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@IT > PR:最前線で必要なスキルとキャリアを知る! 企業PR編 |
企画:アットマーク・アイティ人財局 制作:アットマーク・アイティ編集局 掲載有効期限:2003年11月30日 |
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システム開発を究めたいエンジニアの選んだ道
■学生時代からエンジニアを 鎗居氏の大学時代の専攻は制御システム工学で、主に計測機器を扱っていた。とはいっても、大学進学時にシステム工学やコンピュータ分野に興味があったのではなく、「数学などが得意だったので理系に進みたかった」だけだという。工学部で最初に学んだ言語はFORTRAN。それからロボットなどを扱う過程でアセンブラなどを学び、そのころからプログラミングを面白く感じていたという。 鎗居氏が大学4年生になったのは、まさに「就職氷河期」時代のこと。どの企業も不景気のあおりで新規採用を控え、就職活動を行う学生に大きな影響を与えた。彼女もその1人で、「自分単体でも売れるような(生き残れるような)技術を身に付けたい」と、将来自立できるような道を歩もうと考えた。そこで選んだ就職先が、中堅ソフトハウスだった。
■流通業のシステムからスタート 鎗居氏がその中堅ソフトハウスに入社した当時は、社員数約300名程度で、開発プロジェクトの二次請けを行う企業だった。 入社当初に「PowerBuilder」(Powersoft)やOracle DBの講習を受け、業務知識をゼロから学んでいった。鎗居氏は、「Windows 3.1が使われ始めた時期で、新しい知識やスキルの習得は、外部の講習会などが頼りでした」と、当時を振り返る。 最初に手がけたプロジェクトは、POSレジと連携するコンビニエンスストアの商品分析や在庫管理のシステムだ。このプロジェクトでプログラマとしてシステム開発に携わることになる。「最初の1年はがむしゃらに新しいことを学び、とにかく頑張りました」 ■2年目のプロジェクトで開発リーダーに プロジェクトの周期は、多少のオーバーラップはあるものの、約1年単位。開発チームは、パートナー会社のメンバーを含めると約10人弱といった規模だったという。2年目に携わったプロジェクト(やはりコンビニエンスストアにかかわるプロジェクト)では、プロジェクトのサブリーダー、実質的にはリーダーの下で開発にかかわる部分を統括する開発リーダーとなった。 「リーダーからは『開発の部分は任せたよ』といわれました(笑)」という。入社2年目の段階で彼女の肩に、主要な部分の開発という任務が課せられることとなった。 しかし、それを“重荷”と感じず、ひたすら前向きにとらえていたようだ。そこでも彼女は新しい技術などを率先して学び、それを後輩やパートナーへ伝授することが多かったという。 技術を学ぶ手段としては、書籍やドキュメントを読むだけでなく、外部講習へも積極的に通ったという。会社の理解もあり、申請すれば承認されることが多かった。「当時名古屋でしか開催されていない講習があり、3日間も日帰りで東京から名古屋に通ったことがあります。そのときはさすがに大変でした」と、鎗居氏は笑いながら当時のエピソードを語ってくれた。名古屋への出張は、日帰りが原則で、宿泊が認められなかったためだが、新しい技術をいち早く身に付けたい必死の思いが伝わるエピソードだ。 ■新しいことを吸収することが楽しい 先ほどの2つのプロジェクトを含め、5年間ほど主に流通業の商品管理システムに携わり、その後、金融業のシステムに携わることになる。当時の苦労を鎗居氏に聞くと、「最初の打ち合わせで、まったく分からない金融業特有の単語が飛び交っていましたが、理解しているような顔をしていました。答えに困る質問には、『持ち帰って検討させていただきます』と返すこともありました」(笑)。そしてオフィスに戻っては、金融関連の書籍を読みあさったり、会社の先輩などに質問したりしていたという。 なじんだ分野から異なる業務分野に移る場合、エンジニアにはかなりのプレッシャーになる。それまでの業務知識はほとんど役立たず、新たにゼロから学んでいかなければならないことが多いからだ。しかし、鎗居氏はそれほど精神的な疲れを感じず、むしろ良い刺激になったという。「もともと、上司には『新しいことをやりたい』といっていましたから」というように、担当分野の変更は本人の自発的な願いだったというから恐れ入る。
