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IT業界の開拓者たち

第14回 ウィンドウズ 2000の開発責任者

脇英世
2009/2/23

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 話は1990年の5月までさかのぼる。当時マイクロソフトはウィンドウズ 3.0を発表し、翌年の1991年4月にはウィンドウズ 3.1をリリースした。これらのOSは、大成功を収めた。その一方で、IBMとの仲は悪化の一途をたどり、1990年9月になると、IBMはOS/2 1.3とOS/2 2.0の開発に専念し、マイクロソフトはウィンドウズの開発とRISC版OS/2 3.0の開発に専念することとなった。この時点でマイクロソフトは実質上サーバ用OSを失ってしまった。1991年7月、IBMとアップルの提携が発表され、IBMとマイクロソフトは完全に決別することになった。

 マイクロソフトは、OS/2に相当するサーバ用OSを持たなくてはならなかった。こうして1993年には、ようやくウィンドウズ NT 3.1を出荷することとなった。この時期のことを、ジム・オールチンは次のように語っている。

「われわれが最初に行ったことは、頑丈な基盤を作ることでした。われわれは1993年にマイクロカーネルで、それを行いました」

 1994年には、ウィンドウズ 3.1の16ビットアプリケーションとの相互稼働性を高めたウィンドウズ NT 3.5がリリースされたが、このバージョンはそれほど高い評判を獲得できなかった。ある程度の評価が得られるようになったのは、1995年のウィンドウズ NT 3.51からである。

 1996年になり、マイクロソフトはウィンドウズ NT 4.0を発売した。ウィンドウズ NT 4.0では、GUIが変更された。ウィンドウズ 95のGUIに合致させたのである。また、Webとも統合した。

 一息ついたマイクロソフトは次期OSの模索を始めた。カイロはオブジェクト指向OSとして位置付けられていたが、このコンセプト自身があいまいであった。そこで分散処理型OSへの接近を始めた。ビル・ゲイツは慎重に言葉を選んで、ストレージと自動検索、ディレクトリ構造についてしか言及していないのだから、オブジェクト指向性の強いX.500というディレクトリサービスへ接近することは約束違反ではない。カイロは分散処理型OSへと転向したのである。ジム・オールチンによると、分散コンピューティングが約束するものは、境界のない組織というビジョンであるという。

 1997年、信じられないような方針変更が行われた。ウィンドウズ NT 5.0つまりカイロは、一転してTCO(Total Cost of Ownership)の軽減を目指すことになったのである。どうしてこのようなことになったのだろうか。

 1年前の1996年1月、オラクルのラリー・エリソンが500ドルコンピュータの概念を提唱した。1996年5月、アップル、IBM、ネットスケープ、オラクル、サンを中心とするグループは500ドルコンピュータのコンセプトをNC(ネットワーク・コンピュータ)としてまとめた。

 マイクロソフトとインテルは、1996年10月になると、これに対抗してNetPCイニシアチブを発表した。NetPCは分散環境での管理コストと複雑さの軽減を目標とし、これをTCOの軽減と呼んだ。

 NetPCイニシアチブはマイクロソフトのZAイニシアチブとインテルのWFMイニシアチブを合わせて作られた。

 当時の事情について、ジム・オールチンは次のように語っている。

「デスクトップについて、お客さまからはTCOの削減が要求されました。それまで、われわれはTCOには焦点を当てていませんでした。お客さまはTCOに焦点を当てるべきであると主張しました。そこでわれわれは、TCOを削減するための機能に焦点を当て始めたのです」

 TCOの軽減とはつまり、システム管理の適切さを意味する。1997年7月、マイクロソフトは「TCOというより、管理可能性の方が重要だ」といいきった。結局、カイロは管理可能性を強調するOSになったのである。

 ジム・オールチンは当時、次のように語った。

「われわれはマネージャビリティ強化に熱心です。われわれはウィンドウズ NT 5.0でTCOを50%減少できると考えています」

 1997年9月24日、カリフォルニア州サンディエゴで開催された米マイクロソフトのプロフェッショナル・デベロッパーズ・カンファレンスの席で、ジム・オールチンは思い切った発言をした。

「ウィンドウズ NT 5.0は非常に戦略的です。ウィンドウズ NT 4.0と比較して、すべてにおいて進歩しているからです。販売規模は大きく、マイクロソフトがリリースしてきた製品中、最も広い範囲で販売されます。ウィンドウズ NT 5.0が戦略的である第2の理由は、マイクロソフトがそれに社運を賭けようとしていることにあります」

 このコメントは市場に衝撃を与え、各媒体に大きく取り上げられた。さらに、ジム・オールチンは、こう続けている。

「問題は、ウィンドウズ NT 5.0におけるわれわれの焦点が何かということであり、なぜそれが重要かということです。答えはかなり簡単です。まず、それはウィンドウズ 98のスーパーセットであるということです。つまり、多数派のプラットフォームとなり得るということなのです……」

 1998年6月25日、ウィンドウズ 98が発売された。同年10月、ウィンドウズ NT 5.0という名称は、ウィンドウズ 2000へと改められ、2000年2月17日に出荷された。

 ジム・オールチンはブラッド・シルバーバーグとの権力争いで力を使い尽くしてしまったように見える。1997年の全権掌握後は特に強い指導力を発揮することもなかった。最近は特に精彩を欠いているように思われる。家族へのサービスとサバーティカル休暇を取ったということから「あるいは」とも思わせる。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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