第4回
教育ビジネスに転じた私の本音
吉川明広2001/8/17
■学業は“道楽”の追求なり
現在大学院で電磁波工学を専攻している小山氏。 |
インタビューを行うに当たっては、対象エキスパートの方から、事前に簡単なキャリアシートを提出してもらっている。今回、小山氏からいただいたレジュメを見て驚いたのが、“大学院博士前期課程在学中”という表記だった。会社勤めの傍ら、1992年に社会人大学生として電気通信大学に入学し、以来ずっと電磁波工学を専攻しているのだという。現在は博士号を取得するべく、プライベートな時間を大学院での研究に費やしているのだそうだ。
「初めてこの分野に興味を持ったのは、小学校3年生のころ。学校の校門の向かいにアマチュア無線をやっている人がいて、すごく面白そうだった。そのころからですね、電波はなぜ飛ぶんだろう、ラジオはなぜ音が聞こえるんだろう、という疑問を持ったのは」
理系技術者の何割かを占めるという、いわゆる“ラジオ少年”であった小山氏は、当然のように自分でもアマチュア無線(HAM)を始め、いつしか無線通信の奥深い世界にハマり込んでいく。気が付けば、アマチュアを超えるプロの資格である第1級無線通信士の免許まで取得していた。
「HAMはあくまでも趣味レベルのものなので、別に理屈を理解していなくても試験には合格できます。しかし、その理屈が分からないということでずっと気持ちの悪さが残っていた。で、いつかきっとこれを理解してやろう、極めてやろう、って思ってたんです」
小山氏はその後、熊本電波高専に進学して情報工学を専攻し、コンピュータ関係の仕事に携わるようになる。しかし、彼の頭の片隅から、電波に対する興味が消えることはなかった。
「日本データパシフィックという会社に入ったとき、ある程度自由な時間が取れる職場だったので、社会人大学生として電気通信大学の電気通信学部電子情報学科に入学しました。それから9年ほどたったんですが、まだ学生を続けてます。だから私の最終学歴は未定なんですよ(笑)。これはもう、完全に道楽、私の趣味といっていいでしょうね」
しかし、いくら道楽とはいえ、単なる遊びとはワケが違う。体育の単位を取るためにはちゃんと授業に出席する必要があるし、試験があれば受けなければならない。そんなときに限って会社の出張が入ったりして、調整にはとても苦労するという。彼をそこまで駆り立てるものは、何なのだろうか?
「意地ですよ、意地。何かに立ち向かっているときに、“くじける自分を見ている自分”がイヤなんです。できない理由を探したりするのも嫌いですね。それがいまの自分の価値観になっているし、もちろんこれは仕事に対しても共通する考え方です」
現在の仕事(日本オラクル)があまりに忙しくてなかなか大学に行けず、論文の執筆も滞っていて、担当教授から叱られているとのことだが、その割に困った様子はなく、むしろどこか楽しげな雰囲気の小山氏。同じ意地を張るにしても、やはり自分が面白いと思うことに対しては、余裕を持って当たれるのだろう。
「実は、この週末に、大学へ研究のための実験をやりに行くんです」
そう語る彼の顔には、何ともいえない充実感が……。電波がなぜ飛ぶのか、いまだによくわからないという彼だが、その学究の姿勢が、公私の生活に張りを与えていることは確かなようだ。
■大人気を博すオラクルマスター資格
社会人大学院生という“副業”の話を伺ったところで、今度は“本業”について、小山氏の現況を語ってもらった。まずは、彼の中心的な仕事である認定資格制度「オラクルマスター」について。
「おかげさまで、現在ではITベンダー資格というと、マイクロソフトさん、シスコシステムズさん、それにウチを合わせて、“御三家”なんて呼ばれてるんですよ」
オラクルマスターは、いわゆる“ベンダー資格”と呼ばれるものの中では比較的新しく、正式な資格制度として運営されるようになったのは1996年からである。にもかかわらず、すでに御三家の一角にまで成長している背景には、「Oracle」という優れた製品の絶大な市場シェアがあることは確かだろう。しかし、ベンダー資格は、国家試験のような公的制度と違って、あくまでもビジネスとして展開すべきもの。お客さん(つまり受験者)をただ待っているようなやり方では、当然ながらうまく運営することはできない。おそらく、オラクルマスターの人気をここまで押し上げるためには、かなりの苦労があったはずだ。
