第11回 階層と名前の不一致に注意する
開米瑞浩(アイデアクラフト)
2006/8/18
コミュニケーションスキルの土台となる図解言語。だが筆者によると、実はその裏に隠れた読解力、国語力こそがITエンジニアにとって重要なのだという。ITエンジニアに必須の国語力とはどのようなものだろうか。それを身に付けるにはどうしたらいいのか。毎回、ITエンジニアに身近な例を挙げて解説する。 |
■分類を表さない名前
前回「複雑な条件を文章で書くべからず」、前々回「メタ情報とサマリーで『伝わる』ビジネス文」の記事で、「こんな説明では分からない」10種類の失敗パターンを以下のように列挙した。
(1)メタ情報の欠落 (2)要点の分からない見出し (3)複雑な条件の文章表現 (4)分類を表さない名前 (5)過剰な言い換え (6)対称性のない表現 (7)指示代名詞の多用 (8)相互関連の分からない個条書き (9)時系列の乱れ (10)語感と実感のミスマッチ |
今回はこの4番目、「分類を表さない名前」を紹介しよう。
なお、本連載の第1回、「名前にとことんこだわるべし」でも関連のテーマについて書いているので、未読の場合はそちらも参考にしてほしい。
■「名前」と「名前が表す概念」の対応関係に気を付ける
例えばシステム開発をする場合は、画面や入力欄、手続きに名前を付けなければならない。さらにプログラム言語上の識別子として使う名前が別に必要になることもある。そんなわけで、IT関係の仕事をしていると、新しい「名前」を考える機会がほかの仕事よりも多くなる。
常識的には、「名前」はそれぞれ何らかの概念を表すものである。従って、「名前」とそれが表す「概念」とはできるだけ1対1に対応していることが望ましい。例えば「トラ」という1つの言葉がネコ科の動物を指すこともあれば、某プロ野球球団を指すことも、酔っぱらいを指すこともあるというのはありがたくない。
とはいえ、あらゆる名前とその概念を1対1に対応づけるのはもちろん現実的でない。言葉は生き物であり、さまざまな文脈の中で意味を持つ。その意味を一義的に固定することは不可能だし、するべきでもない。
しかし、できる範囲で名前の扱いは慎重に、細心の注意を払って行いたい。人間は「名前」を使って考えるため、名前の付け方が概念の理解と思考に与える影響は大きいし、一度名前を付けてそれが定着してしまうと後で変えるのは難しい。安易に考えてはいけないのだ。
■名前は価値観に従属する
ここで若干変わった話題を考えてみよう。
以前の共産党時代の旧ソ連では党の最高指導者の役職は「書記長」だった。日本語で「書記」といえば、単に文書を記録する事務官という印象である。それなのに日本なら「党総裁、党首」に当たる最高権力者を「書記長」と呼ぶのはいったいどうしてなのだろう、というのが私には長いこと疑問だった。
最近それに興味を持って調べてみたところ、少なくともその理由の1つとして、(1)どうやら共産党の文化において「権力は人民にある。党幹部はその権力を預かっているにすぎない」という建前があるらしいということが分かった。ほかにも(2)ある大物指導者の前例を踏襲した、などいくつかの理由はあるものの、(1)の理由、つまり「(建前の)価値観との相性の良さ」も1つの要因であることは十分考えられる。
ここに名前のズレが起きる理由の1つがある。つまり、「人(組織)はその価値観に沿った名前を付けたがる」ということだ。
例えば、最近の自動車に搭載されつつある高度な運転制御システムの例で、下記のような機能があったとしよう。
このシステムは、前方車両との間の車間距離を認識し、一定の間隔を保つように自動的に速度調整を行います |
これに名前を付けるとしたら、背景にある価値観によって3種類ぐらい考えられる。
「運転者にとって快適な車を提供したい」という価値観 →ドライバー・サポートシステム 「安全性の高い車を提供したい」という価値観 「高級・高品質な作り込みをアピールしたい」という価値観 |
同じものを別な組織が別な名前で呼んでいる場合、それは組織による「価値観の違い」を示唆している可能性がある。そうした点からも名前の違いには注意したい。
■名前は歴史に従属する
もう1つ技術的ではない例を考えよう。
日本をはじめ世界の多くの国では、外交を所管する組織を「外務省(Ministry of Foreign Affairs、つまりForeign が付く)」と呼んでいる。しかしアメリカではなぜか「国務省(Department of State、つまり Foreign が付かず、本来は内政を扱う省名)」が外交を扱うことになっている。これはいったいどうしてなのか。
これには歴史的な理由がある。そもそもアメリカ建国当初、最初に作られたのは「外務省」だったが、すぐにその名前は「国務省」に変更され、非常に幅広い仕事を扱うようになる。要するに「仕事ができたら取りあえず国務省に置いておけ」的な、何でもありの省だった。
その後、行政機構の整備が進むに従って、内政の仕事はすべてそれぞれ専門の他省庁に移り、国務省には外交業務だけが残った。しかし名前だけは現在も「国務省」のままで外務省の仕事をしているというわけだ。
ここに名前のズレが起きるもう1つの理由がある。つまり、「名前は歴史に従属する」ということである。
例えばライト兄弟が発明した当初は1種類しかなかった飛行機も、現代では小型・大型、旅客・貨物、民間・軍用などなどさまざまなモデルがあるように、たいていの場合、概念は時代が進むとともに多様化し、細分化されていく。このため、過去に付けて定着した名前が、時代の変化とともに実態と合わなくなることがある。
