プログラミングの「は・て・な」

第2回 命令とは何だ? 〜鉄腕アトムは命令されるのか?〜

長谷川裕行
2008/4/4

プログラムを作るとはどういうことなのか? そもそもプログラムとはどういうもので、われわれ開発者は何を目指し、考え、学ぶべきなのか? ハードもソフトも、そしてそれらを扱う社会システムも複雑化した現代、開発者にとって考えるべき問題はたくさんある。
そんなややこしい時代のややこしいお仕事について、肩肘張らずにさまざまな角度から考えてみたいと思う。しばしの間、おつき合いのほどを……。

 プログラムとは「コンピュータに対する命令の集まり」だとよくいわれる。たしかにそうなのだが、この表現は実にあいまいだ。エンドユーザだって、コンピュータを使うときには命令を下している。コンピュータはほかの道具とは異なり、命令してあげないと動かない。使うにも作るにも「命令」が必須であり、それぞれの立場で意味合いは異なる。さて「命令」って何だろう? と、あらためて考えてみる。

本連載は、ソフトバンククリエイティブ刊行の『C MAGAZINE』に掲載された記事を、同社の許可を得て転載するものです。

なお、 Webでの連載として転載するに当たり、若干表現を変更している点があります(例えば「本書は」としている部分は「本連載は」としていることや図版などの省略など)。その点ご了承ください。

鉄腕アトムと鉄人28号

 先月は本連載で懐かしアニメの話をしたので、今月は……じゃなくて《今月も》懐かしアニメのネタで始めようと思う。「しつこいなぁ」と思う人もいるかと思うが、ご勘弁を。どうも僕らの世代にとっては、子供のころに見たSFアニメが「理想の機械」を語る際の出発点となっているようなのだ。で、その原点ともいえるのが「鉄腕アトム」(以下、アトム)と「鉄人28号」(以下、鉄人)である。どちらも、月刊漫画雑誌『少年』(光文社)に連載されて大人気を博した。

 ご存じの方も多いと思うが、「アトム」は日本で最初の連続テレビアニメである[注1]。少し遅れて「鉄人」もアニメ化された[注2][注3]。スポンサーは「アトム」が明治製菓、「鉄人」が江崎グリコ。テレビアニメとお菓子メーカーの蜜月もここから始まった。

[注1]あくまで「テレビの連載もの」としての「日本初」である。ちなみに、日本初の長編アニメ映画は、1943年公開の「桃太郎の海鷲」(芸術映画社)。上映時間は37分。手塚治虫はこれを見て感動し、アニメに傾倒したといわれている。

[注2]「アトム」も「鉄人」もアニメのほかに人間が着ぐるみをかぶった実写版があった。足の裏から火を噴いて宙吊りで飛ぶアトムも寂しかったが、体にボール紙の筒を巻いたような等身大の鉄人はさらにチープだった……。

[注3]2005年3月、CGを使った実写版の映画が公開された。監督は冨樫森、配給は松竹。原稿執筆時点で未見のため、内容についてはノーコメント……。

アトム=機械の理想

 「理想の機械」という意味では、やはりアトムをおいてほかにないだろう。20世紀の末に、ソニーがロボット犬「AIBO」を、本田技研が2足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。21世紀に入って、日本のロボット研究はさらに勢いづいた。とうとう、漫才で立派にボケるロボットまで登場したしだいだ[注4]。

 現在、日本で研究の盛んなロボットはいわゆるヒューマノイド──人型ロボットである。ロボットの研究は世界中で行われているが、海外ではヒューマノイド研究に対して日本ほど熱心ではない。日本の研究者の原点が「アトム」やその後に登場する(アトムに影響された作家たちの描いた)ロボットアニメにあることはよく知られている。その根底には、あらゆるものに魂が宿り、犬も猫も家族の一員のように接する、古代日本のアニミズムの影響があるように思える。われわれの心の奥底には「機械にも人間のようであってほしい」という願いのようなものがあるのだろう。

 犬や猫を人間以下の存在ととらえ、自然は自分たちの都合のいいように切り開いたり、利用してしまおうという発想の欧米では、ヒューマノイドに対して人と同レベルの視線を保てない。事実、ロボットとは「機械奴隷」[注5]のことである。

[注4]NECのパーソナルロボットPaPeRoをベースにしたお笑いロボット「パペじろう」のこと。2004年9月に発表された。NECデザインの長田純一氏とお笑い芸人ぜんじろう氏らが共同開発。ちなみに、ぜんじろう氏は上岡龍太郎氏のお弟子さんである。大阪弁でうまくプログラミングすれば、陣内智則の相方になれると思うのは、私だけ……?

