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ここでも生きる! エンジニア経験

第4回 サンゴ礁再生に闘志を燃やす元ITエンジニア

岩崎史絵
2008/11/12

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エンジニア経験は、ほかの業界でも役立つのか。エンジニア経験者に聞いた。その結果は?

エンジニアから環境問題の活動家に転身

 与論島のサンゴ礁が、1998年の世界的な海水温上昇により、瀕死の重傷を負っている。――この問題の解決に取り組んでいるのが、NPO法人 与論情報化グループ e-○k(イー・マルケー)副理事長の植田佳樹氏だ。e-○kは、与論島の情報化推進を目指し、2001年から活動を始めているNPO法人(2004年にNPO法人化)。2001年から、島内のインターネット網整備に尽力し、2007年からは植田氏が中心となってサンゴ礁再生プロジェクトを始動している。

与論島の風景

 e-○kというユニークな名称は、同NPO設立当初からかかわっている島内の電器屋の人が「エレクトロニクス(electronics)、OK(オーケー)」ということで付けた。文字を英文字の「O(オー)」とせず、「○(まる)」にしたのは、島内に流れている“結”(ゆい:村や町などの集落において、相互扶助の精神で共同生活を推進する文化)をイメージしたからだ。

 植田氏は、大学生のころから、趣味でダイビングのインストラクターをやっていた。社会人になって与論島に旅行したときに転機が訪れた。「行き交う人々が明るくあいさつをし合い、困ったことがあれば互いに助け合っている」島民たちの生活習慣に感銘を受けたのだった。「こういう地域が、過疎化などの問題に悩むことなく、自立した形で残っていくといい、そしてその試みが成功するといい」と思ったのだった。そして、ネットワークエンジニアだった経験を生かし、与論島の自立・発展に貢献するため、島への移住を決意した。

ダイビングと地方の豊かさに心を奪われる

 少し急ぎ足でe-○kと植田氏を紹介してきたので、以降は植田氏のキャリアを交えながら、現在携わっている環境問題への取り組みとITとのかかわりを述べていこう。

NPO法人 与論情報化グループ e-○k(イー・マルケー)副理事長の植田佳樹氏

 植田氏は、広島大学工学部システム工学科の出身。在学中から、ダイビングのインストラクターを通じて絶えず海と触れ合ってきたそうだ。

 システム工学を専攻するも、「実はあまりITが好きではありませんでした」という植田氏は、大学卒業後、大手の流通小売業に就職する。就職後、一時だが九州(福岡)に赴任したところ、「大人も子どももみんなが明るくあいさつを交わし、助け合うその町の文化」に感動したそうだ。「大人と子どもがみんな顔見知りで、とても生き生きとしているんです。もし、子どもが何か悪いことをすれば周囲の大人がちゃんといさめるし、子どもはそれを素直に聞く。困ったことがあれば、ボランティアの精神で助け合う。つくづく、地方の豊かさを感じました」

 そんな豊かな地方でも、人口減少による過疎化は深刻だ。もともと植田氏が、大学卒業後に流通業に就職したのは、「世の中の仕組みを総合的に理解したい」という思いがあったからだ。モノや情報、仕事(カネ)は、どうしても首都圏に集中する。若い世代を中心に、人もこの“流れ”に乗って、大都市部に流出してしまうのは、当時は避けようがなかった。

 赴任期間が終わり、東京に戻った後も、「地方が自立性を持つためには、どうすればいいのか」と考えることが多かった。趣味のダイビングで、離島に行く機会が多かったので、そうした疑問を感じることもたびたびだった。

インターネットで、地方の活性化に貢献したい

 転機が訪れたのは、1999〜2000年にかけてのこと。まず、1999年に与論島に行き、世界でも有数といわれるサンゴ礁の美しさ、そしてかつて九州赴任時代に感じた島内にある“結”の文化に圧倒された。都会には、確かにモノも情報も仕事もあふれている。しかし与論島には、「東京の人たちが忘れてしまった大らかさ、地域の一体感が残されている」と感じたという。「こうした良さを損なわず、地方の自立性を活性化する手段はないか」と強く思ったそうだ。

