自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |


〜自分戦略研究所 転職者インタビュー〜
転職。決断のとき

第24回 「このままではいられない」から始めた転職

岩崎史絵
2005/4/22


転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおり仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由かもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断について尋ねた。


今回の転職者:小泉三郎さん(仮名・27歳)
プロフィール■教育大学で東洋史学を専攻したが、教職への道を進まず一般企業への就職を希望。「好奇心が旺盛だった」ことから、マスコミ、自動車、IT業界と幅広い会社の門をたたき、金融系のシステム開発会社へ就職。社内でさまざまな先輩と触れ合ううちに、仕事の進め方や自分の能力、今後の方向性などに思いをめぐらせるようになった。「外の世界を見てみたい」との動機により、転職活動を開始。@ITジョブエージェントを通じてやはり金融系システム開発会社へ転職し、あらためて「自分の能力と仕事と方向性」についてじっくり考えている。

就職時には好奇心が優先

 小泉三郎さん(仮名・27歳)は、「教育大学から一般企業に就職したまれな例です」と語る若手システムエンジニアだ。関西にある教育大学で、東洋史学を学んだ。教職にはさほど関心がなかったが、「昔から東洋史学に興味があったので、その方面で名のある大学に進学しました」ということだ。

 周囲の8割以上が教職への道を選ぶ中、小泉さんは“ゼロ免”と呼ばれる教職免状を取らないコースを選んだ。「もともと新聞記者に興味がある一方、研究を続けて大学に残るのもいいなと考えましたし、車も好きだったので、いろいろな選択肢を残したかったのです」(小泉さん)

 そんな好奇心旺盛な小泉さんが、大学生になって“ハマッた”のがコンピュータだ。小泉さんが大学に入学したのは、ちょうどWindows 95が登場し、「誰でもカンタンにインターネット」という内容のコピーがあふれていたころ。入学の半年後にPCを購入し、2年生に進級するときには趣味の域を脱していた。自宅にLANを組んだり、PCのパーツを買いに行ってカスタマイズしてみたり、友人から“オタク”扱いされることもあったそうだ。

 またパソコン通信のフォーラムに入り、東洋史関連の話題で盛り上がったり、好きな車の情報を得たり、ほかの趣味にも積極的に活用していた。

 大学4年生になり、周囲のほとんどが教職を選ぶ中、小泉さんは一般企業への就職を決意。新聞社、自動車メーカー、IT業界と、好奇心がおもむくまま会社訪問を続けた。「学生ということもあって、キャリアプランややりたい仕事などの具体的なイメージは描けず、いろいろな会社の面白そうな部分に引かれるままに活動していました」(小泉さん)

 大学の就職室はお世辞にも企業情報が十分とはいい難かった。教育関係の出版社やサービス企業の情報ならある程度そろっているものの、小泉さんが関心を持っていたマスコミ業界や自動車業界、IT業界の情報はあまりなかった。小泉さん自身、コンピュータに興味はあったが、IBMやNECなどメーカー系企業しか知らず、「Oracleやネットワーク系のベンダさんなんて、名前も聞いたことがありませんでした」という。

 そんな小泉さんが就職したのは、関西にある金融系のシステム子会社。入社時点ではまだ仕事内容の具体像を描くことはなく、ただ「3〜5年くらいたったら転職するのかな」と漠然と思ったそうだ。

ネットワーク/インフラ系技術の面白さに目覚める

 小泉さんが入社したのは2000年4月のこと。3カ月の新人研修期間中に基本情報技術者試験の基礎をたたき込まれ、7月からOJT配属された。最初の3カ月間は、ある施設の予約管理システムを開発している部署だった。ベースとなっているのはOracle Databaseアプリケーション。数カ月前まで“Oracleの名前も知らなかった”小泉さんだが、開発ツールのOracle Developer2000を習得し、PL/SQLでアプリケーションを書いた。初めての経験で勉強にはなったが、「どうもプログラミングは楽しめないな」(小泉さん)という思いも頭をかすめた。