[注5]「ロボット(robot)」という言葉は、チェコ語で強制労働を意味する“robota”などの語から生まれた造語で、チェコスロバキアの作家カレル・チャペックが1920年に書いた戯曲「R・U・R」の中で用いられた。

鉄人=機械の本質

 日本人好みの人間っぽい機械のベースが、21世紀生まれ[注6]のアトムなのである。アトムは電子頭脳(いってみれば、人工知能搭載のコンピュータ)を埋め込まれており、自らの「意思」で行動する完全自立型のロボットだ。怒ったり笑ったりという感情まで持っている[注7]。

 一方、20世紀前半に生まれた鉄人[注8]は、少年探偵・金田正太郎[注9]の操作する操縦器(「リモコン」と呼ばれる)で操られる。鉄人には自らの意思はいっさいなく、悪人にリモコンを奪われると悪の手先になってしまう[注10]。表情もなく、淡々とした「いかにも機械」として描かれている。

 当時、僕らの親たちは「アトムには夢がある」などと絶賛[注11]していたが、鉄人に対する親のコメントはあまり聞かれなかった。鉄人に対して子供心に感じたのは「いつ敵になるかわからない」というスリルである。子供のころからひねくれていた僕は、人間に逆らわないアトムより、操縦者の意思どおりに動く鉄人のほうが好きだった。

 幼稚園のころから「影」など大阪発の貸本探偵漫画を読みふけっていた僕としては、未来のロボット戦より現代の探偵もののほうにリアリティを感じたこともあるのだが、やはり無意識に、鉄人に対して「メカの本質」を感じ取っていたのかもしれない[注12]。アトムが機械の理想なら、鉄人は機械の現実なのだ。

[注6]アトムの誕生日は2003年4月7日(花祭り──釈尊生誕日──の前日)と設定されている。当日には、兵庫県宝塚市にある手塚治虫記念館などでイベントが開催された。

[注7]唯一「怖い」という感情だけは持っていなかった。お茶の水博士に頼んで「恐怖心」を与えられるというエピソード(たぶん「アルプスの決闘の巻」だと思う)があるが、それが弱点となってしまったため解除される。このあたりは、ロボットを「道具」と見る視点で描かれていると思う。

[注8]第二次世界大戦末期、日本軍の兵器として開発された。同様の設定は、「ミカドロイド」(1991年、東宝、原口智生監督)のジンラ號や「超人機メタルダー」(1987〜1989年、テレビ朝日系)など、映画やテレビドラマでパクられまくっている。

[注9]半ズボンにジャケット&ネクタイ姿でオープンカーを運転し、ピストルまで撃つ。酒と煙草のたしなみについては不明だが、まあ、とんでもないマセガキである。

[注10]のちにジョージ秋山が『少年サンデー』に連載した「ザ・ムーン」は、人間にとって両刃の剣となりうる鉄人のイメージを、かなり意識したものだと思う。

[注11]アメリカでは「ASTRO BOY」のタイトルで放映されたが、暴力シーンが目立つためPTAに支持されなかった。

[注12]ちなみに、当時僕は小学校1年か2年生だった。「金田正太郎なみのマセガキじゃないか」って? ちゃうちゃう。そのころの僕は運転免許を持っていなかったし、ピストルも撃てなかった。

アトムは命令されるか?

 人間がコンピュータを扱う場合、意思を伝えるためにコマンド(command)──つまり「命令」を発する。この形態は、キャラクターベースのOSだとよくわかる。「c pabc.txt ~/」(UNIX系の場合)とか「copy abc.txt \myhome」(DOSの場合)といった感じである。

 コンピュータに対して(という表現は正しくない。OSを制御するシェルプログラムに対して)「ファイルabc.txtを指定したフォルダ(ディレクトリ)にコピーせよ」と、命令しているわけだ。

 鉄人の場合、正太郎少年は「鉄人、進め!」などと声を発しているが、その叫びは鉄人には届いていない。同時に操作しているリモコンのレバー[注13]に従って動いているだけなのである。まさに機械だ。

一方、意思を持つロボットであるアトムには、命令形はそぐわない。事実、お茶の水博士[注14]はアトムに対して「〜してくれんか」といった発言をよくしている。ときには「〜しなさい」と命令もするが、基本的に機械に対する命令というより、人間の子供に対する「指示的な発言」というニュアンスだ。最終的には、指示に対してアトム自らの判断で納得したうえ、行動に移すことを「期待して」いるわけである。「〜しろ」といった命令形の発言が皆無というわけではないが、きわめて少ない。

[注13]漫画では、たった2本のレバーしか描かれていない。2チャンネルのプロポでどうやってあんな複雑な動きを……? などとツッコまないように。漫画だからデフォルメされているのである。雑誌『少年』の表紙写真に、ダイヤルやメーター、ランプなどの配置されたもう少しリアルな操縦器が登場したことがある。

[注14]科学省長官。産みの親である天馬博士の遺志を継ぎ、アトムの管理を任される。ちなみに、お笑いコンビ浅草キッドの「水道橋博士」という芸名は、中央線上の御茶ノ水の隣にある駅の名前をパロったもの。また、浦沢直樹の描いた「MONSTER」の主人公「Dr.テンマ」は手塚治虫へのオマージュ。同作の登場人物「ニナ」は、同じく手塚作の「ビッグエックス」に登場する少女「ニーナ」からきていると思うのだが、真相は定かでない。

CUIもGUIも結果は同じ  
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