などに携わる。そのかたわらで解説書を執筆していたが、それが本業と化す。技術資料を提供することで、日夜システムと格闘しているエンジニアをサポートできればと願う。幼少からバレエを始め、現在コンテンポラリーダンスを習っているが、いまだに身体が硬いのが悩みとか。双子座A型。

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