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必要とされるキャリアとスキルを追う!

第4回 独立、さらに起業が目標だった

加山恵美
2006/3/15

いま、現場で求められているキャリアやスキルは、どんなものだろうか。本連載では、さまざまなITエンジニアに自身の体験談を聞いていく。その体験談の中から、読者のヒントになるようなキャリアやスキルが見つかることを願っている。

 独立への意欲はもとから高かった。就職してから「10年後には独立」と目標を掲げ、ITエンジニアで経験を積んだ。10年は越えたが、11年後に独立。就職してから14年目となる今年は法人化し、本格的に会社経営に踏み出そうとしているpluSH(プラッシュ)代表の佐伯健二氏に、これまでのキャリア、スキルを伺った。

将来は「何か作りたかった」

 最初に触れたコンピュータはMSX。兄が使っていたという。中学や高校時代はMSXのBASICで簡単なゲームを作ることも。コンピュータのほかにプラモデル作りも趣味の1つだった。こうしたプログラミングやメカに触れる経験が、その後の佐伯氏に少なからず影響を与えているのだろう。

 高校生だった佐伯氏は進学先を考えるに当たり、デザインかコンピュータ関係の学校に進もうと考えていた。当時はデザイン関係へも強い意欲があり、デザイン関係の専門学校に体験入学もした。だが体験入学で、周囲が持つデザインの才能に圧倒され、おじけづいてしまったという。「あのころは自信を喪失してしまうことが重なりました」と佐伯氏は述懐し、苦笑した。

 そこでもう一方の候補だったコンピュータを選ぶことにした。専門学校に入り、本格的にコンピュータの勉強を始める。COBOLなどのコンピュータ言語を学び、情報処理技術者試験のうち、第2種情報処理技術者(当時)にも合格した。就職先を決めようとしたころは1990年代に入ったばかりで、就職戦線は売り手市場。就職先に困ることはなかった。

 当時なら希望すれば大企業にも難なく入れたかもしれない。だが佐伯氏はそうしなかった。「小さいところ」を優先したという。理由は「いろんなことができそうだから」。小規模な企業で手広く経験を積んで将来に生かしたいと考えていた。

新人研修は新聞との格闘の日々

 就職して間もないころに、すでに佐伯氏は「10年後をめどに独立する」という構想を思い描いたという。大企業ではなく小規模な会社を選んだのも、独立志向がそうさせたのかもしれない。

pluSH(プラッシュ)代表の佐伯健二氏

 同期入社は3人。同じように専門学校を卒業した面々だった。3カ月間の新人研修では独特な課題が与えられた。とはいえ特殊なカリキュラムではなく、むしろ地味ともいえる。少数ならではの温かみもあった。

 小さな会議室が新人の勉強部屋だった。上司は日本経済新聞を読んでレポートをまとめるようにと指示した。

 「隅から隅まで目を通してレポートにまとめました。1日の半分以上も費やし、ずっと新聞のあらゆる記事を理解しようと努めていました」

 就業時間を8時間とすると、優に4時間は新聞と格闘していたことになる。記事で分からないことがあると、新人の世話役だった上司が「そんなことも知らないのか」とからかいながらも丁寧に教えてくれたという。この新聞をみっちり読む経験を通じ、生きた経済や社会を学んだ。

 「新人研修で新聞を読む習慣が根付き、株の動きもよく見るようになりました。研修を通じて読解力と文章作成力など、文系の能力を強化することができたと思います。それ以降のドキュメント作成やプレゼン(プレゼンテーション)に役立ちました」

 新人研修だけではなく将来の自分の糧になることを考えると、佐伯氏はいい会社を選んだのだろう。本人も「仕事と上司には恵まれました」と話している。

 本格的に仕事が始まると、ある先輩社員の下に配属された。佐伯氏はその先輩の傍らで仕事をこなしながら、技術の知識や開発のノウハウを吸収していった。一緒に仕事をして3年ほど過ぎたころ、その先輩は会社を去り独立した。このとき、佐伯氏は先輩についていくか、または会社に残るか、少し悩んだ。いつか会社を卒業し独立するという希望はあったものの、まだ3年目なので時期尚早と判断して先輩との合流は見送り会社に残った。

自分のプログラムの近くで事件発生

 社会人5年目、佐伯氏にとって生涯忘れられない事件が起きた。とはいっても、はるか遠い海外で起きた事件である。

 中国の北部に敷地面積が数キロ四方にもなる広大な石炭プラントがある。そこには石炭運搬専用のコンベアがあり、試運転中は昼間のみ稼働させることになっていた。だがいつからかユーザーの事情により夜間操業が行われるようになり、そこに侵入者がコンベアに紛れ込んでしまった。密航者か何か、追われる身だったようだ。プラントのオペレータは暗がりで侵入者に気付くことができなかった。

 もともと夜間運転すら行ってはいけなかったのに、石炭専用のコンベアに人間が乗るなどはまったく想定していなかった。当然ながらコンベアは人間が乗るように設計されていない。不正侵入者は残念ながらプラント内で命を落してしまったという。

 翌朝、その事件を伝え聞いて佐伯氏は凍りついた。実はそのコンベアを稼働させるシステムの起動指令を出す部分のコーディングは、佐伯氏が作成したからだ。とはいえ、責任はない。だがショックだった。自分が作成したプログラムが稼働するすぐそばで、誰かの運命が尽きてしまうとは。

 防ぐ手だてはなかったのか。例えば、石炭以外のものが乗っていないか判断するフラグなどを盛り込めなかっただろうか。しばらくはそんな模索が頭から離れなかった。この事件は深く記憶に刻まれ、仕事に対する考え方も変わった。

 「人の命を預かる仕事です」と佐伯氏はいう。

 普段はパソコンに向かいながらコーディングをしているだけだが、プラントのシステムは現場にいる人命をも左右しかねないと思い知らされた。「人の命を預かっているんだ」という責任感を信念として抱くようになった。

   

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