 OJT終了後もプロジェクトは続き、Oracleの管理担当も兼任するようになった。2001年にテクニカルエンジニア(ネットワーク)の資格を取得。これを生かし、Oracleデータベース周りのネットワークの保守・運用にも手を広げるようになった。担当業務と関係はあるものの、基本的にはボランティアだ。

 「ところが、途中からネットワーク系の仕事の方が楽しくなってきたんです。プログラミングはどうも性に合わない。また直属の上司や周囲の人ともウマが合わなかったので、サーバダウンの対応やルータの管理など本業以外の仕事を一生懸命やっていました」(小泉さん)

 そんな日々が続いていた2002年11月、小泉さんは東京支社への異動を命じられた。異動先はネットワークソリューション事業部。「東京支社でネットワーク事業に力を入れていきたいから」という理由だ。

 仕事内容への興味と、ウマが合わない環境からの脱却。小泉さんは一も二もなく引き受けた。この東京支社への異動が、小泉さんのその後を変えることになる。

「このままでいいのか? 自分はどうしたいのか?」という声が

 異動先のネットワークソリューション事業部は、システム構成でいえばデータベース以下のサーバ、システム運用管理、ルータ、スイッチなどインフラ周りを扱う部署だった。学生時代、「自宅内にLANを敷いて喜んでいた」という小泉さんはインフラ系エンジニアの素質があったのだろう。関西時代よりずっと楽しんで仕事ができるようになった。

 転機が訪れたのは、2003年から2004年にかけて経験した2つのプロジェクトだった。小泉さんはこの2つのプロジェクトで、非常に対照的な2人の先輩と出会うことになったのだ。

 1人は親会社からの出向。いかにも金融会社の社員という感じで、かっちりと固い印象があるが、仕事の進め方は非常に効率的でスマートだった。もう1人はたたき上げのベテラン社員。仕事への取り組みも熱心だし、実力もある。だが仕事の進め方は、どちらかというと「行き当たりばったり、最後は徹夜してでも仕上げる」というものだった。

 会社に対する姿勢も異なる。出向社員である先輩は、やはり出向という意識があるせいか、会社や周囲に対して一歩引いているところがあった。一方ベテラン社員の先輩は、客観的に見て仕事の進め方には問題があるものの、その熱心さが買われ、社内では一目置かれる存在だった。

 冷静に判断すれば、仕事の進め方も時間の使い方も、出向社員の先輩の方がずっと見習うべき点がある。だが社内で評価されるのは、ベテラン社員の先輩のように“根性論”が根底にある仕事の進め方だ。小泉さん自身は、「スマートな仕事の進め方」と「意地でもやり遂げる根性」は両方とも必要なものだと思っていた。自分はどういうタイプのビジネスマンになりたいんだろう、と小泉さんは考えた。

 当時はちょうど“SE本”がはやり始めたころだった。「SEの業務内容」「上流工程に行かないとダメだ」「プロジェクトマネージャになるには」など……。興味だけで飛び込んだ世界だったが、周囲から「SEとは何か? どんな仕事なのか? どういう方向に行きたいのか? どんな仕事の進め方が理想なのか?」と、次々に質問を浴びせられている気になった。小泉さんは答えられない。自分の中にはっきりしたビジョンがなかったからだ。分かっているのは「このままこの会社にいても、仕事のやり方は合わないし、業務の幅を広げることはできない」ということだけ。

 では、どんな仕事がやりたいのか。どんなキャリアを積んでいきたいのか。その答えはどうしても見つからない。漠然とした不安感と焦りに包まれる毎日だった。

「外の世界を見てみたい」

 小泉さんが出した結論は、「取りあえず外の世界を見てみよう」というものだった。転職というはっきりした意思があったわけではないが、2004年9月に@ITジョブエージェントに登録。すぐに多数の人材紹介会社から連絡が来た。いくつかの会社のコンサルタントと会って話してみて、転職活動をキャリアコンサルタントの宮脇啓二氏にしてもらうことにした。