「現在私が所属しているエデュケーションサービス本部は、以前は研修本部と呼ばれてまして、教育業界の出身者や純粋なエンジニアが多かったんです。しかも、この研修本部は日本オラクルという会社の中にある別会社のような部署で、人事交流があまり盛んではなかった。私が製品マーケティング本部から希望してこの部署に移ったときには、マーケティングの経験者はほとんどいない状態でした」
ところが小山氏が研修本部に異動してから3カ月ほどして、1つの“事件”が起こる。これまで製品マーケティングや日本オラクルでのLinuxビジネスを率いていた佐藤武氏が、研修本部長として迎えられたのだ。これを機に、研修本部全体が一気にマーケティング志向へと変革を遂げることになる。
小山氏は、オラクルマスターは、オラクルにとって“宝の山”だったと語る。 |
「そのとき佐藤と私が目を付けたのは、どうしてオラクルマスターをこんなに“おとなしく”させておくのか、ということでした。オラクルにとってみれば、オラクルマスターは宝の山みたいなものです。それをなぜ掘り起こしていないのか、と」
こうして研修本部では、“眠れる財宝”であるオラクルマスターのプロモーションに力を入れ始め、それが徐々に成果を表すようになっていく。Oracleそのものの市場シェアが大きく、エンジニアの関心が高かったこともあって、Oracleのライセンス販売を手がけるパートナー企業を中心に、オラクルマスターの認定者が順調に増えていったのだ。
特に1999年ごろから同資格の受験者数は急激に伸び、同年3月には認定者数が1万人を突破。さらに、今年(2001年)5月には認定者数が4万人を超えたという。資格というと、訓練や勉強、困難といった地味なイメージばかりを連想しがちだが、彼はそこにマーケティングの風を吹き込むことにより、資格をもっと輝かしいものへと作り替えることに成功したのだ。もっとも、当の小山氏はあくまでも謙虚であるが。
「ちょうど同じ時期に、シスコシステムズさんも資格制度を始められたんです。ある意味で、こういった各社の動きが相乗効果を生んで、ベンダー資格に対する認知度が高まっていったんだと思います」
さて、こんな資格ブームの中で多忙を極める小山氏であるが、いったいどんなキャリアを経て現職に就いたのだろうか? 続いて、これまでに彼のたどってきた道を探ってみることにしよう。
■いろいろな企業をひょうひょうと渡り歩いた小山氏
先にも述べたとおり、小山氏はラジオ少年だった。そのためか、当然のように地元の高専を受験し、当時設置されたばかりの情報工学科の第一期生として入学する。情報工学科を選んだ理由は、これからはコンピュータも面白そうだ、くらいの“軽い気持ち”だったという。しかし、この高専ではマイコンを自作したり原始的なパケット通信の研究をやったりと、コンピュータに関する貴重な知識や技術を身に付けることになる。
「そのころはまだCP/Mが全盛で、マイコンは自分で作る時代でした。回路図を自分で描いて基板をトレースして、エッチングして、穴あけをして、部品をハンダ付けして、BIOSを焼き込んで、なんてことを全部やりましたね。そうそう、そのBIOSを焼くためのROMライターさえも自作しましたよ」
小山氏が就職して最初にかかわった日本DECの往年のミニコン「PDP-11」。 |
高専卒業後、彼は日本DEC(日本ディジタルイクイップメント)に就職するが、こんな豊かなコンピュータ体験が、仕事にも大いに役立った。当時は非常に評判の高かった往年のミニコンである「PDP-11」に出合ったときにも、何の違和感もなくすんなりと受け入れられたそうだ。ソフトウェアサービス部門に配属され、PDP-11のソフトウェアや、上位機種のVAX上で動作する開発ツール(サードパーティ製のクロスコンパイラなど)を担当。プリセールスからサポート、トレーニングまで引き受け、全国を飛び回った。
「マイコン組み込み機器向けの開発環境を、PDPやVAXで構築しているメーカーが多かったので、私が担当したクロスコンパイラの需要はとても高かった。あるとき、お客さんのところへ行くと、クロスコンパイラが吐いたコードを印刷して、それを見ながらマイコンチップ用の専用デバッガに手で入力しているんですよ。そんな状況を見かねて、VAXとその専用デバッガをつなぐRS-232Cインターフェイス回路を作り、専用のユーティリティまでプログラミングしたことがありますよ」
|
||||
小山氏の日本ディジタルイクイップメント時代の主な業務 |
ハードもソフトもできる人材というのは、いまも昔もそうそうはいないものだ。きっと小山氏は、日本各地のクライアントから引っ張りだこだったに違いない。ところが彼はDECを退職し、なぜか伊藤忠商事というまったく畑違いとも思える分野に身を投じる。
