図解の本質はここにあった ITエンジニアにも必要な国語力
図解の本質はここにあった
ITエンジニアにも必要な国語力

第4回 感覚的な言葉こそ論理的に使え

開米瑞浩(アイデアクラフト)
2005/11/16

コミュニケーションスキルの土台となる図解言語。だが筆者によると、実はその裏に隠れた読解力、国語力こそがITエンジニアにとって重要なのだという。ITエンジニアに必須の国語力とはどのようなものだろうか。それを身に付けるにはどうしたらいいのか。毎回、ITエンジニアに身近な例を挙げて解説する。

 「論理思考」がもてはやされる今日このごろだが、論理をきちんと伝えるためには非論理的ないい回しも欠かせないということを知っておこう。論理的な表現は、人の感覚で裏打ちされない限り使い物にならないのだ。

論理的表現に必要なもの

 先日私はある会社で研修を行ってきた。そのテーマは「論理的に考え、分かりやすく伝える力を身に付ける」というものだった。「論理的」という言葉が入っていることに注目してほしい。「論理的に考える能力・話す能力」はここ数年のビジネス教育における人気のテーマなのである。

 実際、論理的な思考力や表現力を身に付けることは重要だ(私自身がその研修でメシを食っているわけなので、それを否定する気はない)。しかし、論理を生かすためには非論理的な表現が必要になる、ということは意外に知られていないようだ。人の脳でも働きの異なる右脳と左脳が一体となって機能するように、実は論理と非論理も、双方の性質の違いをわきまえたうえで「併せて使う」ことが欠かせないのである。

 そこで今回の表題は、「感覚的な言葉こそ論理的に使え」とした。ITエンジニアは何かと「論理的」であることを要求される仕事なので、説明も論理一辺倒になりがちだ。この記事で非論理的(感覚的)な言葉の重要さを知ってもらい、今後自覚的に活用していただければ幸いである。

62グラムってどれぐらい?

 ではさっそく、ごく簡単な例から見てみよう。以下の2つの文はいずれも同じものについて語っている。

A:この部品の重量は62グラムです

B:この部品は卵ぐらいの重さです

 2つを比べてみたとき、どちらが正確かといえば間違いなく「A:62グラム」の方である。グラム数ならば誰が測っても同じだし、決して誤解されることがない。これが論理的な表現の例である。

 それに対して「B:卵ぐらい」の方は、極めてあいまいで感覚的な表現だ。卵といってもいろいろあって、ウズラの卵もダチョウの卵も卵には違いないのに、それが特定されていない。常識的に考えてニワトリの卵としても、S・M・Lなどさまざまなサイズがあって非常に範囲が広い。「62グラム」とひとけたまで特定した表現に比べると、はるかにあいまいだ。

 ITエンジニアは、文書を書くときに「あいまいな書き方をしてはいけない。誰が見ても誤解のないように明確に書け」と指導されることが多いはずだ。その常識からすると当然Aの方が適切な表現なのだが、ここではそれを疑おう。どちらが正確かではなく、「どちらがピンときますか」と問えば、答えは逆転する。

 鶏卵なら誰でも持ったことがあるから、だいたいどれぐらいの重さかは想像がつくだろう。しかし、62グラムといわれて同じように想像できる方はどれぐらいいるだろうか。ちなみに私は毎日のように卵を手に取って割っているが、それが約60グラムであると意識したことなどない。

 従って、「ああ、あれぐらいの重さなんだな」というイメージを手っ取り早く与えて分かった気にさせる効果は、「B:卵ぐらい」というあいまいな表現の方が高いのである。

 そこで、分かりやすく説明するのがうまい人はたいてい次のようにいう。

C:62グラム、つまり卵ぐらいの重さです

 要するに、論理的な表現と感覚的な表現を併用するのである。こうすれば数字が正確に伝わるのと同時に、その数字に対するイメージを持たせることができる。これは「あの人の話は分かりやすい」と思われるためのごく初歩的なテクニックなので、いますぐにでも実践を始めてほしい。