 2000年前後は、ちょうどITバブルといわれた時代で、インターネットを使った新しいビジネスやIT産業が活発化したころだ。かつてシステム工学を学んだ植田氏も、「これは何か面白いことができそうだ」という期待に胸を躍らせた。「地方も大都市圏に負けないインフラを構築する手段として、インターネットの可能性に魅了されていました」。これを機に、植田氏は、最大手のインターネットプロバイダへ転職を果たす。技術営業として、「コアなネットワーク技術者とともに、ネットワーク構築プロジェクトを切り盛りし、その技術的なポイントや、どういう部分に困難があるのか」ということを体得していった。

 この2000年には、与論島町内でも「情報化推進」という町の振興計画が立ち上がっている。植田氏は、勤務先のプロバイダで得た知識や経験を基に、休日には与論島を訪ね、この振興計画を自分ができる範囲で支援した。

 だが、「東京と与論島を往復している限り、できることの範囲が限られてしまいます。インターネット時代の到来という流れに乗り、これまで温めてきた『地方の活性化』というテーマにもっと深くかかわるには、移住した方がいいのではないかと思いました」ということで、移住を決意。2001年には、勤務先を退職し、与論島へ移住した。

 まず着手したのは、島内へのADSLの導入だ。NTTに問い合わせると、「200軒以上の希望があれば可能」ということで、植田氏を中心として任意団体を立ち上げ、島民へのアンケートを開始。この任意団体が、後のe-○kだ。

 「アンケートの結果、300〜400軒の希望者が集まったのでNTTと交渉し、島内へADSLを引きました」。これが奄美諸島のほかの島へも波及した。「最南端の与論でできて、なぜこの島でできないのか」と、奄美諸島全域にADSLが引かれることに。さらに本土の鹿児島県でも、「奄美諸島でできたことを、本土でもやろう」とインターネット網が敷かれた。鹿児島県はブロードバンドの普及率が非常に高い。「わたしたちの活動が鹿児島でのインターネット導入の引き金となったことを、非常にうれしく思っています」

自然環境整備も、離島の発展に必要なこと

 インフラができたことで、島内には徐々に変化が表れた。例えば、(ネットワーク環境が整ってきたことで)企業や個人技術者などの誘致が容易になった。リタイアした団塊世代の移住も増え、徐々にだが島内の人口が増えていった。

 インフラの導入段階を経て、次に着手したのは、島からの情報発信の整備や情報産業の育成だ。島民への情報化教育も継続して行う必要がある。こうした活動を考えた結果、「NPO法人化すれば、助成金が得られ、活動資金に当てられるのではないか」という結論に至り、2004年にNPO法人を申請。ちなみにこれも、島内でほかのNPO法人を設立するトリガーとなったという。

 e-○kが運営する「与論情報サイト」は、単なる観光情報だけでなく、島の環境紹介からイベント、生活に至るまで幅広い情報が詰まっているサイトだ。こうした島内情報を収集し、自らもダイバーとして海の環境を楽しむうち、植田氏は、ちまたで騒がれている「サンゴ礁危機」が、与論島にも押し寄せていることを痛感したという。「牛のふん尿が原因なのでは」「工事のせいなのでは」「いやいや、やはり温暖化の影響だ」など、いろいろな仮説が議論されたが、真の原因を究明することは難しかった。何より、サンゴが死に絶え、島の財産ともいえる風光明媚な環境が失われてゆく状況をどうにかしたい――。「e-○kの活動が、ややインフラ整備に偏った傾向にあるので、今度は環境の観点から島の発展を支援する方向に持っていけないものか、と考えました」と植田氏は語る。

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