「あちこちに行っていたこともあって、偶然声をかけていただいたんです。ビジネス分野にも興味はありましたし、総合商社ということで悪くはないかな、と。まあ、やはり軽い気持ちでしたね」
ここで彼は、フォークリフトやブルドーザー、船外機といった産業機械の輸出入を扱う専用システムの設計と開発に携わる。また、当時は産業機械部品の調達や流通を商社が中心になって行っていた関係で、中小の部品メーカーの業務システムを改善するための仕事なども手がけた。
「商社に入ってよかったなと思うのは、いろんな意味で社会勉強ができたことです。例えば、交際費や接待費の使い方とかを、若いうちに知ることができた。これは、普通のエンジニアではなかなか体験できませんよね。また、為替リスクなどのような経済的なこともたくさん学べました。現在(日本オラクル)の仕事に必要な素養の多くは、この商社時代に得られたんじゃないかと思います」
|
||||
小山氏の伊藤忠商事時代の主な業務 |
小山氏の次の転職先は日本データパシフィックだった。この企業は、伊藤忠のスピンアウト組が設立したベンチャー系のソフトハウスで、小山氏はそこの設立者から一緒にやらないかと誘われたのだそうだ。彼は、技術に関するすべての面倒を見るという立場で、海外ソフトハウスの日本市場進出の支援事業や、ジョイントベンチャーによる教育用ソフトウェアの開発、マーケティングといった業務に携わった。
「この会社はとても自由だったし、やっていることは面白いしで、とてもハッピーな環境でした。社会人大学生として電通大に入学したのも、このときですね。それに、ここは給料もよかったんですよ。いまのオラクルの“ン”倍ぐらいね(笑)」
|
||||
小山氏の日本データパシフィック時代の主な業務 |
しかし小山氏は、居心地がよく給料も高かった日本データパシフィックを、7年ほどで辞めてしまう。その理由は何だったのだろうか?
「会社には、身の丈というか、飽和点のようなものがあると思うんです。私は以前に大きな会社を経験してますから、そのフットワークの悪さはよく知っています。で、今度は小さな会社に入ってみて、確かにフットワークは軽いけど、やはり資本力とか体力の面では限界があるな、と。それで、何か消化不良みたいなものを感じ始めたんです」
悩んだ彼は、所属している日本データパシフィックの社長に相談する。
転職にあたって勤めていた会社の社長に相談すると、チャレンジしろといわれたという。ただし、1番の会社にチャレンジしろと。 |
「社長というのが非常に尊敬できる方で、素晴らしい助言をいただいたんです。“チャレンジしてみればいいじゃないか。ただし、何事にも1番と付き合いなさい”と」
その社長の助言はこうである――どんな分野にせよ、そこで1番を張っている企業や人には、やはりそれなりの理由があり、そこから学べるものも多い。だから1番と付き合え。そしてさらにそこの中の1番になっていけ……。かくして小山氏は、その助言に従い、DB業界ナンバーワンである日本オラクルを再就職先に選ぶ。
「このときは、オラクルにいる知人から誘われたりしたわけではなく、中途採用の一般公募で受験しました」
小山氏は、中学を卒業して高専を受験したときも、また高専を卒業して日本DECを受験したときも、担任の先生から「絶対に無理!」といわれたのを無視して挑戦したのだそうだ。その結果、いずれの試験にもすべて合格という経験を持っている。とにかく、チャレンジ精神が旺盛なのだ。
そんな彼だから、日本オラクルももちろん一発で合格。入社してから製品マーケティングの仕事に2年間携わった後、現在ではエデュケーションサービス本部の“番頭”として八面六臂の大活躍をしている。このことについては先に紹介したとおりだ。
「よく、部下に“サメ”っていわれるんです。サメは動きが止まると死んでしまうし、目の前にエサがあれば腹が減っていなくてもとりあえず食ってしまう。自分にそっくりだ、ってね。まぁ、ほんとに落ち着かない性格ではあるけど(笑)」
|
||||||
小山氏の日本データパシフィック時代の主な業務 |
■オラクルの“サメ”が目指すもの
小山氏のキャリアを見ていて、気付いたことがある。それは、現在のオラクルマスター資格を中心とした仕事にしろ、過去の在籍企業での仕事にしろ、どこかしらにたいてい“教育”とか“トレーニング”といった言葉があるということだ。ひょっとして、彼は教育というものに対して何らかのこだわりを持っているのだろうか?