 2つの表現を併用していると、あることに気が付くだろう。それは、2つの表現が本当はまったく別のものを表しているという事実である。

感覚的表現は印象を語っている

 先ほど私はA・Bの2つの例について「いずれも同じものについて語っている」と書いたが、これは厳密にいうと間違いなのだ。一見するとどちらもある部品の重さを語っているようだが、実は感覚的な表現の方は「部品の重さについて人間が受ける印象」を語っているのである(図1)。

図1 感覚的表現は人間の印象を語るもの

 つまり「卵ぐらい」という表現は、卵を何回も持ったことがあってその重さを実感として知っている人にしか通用しない。卵を持ったことがない人に対して「卵ぐらい」といったのでは、想像もつかないし正確な数値も分からない、という最悪な結果になってしまう。

 感覚的な表現を適切に選択するのは、意外に難しいのである。例として、「卵ぐらい」という表現を採用するまでには次のような関門がある。

    a.62グラムという数値を押さえる
    b.それが卵ぐらいであることに気が付く
    c.聞き手が「卵の重さ」を実感として知っていることを確認する
    d.「卵ぐらい」という表現が余計な誤解を招かないかを確認する

 aは数字の把握、bはそのいい換え(感覚的表現)の発見、cとdは聞き手の理解の確認という作業である。これだけの仕事をしなければ感覚的な表現は使えない。

 ちなみに「62グラム」という論理的な表現の場合は、上記のaだけで済む。つまり、一般的な通念とは逆かもしれないが、論理的な説明の方が実ははるかに楽な方法なのだ。

相場が分かっていないと感覚的表現は使えない

 ここで、例を車両の発着についての話に変えよう。

a:JRの山手線は平均して3分ごとに発着があります

b:JRの山手線はひっきりなしに発着があります

 aの「3分ごと」という数値に対して、bでは「ひっきりなし」という形容をしている。これは鉄道の場合、3分という発着間隔が「極めて短い」ものであることを知っていなければ出てこない表現である。同じ3分であっても、タクシーだったら別に誰も何とも思わないだろう。鉄道だからこそ3分を「ひっきりなし」といえるのである。

 つまり、そのとき意識している問題についての「相場」を知っていないと、感覚的表現というものは出てこないのだ。

 例えば2005年11月現在、仮に金利1%の定期預金があったら、「破格の高金利」だということができる。しかし、それはあくまで超低金利の現在だからこその話である。もしも1980年ごろの高金利時代だったら、1%では逆に「預金者をばかにした低金利」といわれるだろう。

 あらためて書くが、相場を知らなければ感覚的表現は出てこない。そして相場を知るためには通常、長い経験と意識的な勉強が必要なものだ。付け焼き刃の知識では、メーターに出た数字は読めても、それをどう評価するかというプロの相場感覚までは分からない。

 だがそれを逆手に取ると、「相場感覚を身に付けるために感覚的表現を使う」ということもできる。新しいことを勉強しているとき、感覚的表現を使おうとすると、その問題についての相場感覚を勉強する必要が出てくるため、いや応なしに理解が深まり、新しい情報も入ってくるのである。この件の参考として、最近の研修で実際にあった1つの事例を紹介しよう。

<事例:原油価格の上昇をどう表現する?>

開米 例文はこれです。「この1年間で原油価格は2.5倍に上がりました。まさに○○○○です」。……さあ、この○○○○のところを何と表現しますか?

受講生A うーん……まさに「オイルショック」です、なんていうのはどうでしょう。

開米 オイルショックね、うん、確かに一理ありますね。同じように原油価格が上がった過去の象徴的な事例ですもんね。でも、ある誤解を招く可能性もありますよ。Aさんは1970年代のオイルショックのときはまだ生まれてませんよね。どんな状況だったか聞いたことはありますか?

受講生A いえ、詳しくは知りません。ただ原油価格があっという間に上がったとか、それにつられて物価も上がったとか……。

開米 そこですよ! 以前のオイルショックのときは、あらゆるものの物価がどんどん上がったし、買い占めなんかも起こったりして、社会的に大混乱が起きたんです。

受講生A 買い占めですか?

