第8回 やりたいことを実現する方策を考えよ
下玉利尚明
2006/9/23
いま、現場で求められているキャリアやスキルは、どんなものだろうか。本連載では、さまざまなITエンジニアに自身の体験談を聞いていく。その体験談の中から、読者のヒントになるようなキャリアやスキルが見つかることを願っている。 |
ブログやソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に代表されるユーザー参加型メディアを、ヤフーでは「ソーシャルメディア」と位置付け、そのコンセプトに基づいた新たなサービスの提供を模索している。同社でソーシャルメディアの戦略的な展開のかじ取りをしているのが、ソーシャルネット事業部 企画部の寺岡宏彰氏である。寺岡氏が、どのような経緯でいまのポジションに就いたのか、いかにして「自分のやりたい仕事」を実現してきたのかを紹介しよう。
■大学生時代に、「男子一生の仕事」と心に決めた
ヤフーが運営するポータルサイトのYahoo!JAPANのビジネスモデルについて、寺岡氏はこう語る。「これまでのYahoo! JAPANは、いわば『インターネットマスメディア』のサービスに注力してきました。1人でも多くのインターネット利用者をポータルサイトに呼び込み、圧倒的なページビューを背景に広告収入を得る。インターネット上でのマスメディアというビジネスモデルだったのです。ところが、ソーシャルメディアはまったくコンセプトが違います」
ヤフー ソーシャルネット事業部 企画部 寺岡宏彰氏。大学のときインターネットに出合い、「インターネットは『男子一生の仕事』と直感」したという |
寺岡氏によれば、ソーシャルメディアは一般のインターネット利用者から寄せられた「クチコミ的」な情報を編集することで、「大多数の人には価値のない情報でも、ある特定の人には非常に価値の高い情報を的確に届けたり、多くの人にとって価値がある情報を特定の人ではなくみんなで決める仕組み」だという。そのうえで「メディアとして総合的に価値が高まっていく」というのだ。
「インターネットにおけるサービスはいま、大きな変革のとき、新しいパラダイムが広く浸透する条件が整ってきた。そこでもYahoo!JAPANは、ナンバーワンを目指す」(寺岡氏)。その先陣を切って、ソーシャルメディアに関連したさまざまなサービスの企画・開発を手掛けているのが寺岡氏なのだ。
さて、そんな寺岡氏はどのような経緯で、現在の業務に携わるようになったのだろうか。実は寺岡氏、いわゆるITエンジニアではない。大学生のころは、作家を目指していたという。
そんな寺岡氏がインターネットと出合ったのは大学4年生のとき。当時を振り返り「その瞬間、インターネットは『男子一生の仕事』と直感しました。いま、真剣に取り組まないと一生後悔する。そこで卒業して就職せず大学院に進学したのです」(寺岡氏)という。
■大学院時代にSIerを訪ねて直談判
大学院に進学した寺岡氏は、そこでネット上の集団の力を利用した「おすすめ」の仕組み、つまりリコメンデーションサービスのアルゴリズムの研究に打ち込んだ。同時に、「自分がインターネットを志したのは、これによって多くの人たちのライフスタイルをよりよくできると思ったから。その気持ちも忘れたくなかった」(寺岡氏)という。
そこで寺岡氏が取った行動はかなり大胆だった。大学院の先輩や仲間と一緒にある小さなシステムインテグレータ(SIer)を訪ねていって、「インターネット事業部を立ち上げましょう」と直談判したというのだ。「大学院でリコメンデーションのアルゴリズムの研究をして、その仕組みを活用していまでいう『ソーシャルブックマークサービス』の原型のようなオリジナルサービスを提供できないかと考えたのです。その甲斐があってそのSIerにインターネット事業部ができ、そこで学業の傍ら、アルバイトをするようになった。インターネット事業部は独立採算だったので、事業の傍ら日銭を稼ぐために(笑)、そのほかのシステムの受託開発などもやりました」(寺岡氏)
大学院を卒業してしばらくして寺岡氏は、仲間3人と起業し、本格的なビジネスを開始した。基本的には先のSIerのインターネット事業部が発展した感じだったという。寺岡氏によれば、当時はリコメンデーションの仕組みを活用したオンラインブックマークサービスを自身は「サーチエンジン」としてとらえていたという。
つまり、自分の「お気に入り」を公開し、それが数多く集まると「こんなことに興味のある人はこちらもいかがですか」「あなたと同じ興味を持っている人がいますよ」と、情報や人が出会える場を生み出すことができる。そこで新たな情報や人脈を探し出す可能性が広がる。
「コミュニティベースサーチと考えていました。そのコンセプトを大手通信会社や総合商社に持ち込み、新規ビジネスとしてコンセプトの立案からシステムづくり、運用までを手掛けていたのです。ベンチャー企業でしたが、パートナーとなった企業は大手が多く、新規事業の立ち上げをいくつも行いました」(寺岡氏)
