第30回 せきばらいで会議をコントロールする?
野村隆(eLeader主催)
2007/9/25
■たくさん発言する人の陥りがちなポイント
一方で、自分の発言量を増やすことで会議を円滑にコントロールしようと考える人もいます。
例えば、会議が紛糾したときや、議論が横道にそれたとき、延々と理詰めで話をして議論の筋を元に戻そうとする人。本人は懸命に発言量を増やして頑張るのですが、失敗することが多いように思います。私がいままで見てきた中で、この試みが失敗する理由は大きく2点あると思います。
・本人が考える暇がない
ずっと話しているので、当の本人に考える暇や周りを見渡す余裕がありません。そのため、自分の話を誰も聞いていないとか、実は会議参加者の大勢の関心事以外のことを話しているということに気付かず、会議の流れをつかむことができません。従って、会議に出席するメンバーを説得することもできません。
・揚げ足をとられる
本人がたくさんしゃべってしまうので、自分自身の発言内容のちょっとした矛盾やいい回しの良しあしで揚げ足をとられて、かえって混乱を大きくしてしまうケースもあります。
知恵を絞って会議を収束させる理屈を考えて、一所懸命しゃべっているのに、それがかえってアダとなってしまうわけです。これでは、労多くして得るものが少ないと思います。
■「謦咳(けいがい)に接す」という考え方
しかし、中にはどうしても会議の円滑な進行のために、たくさん自分が発言しないと気が済まない、納得できないという方もいるでしょう。先にも申しましたが、本人の成功体験に基づくので、納得できないのはやむを得ないと思いますが。
納得できない方のために、ここでまた、安岡正篤氏の『照心語録』(致知出版社刊)から、「謦咳(けいがい)」と題した以下の個所を引用します。
人間というものは作為することのできる大議論や大論文などよりも、不用意な一言や一寸したことに、その人の全貌の現れることがある。その意味で謦咳(せきばらい)というものも東洋人物学では特異な内容を持つ。“謦咳に接す”など非常に味のある言葉だ。 白隠禅師の師としても有名な飯山の正受老人は滅多に講釈などしない人で、弟子達は「終日ただ謦咳を聞くのみ」であったという。だがそれで楽しく、且つ大いに教えられた。人物もこうなれば大したものだと思う。 |
せきばらいだけで弟子に物事を教える。このような境地になるのは、大変なことだとは思いますが、これも私が目指したいところであります。
この考え方は、前回紹介した、明治・大正を通じで名宰相といわれた原敬氏の言葉「5分以上議論する人間はばかだ」に通ずるものがあると思います。
何事も、細かい内容に入っていくと視野が狭くなり、大局的な判断はできなります。細かい内容の検討は、「検討会」にゆずり、「報告会」では、大局的な見地で議論するというように考えたいものです。
■機を見てズバリ発言する
自分がメインでしゃべることによって、会議を仕切ってきた、という自負のある方は、私もコンサルティング業界にいるので、数多く知っています。たしかに、立て板に水、とはまさにこの人のためにあるような言葉とばかりに、自説を述べ、会議を運営していく手法を決して否定はしません。
ただ、延々と自分が話すことによって、会議の流れが読めなくなったり、揚げ足を取られたりするケースがあるというリスクを認識する必要があるのでは? そう私は思うわけです。
このような方に申し上げたいこと。それは、「黙ってみたらどうでしょう」ということです。会議の参加者の発言の聞き手に回り、機を見て、ズバリ発言する。意外に、円滑に会議を運営できることに気付くかもしれません。
お試しされてみてはいかがでしょうか。
筆者プロフィール |
野村隆●大手総合コンサルティング会社のシニアマネージャ。無料メールマガジン「ITのスキルアップにリーダーシップ!」主催。早稲田大学卒業。金融・通信業界の基幹業務改革・大規模システム導入プロジェクトに多数参画。ITバブルのころには、少数精鋭からなるITベンチャー立ち上げに参加。大規模(重厚長大)から小規模(軽薄短小)まで、さまざまなプロジェクト管理を経験。SIプロジェクトのリーダーシップについてのサイト、ITエンジニア向け英語教材サイト、人材派遣情報サイトも運営。 |
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