さらに異なる業務分野に移ってよかったのは、かかわれる工程が広がったことだ。それまでの流通業のプロジェクトでは、元請け会社が詳細設計までをまとめたうえで、鎗居氏の会社に発注していたが、金融業のプロジェクトに移ってからは、それまでと異なる元請け会社になり、要件定義も含めて行う必要があったからだ。 詳細設計後に開発だけ行うのと、設計や要件定義のヒアリングなども合わせて包括的に開発にかかわるのと、どちらがやりやすいかを鎗居氏に聞くと、断然後者だそうだ。「私はすべて納得したうえで、開発作業にあたります。お客さまの顔を直接見ながら要件を聞く方が、やることは増えますが私には合っています」。 鎗居氏は、最初の金融業のプロジェクトでJavaと出合う。ある証券会社のプロジェクトの約定システムで、Webを使って処理をしようというものだった。「流通業界と比べて金融業界では新しいシステムへの興味が高かったですし、当時のトレンドという後押しもあり、WebベースのシステムということでJavaでの開発を行うようになりました。Webブラウザを使っているのに表計算アプリケーションのような使い勝手やチャット機能が要求されたこともありました」。ここでJavaの面白さに引かれ、ひたすら独学で学んでいった。 ■転職を思い立った理由 鎗居氏が中堅ソフトハウスでエンジニアとして働いて8年たったころ、会社の開発環境の問題が目につくようになったと鎗居氏はいう。「せっかくプロジェクトをこなしても、そこで得た新しい技術やノウハウを蓄積するという仕組みや習慣が社内にないのが残念でした」。彼女は社内でノウハウを蓄積し、共有することの重要性を強く感じていた。 さらに、自分自身の将来のキャリアについて考えるようになった。「このままでいくと、30歳代中ごろにはシステム開発の最前線から抜けて管理職になる道が見えてきました。それはそれで悪くはないのですが、いまの会社で管理職になっても『井の中の蛙』になってしまうのではないかと心配でした。私としてはまだまだ技術を高めていきたかったのです」。 鎗居氏は「技術者として常に進化していたい」という。管理職となれば技術的なことから離れてしまうため、技術者としての成長が止まるのを避けたいと思ったという。 ■退職までプロジェクトに専念 このまま同じ企業で働くことへの技術的、キャリア的閉塞感から、鎗居氏は転職への決意を固める。会社による引き留めもあったが、2002年春に退職することが決まった。「キレイに辞めることを優先にしていました。進行中のプロジェクトに区切りがつくまでの間は、転職活動はしませんでした。中途半端な転職活動では、よい結果を生まないと思ったからです」とのことで、退職するまで継続中のプロジェクトに専念。 そのため、転職先を探し始めたのは退職してからになる。何件かコンタクトを取ったが、最終的にアクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズを転職先として決めた。 鎗居氏の選んだアクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズとはどんな組織なのだろうか? アクセンチュアでは大規模なITプロジェクトを多く抱えるため、コンサルタントだけでなく、技術者の拡大が急務となった。そのため、システム開発のエキスパート集団としてアクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズを設立することになったのだ。
コンサルティング・ビジネスを事業の中核とするアクセンチュアとの違いは、技術者集団だという点にある。アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズはコンサルタント集団ではなく、あくまでも技術を追求する組織だ。そのため、キャリアパスにはコンサルタントへのパスはなく、エンジニアとしてのキャリアパスがあるのみだ。 ただし、高度な技術者を求めるといっても、技術だけに終わらない技術者を求めているのは当然のこと。技術者といっても趣味ではなくプロの集団である。背景にはビジネスがある。システム開発に対し、プロとして自分の持つ技術を提供できる「地に足の着いた」技術者を、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズは求めているのだ。鎗居氏が転職先として選んだのは、そんな“プロの技術者”を求める会社だったのだ。 「アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズの面接では、技術的な背景に関する質問がとても的確でした。面接官から私のことを知ろうとする真剣な態度や、採用することへの意欲も伝わってきました。また、彼らがプロジェクトにおけるシステム開発の重要性をよく理解していることにも共感しました」。 鎗居氏は退職後約3カ月間を経て、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズに転職した。 ■互いに高めあうことができる職場 鎗居氏は、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズに入社して数カ月になる。現在の段階で、以前の会社と比較してもらうと、プロジェクトの規模がケタ違いに大きくなったという。職場環境としては、同僚に恵まれているそうだ。「とても高い技術力を持つ同僚に囲まれているので、本当によい刺激になります。