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わたしのターニングポイント

第2回 研究の世界は閉鎖的。人に使われるものを作りたい

加山恵美
2008/3/19

今後のキャリアを模索中の、すべてのITエンジニアへ。この連載では各回に1人の人物が登場し、これまでのキャリアを積むに当たって心掛けてきた戦略、ターニングポイントになった出来事を語る。

 今回ターニングポイントを語ってくれたのは、サイボウズ 開発本部 プロダクト開発グループに所属する、理学博士の丹羽純平氏。丹羽氏のこれまでの最大のターニングポイントは、同じIT分野とはいえ研究者から開発者へキャリアチェンジをしたことでしょう。

 学術機関で理論を扱ったり、論文を作成したりする日々から、企業でパッケージ開発をする日々へ。大きく方向を変えた丹羽氏のターニングポイントを見てみましょう。

現在はグループウェアの機能を開発する日々

 丹羽氏が、現在所属するサイボウズへ入社したのは2006年。研究開発グループに配属され、秋ごろからサイボウズ製品へのリモートアクセスを提供するツール「サイボウズ リモートサービス」の開発にかかわりました。続いて2007年春から現在に至るまで、「サイボウズ ガルーン」の次期バージョンに搭載される全文検索システムの開発に携わっています。

 次期バージョンの全文検索システムでは添付ファイルの中身も検索対象とすることができるのが特徴です。さらに全文検索といっても、サイボウズのようなグループウェアではアクセス権を考慮して結果を出さなくてはなりません。想定するユーザー数も大きく増え、従来は3000ユーザーが上限のところ、次期バージョンでは1万ユーザーまで利用可能としています。

 いまではすっかり開発者として日々を送っている丹羽氏ですが、サイボウズ入社前までは研究者でした。そのせいか丹羽氏は自身のことを「私は普通のエンジニアとは少し毛色が違うんですよね……」と話します。

情報科学を専攻し、研究へと進む

 丹羽氏がITの世界に足を踏み入れたのは学生時代のこと。将来性を考え、情報科学を専攻したのがきっかけでした。

 理学部に入学した丹羽氏は、2年生からの専攻を決めるに当たり、物理、航空、情報科学の3つのうちどれを選ぶか迷ったそうです。物理は「ノーベル賞を取れば別ですが」と苦笑いするように、なかなか険しい道だということが分かっていました。「アカデミーから離れられなくなるから」というのも、選ばなかった理由の1つかもしれません。航空は「おそらく、食いっぱぐれることはないと思いました」と、悪くはない選択肢でしたが、結局は情報科学を選びました。教養課程のコンピュータ演習で興味を持ち、「今後伸びるのはここだろう」と将来性を感じたことが決め手となったようです。

 学士を終えると修士へ。このころから丹羽氏は、並列処理の研究に取り組むようになりました。「学士と違い、修士から本格的に研究に打ち込む生活が始まりました。自分自身で目標を立て、成果をまとめ上げます。この研究生活でタスクマネジメントを自然と身に付けられたような気がします」と丹羽氏。

 丹羽氏の周囲では、修士課程に進む人は多くても、博士課程に進む人はまれな存在だったようです。博士課程まで進んだ理由について丹羽氏は「凝り性だからだと思います」と話しています。一度始めたら「とことん突き詰めたい」、そんないちずな性格が、究める道へと進ませたようです。

研究者の世界は意外と狭い?

 「凝り性」の丹羽氏は、博士号を取得した後も、職業として研究者の立場を選択しました。研究を続けたことについて、丹羽氏はこう話しています。「(博士号取得後の)道はいろいろとあります。海外ならドクターの肩書はさほど珍しくありません。場合によっては海外の大学に進む道もあるのではと思っていました」

 大学の研究科助手時代、後輩たちの相談役に時間を取られて自分の研究に専念できず、そのために研究所の研究員に立場を変えたこともありました。そのようにひたすら研究を継続していた丹羽氏ですが、次第にその気持ちは変化してきました。

 「正直にいうと、飽きてきたということです。研究者ですと、ひたすら論文を執筆し、どこかに投稿し、掲載され、また別の論文を執筆して……。これの繰り返しです。何かに掲載されても、論文を読む人は限られていて、クローズな世界なのです」と丹羽氏は説明します。研究の世界が狭く感じられるようになってきたのです。

 研究の世界ではステップアップするのが難しいことが分かってきたことも、原因の1つだったようです。大学で助手、准教授、教授へと進むにしても「上が詰まっているのです。また教授以外は役職に期限があります」ということです。

丹羽氏のターニングポイント。研究からもの作りの現場へ

 加えて何よりも「研究のための開発より、実際の開発がしたい」と思えるようになってきたことが、丹羽氏のターニングポイントとなりました。博士号を取得してから6年が過ぎたころのことでした。

 「研究している際にもプログラミングをすることはあります。しかし、それは主に研究データを取るためです。自分で作って、自分で使うだけ。やはり人に使われるプログラムを作りたいという気持ちになってきました」

 もともと「作ることが好きだった」という丹羽氏。研究のための開発は味気ないと感じ、もの作りがしたいと考えるようになったようです。とはいっても、これから工学に転向することも戸惑いがありました。そこでこれまでのように研究者として研究機関に就職するのではなく、今後は開発をしている会社に開発者として就職することを決断したのです。

仲間とともに開発を進められる喜びを実感

 研究者から開発者へ。大きなキャリアチェンジといえるかもしれません。しかし丹羽氏はいたって平静です。この転換に「大きな決断をした」という気負いのようなものは感じられません。純粋に「研究より開発をしたかった」ということのようです。

 希望したとおり、現在丹羽氏は開発の現場にいます。研究者時代と大きく変わったのは仲間がいること。研究者でいると、時に「自分との闘い」となることもあります。しかしいまの丹羽氏は「チームで開発するのが楽しい」と、仲間のいる喜びをかみしめています。

 研究者時代の丹羽氏は並列処理を専門として、どちらかというとハードウェアに近い領域の研究や開発に携わっていました。この知識や経験は、現職のアプリケーション開発にも「十分役立っています。本格的に研究者時代の知識や経験が生きるのはもっと先になるかもしれませんが」ということです。

 今後どれだけ開発者を続けるか、またその後どういう方向に進むか、こうした将来のことを考えるのはまだ先のことのようです。仲間と一緒に開発するようになってから2年、もうしばらくは開発者としてもの作りを楽しむようです。

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