当時の寺岡氏の心にはいつも「世の中に存在しないサービスをつくり出し、人々のライフスタイルを変えたい」という思いがあったという。その強い意志で寺岡氏は自らのキャリアを切り開いていった。その意志の強さが現在の成功へと結び付いているといえるだろう。
■入社前からやりたいことは明確に
さて、大学院卒業後はベンチャー起業家として成功の道を歩み始めていた寺岡氏。だが、なぜYahoo!Japanに次なる活躍のステージを求めたのだろうか。「起業してから3年ほどしたころ、SNSの原型のようなサービスを目にしたのです。オンラインの名刺交換サービスで、例えばもらった名刺の人の部署や肩書きが変わったりすると、自動的にアップデートがかけられるというものでした。自分の中では、そのサービスを知ったときに、それがコミュニティにまで発展するかもしれない、情報交換や人との出会いが生まれると、いまでいうSNSと同じような可能性を見いだしたのです」(寺岡氏)
寺岡氏がイメージした世界はほかにもあった。「数十万人のコミュニティをつくって、オンラインで名刺交換できるといった次元の話ではありません(笑)。いままで世の中にはなかったサービスとして、数百万人から1000万人が交流するサービスをつくりたかった。でも、それはさすがにゼロから自分たちだけの力でできるわけがない。そこで、ヤフーの門をたたいたのです」(寺岡氏)
つまり、寺岡氏はヤフーに入社したかったのではない。ヤフーに入る前からすでに「自分のやりたいこと」が決まっていたのだ。もっというならば、「インターネットこそ男子一生の仕事」と心に決め、1000万人規模で人々が参加するインターネット上の新サービスを自分の手でつくり出すという確固たる信念があったといえる。
「もともと大学院時代に研究したのはリコメンデーションのサービスでした。ただし、リコメンデーションはあくまでも機械が自動的に応えてくれる『おすすめ』です。それにはやはり限界がある。なぜなら情報とは『人がもたらしてくれるもの』だからです」(寺岡氏)
考えてみれば寺岡氏が指摘するように、テレビや雑誌で推奨されている商品よりも「クチコミ」で語り継がれる商品を手に入れたくなることは多い。例えば「占い」を考えてみたとき、機械の占いを信じて大きな決断をする人は少ないだろう。しかし、著名な占い師に人生の決断を委ねる人はいる。「人が何か新しいアクションを起こすとき、そこには誰か人の影響があると思います。人間の意思決定に何かしらの影響を与えるのはやはり人なのです。その視点に立てば、リコメンデーションを機械でなく、人がする仕組みをつくる。SNSの根底にはそのコンセプトがあるはずです」(寺岡氏)
■仕事も就きたいポジションも自らの力で
ただ、寺岡氏は、ヤフーに入社してすぐに自分が暖めてきたコンセプトを実行に移せたわけではないし、現在のような業務に携われたわけでもない。「入社当初はシステム統括部という部署で、ヤフー全社のログインサービスやユーザーデータベースの構築などを任されていました」(寺岡氏)という。
そのときにも常に自分が本当にやりたいことは何かを見失わないところが寺岡氏の意志の強さである。「通常の業務の傍ら、四半期に1度くらいの割合で勝手に『R&Dレポート』なるものを書いて上司に提出していたのです。中身は主に自分がやりたいことを書き連ねていました(笑)。具体的にはSNSをベースにした、ソーシャルメディアの原型のようなものについてです。それからしばらくして、あるときYahoo!JAPANが全社を挙げてソーシャルメディアを戦略的に考えることになったのです。そのときから『寺岡、もうこれからはソーシャルメディアのことだけ、好きなだけ考えていいぞ』といわれたのです(笑)」(寺岡氏)
この寺岡氏の取り組みは、多くのITエンジニアも参考になるはずだ。例えば、上流工程の仕事がしたい、設計の仕事をやりたいというのであれば、いま、自分がその仕事に一歩でも近づくためには何ができるのかを真剣に考えてみる。そんな努力の大切さを教えてくれる。
大学院時代、ベンチャー起業家時代、そして現在まで、寺岡氏は常に確固たる目的意識を胸に秘め、その実現のためにいま何をすべきかを常に考えてきた。それは、Yahoo!JAPANで活躍するいまも変わっていない。「現在のSNSはただのインターネット上のコミュニティサービスでしかない。私が本当に取り組みたいのはSNSを立ち上げることではありません。SNSのコンセプトをYahoo!JAPANや外部の多くのサービスのインフラにすること。SNSをベースに検索エンジンが動いたり、オークションが展開されたりする。そんな仕掛けをつくっていきたいのです」(寺岡氏)
寺岡氏は、「インターネットは若いメディアで、壮大な実験場のようなものです。ソーシャルメディアという新しい実験に貢献してぜひ花開かせたい」という。寺岡氏はいま、何を見据えているのだろうか。
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