開米 そう、買い占め。「モノがなくなる」というパニックが起きてトイレットペーパーの買い占め騒ぎなんかがあったんです。でもいまはどうですか? 一部の業界や製品を除けば、市民の生活にはまったく何の変化もありませんよね。物価は安定してるし石油がなくなる気配もない。静かなもんです。この点で過去のオイルショックとはまったく違います。そこに「オイルショック」という言葉を使ってしまうと、その点で誤解を与えかねませんね。

受講生A ああ、それは違いますね……確かに。

開米 だからもし「オイルショック」という言葉を使うなら、その点は違うと補足しておいてください。その誤解さえ防げば大丈夫です。

 この例では、受講生Aさんは若いこともあってオイルショックのことをあまり知らず、ただ単に「原油価格が上がる現象」という程度に考えていた。しかしその言葉を使ったことにより「ちょっと違う、誤解を招くよ」という指摘を得られ、初めて「オイルショック」という言葉に含まれる相場感覚を知ったのである。「2.5倍に上がりました」と論理的に正しいことだけを書いていると、なかなかこうした指摘は得られない。感覚的表現を使うメリットはこんなところにもあるわけだ。

「ロック」と聞いて予想する動作は

 最後に1つ、ITエンジニアに身近な例を紹介しよう。

 以下のテキストは、あるシステムへのログインに関連した説明だが、ここで使われている「ロック」という言葉は、ある誤解を招くおそれがある。「ロック」と聞いて多くの人が予想する動作と、実際にここで説明されている仕様とに少々違いがあるのだ。それは何だろうか。

<事例:パスワードのロック>

当システムでは、ログイン時に規定回数以上パスワードを間違えると、自動的にパスワードにロックがかかるようになっています。ロックを解除するには、初期登録用乱数表を使ってパスワードの再登録をしてください。ただしロックされたパスワードを再登録することはできませんので、別のパスワードを登録する必要があります。

 ロックというのは要するに鍵のことで、現実社会で鍵といえば何度でも自由に掛けたり外したりできるものだ。例えば自動車からキーを抜いて(ロックして)その場を離れても、戻ってきてまたキーを差し込んで回せば何の問題もなく使えるわけだ。

 ところが事例のテキストで説明されている「パスワードのロック」はそうではない。よく読むと、「一度ロックされたパスワードは、ロックを解除してももう使えない」という意味のことが最後の1文に書かれているではないか。このようなものをロックと呼んでいいのだろうか。

 「ロック」という言葉は一見すると感覚的な表現には思えないが、人にある種の印象を与える、先入観を与えるという点で、問題の性質は同じである。単なる数値のような無色透明な言葉でない限り、「ロック」のような名詞も感覚的な表現の一種なのである。従って、それが実際に適切な表現かどうかは注意深く検証しなければならないのだ。

 ではこの事例では、どう書けば最も誤解の余地なく伝わるだろうか。一例として、次のような案がある。

当システムでは、ログイン時に規定回数以上パスワードを間違えると、自動的にIDがロックされ、パスワードはブラックリストに載ります。IDのロックを解除するには、初期登録用乱数表を使って新しいパスワードを登録してください。一度ブラックリストに載ったパスワードは二度と使用できませんので、再登録するパスワードは新しいものでなければなりません。

 つまりこの案では、ロックされるのはパスワードではなく「ID」だとしたわけだ。IDならば「解除」が成り立つので、「ロック」という言葉を使っても問題ない。そしてパスワードには「ブラックリスト」という言葉を使った。こちらの方が、「一度載ってしまったら二度と使えない」という性質を表現するのにふさわしいだろう。

感覚的な言葉こそ論理的に使うべし

 以上の解説で、「感覚的な言葉を論理的に使う」ことの重要性をご理解いただけただろうか。

 通念とは逆に、感覚的な言葉の方が論理的な言葉よりもはるかに使用が難しいものだ。そして、実は感覚的な言葉を使うためにこそ、「徹底的に論理的に考え抜く」ことが必要なのである。

 ITエンジニアとしてさまざまな文書を書き、話をするに当たって、このことをわきまえて実践すれば、あなたの言葉は見違えるように分かりやすくなり、相手にうまく伝わるようになるだろう。

編集部からのお知らせ

来る9月30日(土)、オフラインイベント@IT自分戦略研究所 MIXを開催します。本連載の筆者である開米瑞浩さんも出演。皆さまのご参加をお待ちしています!

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。