何気ない日常会話でも知識が増えていきます。互いの得意分野が少しずつ異なるので、話題は常に新鮮で貴重なことばかりです。ここにはエンジニア同士が互いに高め合うことができる魅力があります。同僚との相性も良いせいか、居心地がいいです」 しかし、だれもがアクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズという組織と相性が良くなるわけではないだろう。そこで、どんなエンジニアならば相性が良いと思うかを鎗居氏に問うと、「前へ前へと出ていこうという積極的な気持ち、自分の技術に自信がある人、自分を高めていきたいという意識を持つ人ではないでしょうか」と答えてくれた。 さらに筆者が感じたのは、“タフさ”だ。もちろん、鎗居氏の話を聞くとかなりタフだと分かる。以前の会社ではかなりの残業をこなし、プロジェクトの佳境期には、徹夜続きだったという。しかし、どんなにそれが大変でも、鎗居氏は「すべてが通り過ぎれば笑い話になっちゃいます」と、あっけらかんとしている。つまり、体と精神のタフさが、難関プロジェクトを次々とこなせる秘けつなのかもしれない。 ■指名されるくらい特定分野を究めたい
当面は技術習得に力点を置くことが目標だという。「将来は『○○なら鎗居に』と指名されるくらい、何かの分野を究めたいと思います。現時点でのそれは、金融系Webシステムを構築するためのアーキテクチャになるのではないかと思っています」。 さらに彼女は、技術者として技術を深めていくだけではなく、コンサルタントのようなコミュニケーションスキルやプレゼンテーションスキルといったものも習得したいと思っている。それは、コンサルタントを目指すからではない。あくまでもエンジニアとしてのスキルとして学んでいきたいという。 最後に、エンジニアとしてのゴールを聞くと、「特にありません」との答え。これは逆にいうと、将来の目標は青天井だということだろうか。それこそが、彼女の技術へのあくなき探究心を表しているように思えた。 「ここまでエンジニアを続けてこられたのは、まずエンジニアが自分の性に合っていたからだと思います。また前の会社でも日々新しいことを学び、人間同士の交流もあり、それなりに充実した8年間でした。結果的に退職した訳ですが、前の会社での8年間があるからこそ、次のステップにつなげられたのだと思っています」 システム開発のプロフェッショナルとして、鎗居氏は新たなステージに第一歩を踏み出したようだ。 ■鎗居氏を選んだ理由とは?
実際に彼女の最終面接を行ったのは、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズの社長である安間裕(あんま・ゆたか)氏だ。安間氏に、鎗居氏を採用した理由と、求める“プロの技術者”について伺った。 採用面接の場を仕切られたのは(鎗居さんが)生まれて初めてでした(笑)。そういった仕切り上手な人がエンジニアをやっているのは貴重です。それだけでなく、彼女は技術的な背景もしっかりとあるという「バランスのよさ」が採用の決め手になりました。それからバイタリティの高さも魅力ですね。 弊社の採用基準としては、システム構築の経験があることと、技術なら少なくともデータベースは押さえておいてもらいたいですね。これは、論理設計、物理設計ともにです。欲をいえばERPなどのパッケージ経験があるとなお良いです。また、基盤の知識も充実していると良いですね。資格の有無については、あまりこだわっていません。 私たちが求める“プロの技術者”というのは、「(プロジェクトで)モノを作っている自分たちは偉いんだ」というプライドを持ち、同時に「自分の技術でお客さまの役に立っているんだ」という自負心を持っている技術者です。どんなに優れた戦略を描いても、システムを構築して、稼働しなければ価値はない。ビジネスの成功の鍵を握るのは、私たちエンジニアなのです。そんなプロフェッショナルなマインドを共有できる方にぜひ集まってほしい。 ただし、自分のプログラムの完成度に固執しすぎてしまうようなタイプは必要ありません。よくソースの美しさにこだわりを持つエンジニアがいますが、私たちがこだわるのは期日どおりにシステムが稼働することです。それができて初めて、お客さまから評価されるわけです。その点を理解しているエンジニアが開発現場に求められています。 アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズの社員には、どこか突出した分野をもつエンジニアになってもらうまで技術を究めてもらいたいと思っています。鎗居さんであれば、仕切り屋気質を生かしたプロジェクトマネジメントかもしれません。 手に職をつければエンジニアは絶対に滅びないと思います。そして目的意識を持つこと、自信を持つこと、こういったことがエンジニアを続けるうえで重要な要素となるでしょう。
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