「実は、教育の分野を目指したということは全然なくて、必然的にそうなったというだけです。自分のキャリアプランの中でも、教育関係のスキルを高めていこうとか、それに特化していこうとかいう積極的な意図はなかったですね」
「ただ、意図ということでいえば、1つ面白い話があります。日本オラクルへの入社当時、社内報に新しい社員を紹介するコーナーがあって、私も掲載されたんですが、その自己アピール欄で“10年後にやってみたいこと”という項目がありましてね。私はそこに“オラクルの経営(小さい範囲で)”って書いたんです」
なんと豪胆な! だが彼は、それが特に出世を意識したものではなかったといっている。彼自身はもともとエンジニアであり、どちらかといえばテクノロジを追求してきた。しかし、マーケティングなどの仕事を通じて、徐々にテクノロジそのものよりはビジネスを追求することに面白みを感じるようになった。それで彼は、たまたま自分の置かれた教育関係の環境の中で、そのビジネス追求の実践を試みたわけだ。
結果、彼はオラクルマスターの総責任者として、まさに“オラクルの経営(小さい範囲で)”に携わることになった。その意味では、自身の目標をはるかに早く(彼の日本オラクルでの経歴はまだ4年余り)実現してしまったわけである。獲物に食らいついていくサメそのもの、などというと不謹慎かもしれないが、とにかくできることは何でも精一杯やっていこうとするチャレンジ精神が、大きな結果に結び付いていることは確かだろう。
さて、そんなバイタルな小山氏が、現在思い描いている夢がある。
「日本の人材育成というのは、偏っていたり体系化されていなかったりで、未整備な部分が多いですよね。エンジニアの分野に関しては、特にそうです。そこのところを、ただオラクルという枠組みだけではなく、もっと社会的に広い領域での仕組みとして作っていきたいんです。それには、新たな体制を構築し、カリキュラムを作り、マーケティングをやり、お金や人を動かし、場合によっては政治まで動かす必要がある。おそらく、他社さんも巻き込むことになりますが、単なるコンソーシアムではなくて、もっと実りのある、社会にインパクトを与えるような仕組みを作りたいと考えています」
具体的な内容まで聞き出すことはできなかったが、すでに彼はその仕事に取り組んでいる気配がある。どうやら、業界の内外を含めた、かなり大きなプロジェクトが進行しているようだ。いつごろその成果が見られるかは不明だが、彼の話ぶりから、それが遠い将来でないことだけは確信できた。そのとき、オラクルの“サメ”は、いったいどんな立場でどんな活躍を見せてくれるのだろうか。実に楽しみである。
■番外編:オラクルマスター資格試験の必勝法
有力なベンダー資格であるオラクルマスターの総責任者にインタビューする機会を得たからには、ぜひ伺っておこうと考えたことがあった。それはずばり、オラクルマスター資格試験の必勝法である。小山氏は、詳しいことまでは具体的にいえないと前置きしつつも、とっておきの秘伝を教えてくれた。
「オラクルマスターには、難易度別にシルバー、ゴールド、プラチナの3種類があります。シルバーは入門レベルなので、言語やアーキテクチャなどの基本を、知識と情報の観点からまんべんなくきちんと整理しておけばほとんど大丈夫ですね。試験自体も、あまり奇をてらったような設問はありません。というか、そうならないように努力してます(笑)」
「ゴールドとプラチナは、シルバーと違ってOracleのバージョンごとに認定します。このレベルになると、日ごろ実務で使うような機能以外のものも出題範囲に入ってきます。つまり、DB管理者やDB開発者に知っておいてもらいたい技術要素を広範に問うわけですから、知識についてのバランスが悪い人や好き嫌いのある人は合格が難しくなりますね」
「例えばある科目の中にはどんな要素がいくつあるか、そして各要素についてそれぞれどういった観点で問われるのか、といったことを研究するといいと思います。それには、やみくもに例題を解くんじゃなくて、Oracleの技術がどういったカテゴリで構成されているのかを見抜くことが大切ですね。実は、こうした分析がちゃんとできさえすれば、その人はもう受かったも同然なんです」
注意深いカテゴライズと、バランスのよい学習。当たり前のように聞こえるかもしれないが、これらが意外に見過ごしがちな点であることも確か。オラクルマスターを目指して勉強している人は、ぜひとも参考にしていただきたい。
飽くことのない探究心と、旺盛なチャレンジ精神で自らの道を切り開いてきた小山氏。そんな彼のスキルとキャリアを支え続ける本とは? その答えは「エキスパートに聞く ぼくのスキルを支えた本」に! |
Index | |
最前線で必要なスキルとキャリアを知る! | |
教育ビジネスに転じたエンジニアの本音(1/2) | |
教育ビジネスに転じたエンジニアの本音(2/2) |
「連載 最前線で必要なスキルとキャリアを知る!」 |
@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。
現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。
これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。