例として、「PC用インターフェイス」の説明でどんな名前が取り上げられているかを見てみよう。下記は、一般的なIT用語の説明としてよく見られるものである。
パラレルインターフェイス:複数の信号を並列的に伝送するもの。セントロニクス方式が代表的 シリアルインターフェイス:信号を直列的に伝送するもの。RS-232Cが代表的 IrDA:赤外線を使ってデータ交換をするための規格 Bluetooth:無線通信によりデータ交換をするための規格 USB:キーボード、マウス、モデムなどを統一的に接続するための規格 |
こうした用語の説明にも、「名前は歴史に従属する」という一面を見て取ることができる。試しにインターフェイスの種類をまじめに分類してみると、大体以下のようになる。
図1 PC用インターフェイス
図中、黄色の部分は例文2で取り上げられているものである。
IrDAやBluetoothが末端の規格名であるのに対して「パラレル」「シリアル」は本来末端ではなく分類を示す名前である。しかし例文2ではそれらが同列に列挙されている。これはなぜかというと、「パラレル」は事実上セントロニクス方式の意味で、「シリアル」は事実上RS-232C方式の意味で使われているからだ。
実際、昔のPCではほぼそう考えて間違いないという時代が長かった。それが現代に至って、USBのようにRS-232Cとは別のシリアルインターフェイスが普及しても、定着した名前はなかなか変わらず、単にシリアルといえばRS-232Cを指すわけである。ちなみに「無線」も言葉自体の意味からすれば赤外線も含むはずだが、事実上「電波」の意味で使われているのもお分かりだろう。
■名前と概念分類の対応関係をツリー構造でチェックしよう
図1のようなツリー構造は、概念を分類するときに非常によく使われるもので、汎用性が高い。要するに大分類→中分類→小分類と詳細化・具体化していけばいいわけだから、作るのも簡単だ(少なくとも簡単そうに見える)し、読む方は間違いなく簡単だ(要するにロジカルシンキングでいうロジックツリーの一種である)。
そこで、ある分野で複数の概念のバリエーションを扱うような場合、一度はそれらをツリー構造に整理して、うまく名前と概念の対応関係が取れているかどうかチェックすることをお勧めする。
「複数の概念のバリエーション」とは、「AがBとCに分かれ、CがさらにDとEに分かれ……」といった具合に、ある大きな概念が細分化されて複数の概念が生まれた状態をいう。こういう場合は「名前は歴史に従属する」という性格が出やすく、ズレが出ることが多いのだ。
■法律の分類を例に名前の付け方を練習する
ちなみに、法律はその適用対象をさまざまに分類していることが多く、さらにその分類がツリー状になっていることが多い。しかしその分類およびネーミングがあまりスッキリとできていないケースがしばしば見られる。そのため、法律を読んでもアタマが痛くならない方なら、適当な法律をネタに名前の付け方を練習する方法もある。
例として道路交通法での「車両」に関する分類の構造を見てみよう。
図2 道路交通法の車両分類
ツリー構造を作る場合、本来、ツリーの同じレベルでは抽象度が同じであることが望ましい。その観点で図2の「2層目」を見てみると、「軽車両」に比べてほかの3項目の抽象度が低いように思われる。もし「軽車両」という分類があるのなら、それに対応して「重車両」という分類があった方がスッキリするという考え方もありそうだ。
例えば「軽車両」と同列に「重車両」を作り、「自動車、原付、トロリーバス」の3つをその下にぶら下げてみると、「原付は馬車より軽いだろうにそれでも重車両でいいのかな?」など、疑問がわいてくるかもしれない。
実際のところいくらツリーをいじってみてもネーミングに正解はないし、どこかでエイヤと割り切ってしまわなければいけないのだが、そこまでの過程でさまざまな試行錯誤をして「良い名前」を考えることで、これらの概念の「意味」をより深く把握することができるようになる。
ちなみに参考までにいうと、「軽車両」には「主に人または動物の力により推進する車両」という意味合いがあるため、いわゆる原付は軽車両には入らない。分類名を試行錯誤して考えることによって、そんな意味を発見することができる。
同様に1層目に注目すると、「車両」と「路面電車」も少々抽象度のレベル感が違う。路面電車の方が具体的過ぎるようだ。実は「車両」と「路面電車」の違いは、線路(軌道敷)を走るかどうかにある。それを考えると例えば「軌道車両」対「非軌道車両」という分類にして、「軌道車両」の下に「路面電車」をぶら下げるとスッキリした分類になる。
ちなみに「非軌道車両」の代わりに「無軌道車両」のような名前を考えると別な印象を与えてしまい、なかなか笑えることになる。これに限らず、名前を考えて試行錯誤する過程ではいろいろと「冗談のような名前」「間抜けな名前」「危ない名前」が出てきて意外に楽しいし、実際それを通じてボキャブラリーや抽象概念の操作能力も磨かれていくものだ。
たかが名前、されど名前である。本連載第1回でも力説したように、「名前」にとことんこだわること、それがITエンジニアの国語力向上の第一歩なのである。
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