 学友のほとんどが教職に就いた小泉さんにとって、転職コンサルタントはよき相談相手であり、アドバイザーだった。「このままではいけない」という漠然とした不安や焦りを理解し、転職先についても的確にアドバイスしてくれた。「ネットワークならばこの会社が強い」という一般的な評価ではなく、会社の事業や仕事内容まで熟知したうえでのアドバイスだった。

 取りあえずという形で始めた転職活動だが、ある金融系のシステム開発会社に面接に行き、心を動かされた。小泉さんが興味を持っていたインフラ系ソリューションに注力しているほか、仕事の進め方や将来像が明らかに違った。当時勤務していた会社が「体育会系」の根性論をベースとするならば、面接した会社は「洗練された効率的な仕事の方法」が徹底されており、上司や先輩社員も公私の区別をしっかりつけた「ビジネスマン」だった。

 面接中は、その洗練された態度に「プライド高いな」と感じた小泉さんだったが、それまでと明らかに異なるビジネス文化に引かれたのも確かだ。「このままでいいのか?」という疑問から、「こういうやり方もあるのか」に考え方も変わった。加えて、給与額も当時勤務していた会社とは比較にならないほどよい。小泉さんの転職の意思は固まった。

元上司の“脅し”が実は……

 2004年12月末日、小泉さんはそれまで勤めていた会社を退職。だが「退職願いを出したら、直属の上司がひどく圧力をかけてきました」(小泉さん)。転職雑誌などで例が紹介されていることがあるが、実際に経験したのは初めて。上司が「そんないいかげんな態度が許されると思うか」と迫れば迫るほど、小泉さんの決意は固くなった。

 この話には後日談がある。とうとう退職が決まった小泉さんに、部署が送別会を開催してくれた。そのとき、小泉さんの上司がこう切り出した。

 「この会社が好きだからこそ、いつまでも在籍してほしかった。引き止めようと必死になって圧力をかけたが、君の意思は固いことが分かった。自分もこの会社のやり方がベストだとは思っていないが、会社を愛していることは確かだ。だから君が次の会社に行って新しいやり方や仕事を吸収したら、また戻ってきて、この会社をよりよい方向に変えてほしい」

 少々意固地になっていた小泉さんだが、「最後の最後で元上司のこの言葉を聞けて、とてもうれしかったです」と語る。

 転職して3カ月未満の小泉さんは、新しい会社の文化に慣れるのに精いっぱいといったところだ。しかし仕事の内容も社内の文化も、前の会社よりレベルが上だと感じることがたびたびあるという。「このままでいいのか?」という疑問から、ほかのいろいろな会社を見てみたいと転職活動を始めた小泉さん。「まだ確固とした答えは見つからないけれど、一歩踏み出せたのは確かです。将来、ひょっとしたら前の会社に戻って、自分と同じように悩める人に対し、新しいやり方や文化を広めていくかもしれません」と語る。

担当コンサルタントからのひと言
 小泉さんに最初お会いした際の印象は、誠実で、今後のキャリアをしっかりと考えていらっしゃる方というものでした。それ故に転職するしないということ以前に、前職の環境が自分にとってプラスなのかマイナスなのか迷われているという感じを受けました。

 そこで、ほかの方の事例や私自身のエンジニア時代の体験談などを交え、小泉さんが置かれている状況の善しあしを客観的に議論しました。その中で、転職する目的やメリットなどをあらためて明確にしていきました。

 転職ありきというよりは、前職でのボトルネックが解消でき、レベルアップが見込める企業であれば転職も考えるというスタンスでお手伝いをさせていただきました。

 ポテンシャルの高い方ですので、内定を得るまでは比較的スムーズに進んだ一方、その後の退職活動では苦労をされたようです。これも小泉さんが前職において高く評価されていたことの裏返しかと思います。

 今後ステップアップされる過程で、いろいろと苦労される局面も出てくるでしょうが、持ち前の前向きさと誠実さで、ぜひこれからもチャレンジし続けていただきたいと思います。

キャリアコンサルタント 宮脇啓二氏





@自分戦略研究所の転職関連の記事一覧
キャリアコンサルタントのアドバイス記事などを読む
転職事例の記事を読む
転職・退職時の注意点に関する記事を読む
自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。