〜自分戦略研究所 転職者インタビュー〜
転職。決断のとき
第27回 反骨心が支えたキャリアアップ
岩崎史絵
2005/9/15
転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおり仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由かもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断について尋ねた。 |
今回の伊藤宏幸さん(30歳) |
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プロフィール■新卒時の就職活動で、マスコミ業界を志望するも内定が取れず、そのまま就職浪人となる。アルバイトを続けながら新聞社を受験した際に、面接官に「ITのことも分かっていないくせに」といわれたことがきっかけで、就職先をIT業界へと方向転換。IT技術者を派遣している特定派遣会社に就職した。最初は「WordもExcelも使えなかった」が、面接時の悔しさをバネに、短期間のうちにUNIX、Linux、Windowsなどオープン環境のOSの知識とJava言語を習得する。プロジェクト内のチームリーダー、技術担当として活躍するも、「派遣という立場ではプロジェクトで成果を出すことが難しい」と判断。技術力のさらなる強化とキャリアアップを目標に、@ITジョブエージェントを通じて転職活動を開始し、金融業界に強い独立系システムインテグレータ(SIer)に転職する。 |
■新聞社の面接がIT業界へ入るきっかけに
伊藤宏幸さん(30歳)のキャリアを支えているのは、いい意味での「いつか見返してやる」という気概だろう。
今回話を伺った伊藤宏幸さん |
もともと伊藤さんは、新卒時にはマスコミ業界を志望していた。IT業界への就職はまったく考えていなかったという。実はIT業界に就職したころでさえ、「WordやExcelを使ったこともなければ、電子メールもまったくやったことがありませんでした」(伊藤さん)とのことだ。ところがいまや、SolarisやAIXなどのUNIXマシンのほか、Windows、汎用機に精通し、そして扱うプログラミング言語はJavaやJSP、サーブレット、PL/I、COBOLと多彩な技術知識を持つエンジニアだ。実際、過去のプロジェクトでは年上のエンジニアを束ねるリーダーだったり、システムのグランドデザインを設計するなど、技術力に対して非常に高い評価を得ていたそうだ。
伊藤さんがここまで走り続けてきたのは、冒頭に述べたように「いつか見返してやるぞ」というハングリー精神だった。
伊藤さんの母校は有名私立大学だ。法学部で政治学を専攻し、マスコミ業界への就職を狙っていた伊藤さんは、新卒時には残念ながら不採用となり、そのまま就職浪人の道をたどった。学費の無駄を考えると、留年するという手は考えられなかった。自宅だったこともあり、卒業後はファミリーレストランやコンビニエンスストアでアルバイトを続けながら、2度目の挑戦を待った。
そんな伊藤さんに、家族は冷たかった。伊藤さん自身は「マスコミ業界で働きたい」という大きな夢があった。家族は伊藤さんのことを心配してだろうが、有名大学を出ながらフリーターでいる伊藤さんを責める。“一人前に働いていない”といわれ、ただでさえ不安定な精神状態の中で伊藤さんはすっかり参ってしまった。
深夜に及ぶアルバイトで、伊藤さんの体力や気力は殺がれていった。「一生このままだったらどうしよう」と、睡眠不足の中で不安が募る。再度就職試験に挑戦しても、内定をもらえるという保証はない。「いままでの人生の中で、あのころが最もつらい日々でした」と伊藤さんは振り返る。
人生の転機がやってきたのは、伊藤さんが入社を希望していたある新聞社で面接をしているときだった。伊藤さんが就職活動をしていた1999〜2000年は、IT業界全体が上り調子にあったころ。新聞でも「IT」という文字を見ない日はなかった。
そこで伊藤さんが面接で「いまのITの動向は……」と話し始めたところ、面接官が一蹴。「そもそもITのことが分かっていないくせに」といわれたのだ。
いまとなっては、圧迫面接の一種だろうと想像がつく。だが当時は、精神的にそんな余裕はなかった。自宅でも就職活動先でも「何も知らない、できないくせに」と責められ、将来への閉塞(へいそく)感にあえいでいた時期だ。「それならIT業界で、誰にも負けないくらいの知識を身に付けてやろう。見返してやろう」という気概が、伊藤さんの中に芽生えたのだ。
■WordもExcelも未経験で技術者として採用
それからは、マスコミ業界への就職活動をスッパリ切って、新聞や就職情報誌でIT企業の採用情報を眺める日々が続いた。面接し、採用が決まったのはIT技術者の人材派遣会社(特定派遣会社)だ。研修後、派遣エンジニアとしてさまざまなプロジェクトに参加することになる。実はこのとき、伊藤さんは「WordもExcelも電子メールも使ったことがない」状態だった。「面接時は、『経験はないけど、ポテンシャルを買ってください』と繰り返しました」と伊藤さんは語る。
研修期間はわずか数週間ほど。伊藤さんは独学で設計仕様の書き方やCOBOLも学ばなければならなかった。ちなみにこのときの研修は、「課題ができなければ解雇」という厳しいものだった。プログラムを書くときには「上流のことも意識しなさい」と何度もいわれ、そのとおりにできなければやはり解雇が待っていた。
「それでも、マスコミ業界を目指して就職浪人をしていたときに比べれば、それほど厳しいとは思えませんでした。とにかく技術力を付ける、働いて一人前になる、高い技術力を付けて見返してやる、と思っていたし、厳しい環境に身を置いたことで、短期間に技術力が身に付いたのだと思います」(伊藤さん)
■汎用機からJavaの世界へ
伊藤さんが短期間にどれだけスキルを身に付けたかは、その後の活躍を見れば一目瞭然(りょうぜん)だ。研修後に参加したのは、銀行合併に伴う勘定系システムの再構築プロジェクトで、最初の1カ月間はチームメンバーとして配属されたものの、ここでPL/Iを独学で学び、瞬く間にチームリーダーとして技術者をまとめる役目を負った。
伊藤さんは「とにかく自分の糧を自分で稼ぎ、さらにいい仕事ができるように能力を磨きたい」と目標を定めた。目指す職種はプロジェクトマネージャ。技術知識を高めるために、資格試験にも積極的にチャレンジした。伊藤さんはこうした日々を振り返り、「忙しく、厳しかったけど充実していました」と語る。職場では汎用機やPL/1の世界だったが、個人的にC言語やJavaを勉強し始めた。
そこで衝撃を受けたのが、デザインパターンの考え方だ。デザインパターンとは、過去の優れたプログラムをカテゴリに従って分類し、再利用できるように抽象化したものだ。同時に、UML(Unified Modeling Language)を用いた要件定義なども目を引いた。「これができれば、汎用機の開発の問題を一気に解決できる。これからはJavaだ」と伊藤さんは思った。
ところが当時在籍していた特定派遣会社では、Javaの案件を扱っていなかった。そこで伊藤さんは転職を決意した。2年余り勤めた特定派遣会社を退職し、別の大手人材派遣会社に移ることになった。
■さらなる技術力の強化を目指す
大手人材派遣会社とはいっても、単なる一派遣エンジニアとして入社したわけではない。その人材派遣会社では大手SIer企業と組んで、Java案件の拡大に努めていた。伊藤さんはそのプロジェクトを担う正社員として入社したのだ。
とはいえ、正社員であれ派遣スタッフであれ、実際のプロジェクト先からは、人材派遣会社から来た人=派遣社員としか見てもらえない。これが後に、伊藤さんを再度の転職に踏み切らせるきっかけとなる。
入社当時は希望に胸をふくらませていた。正味2カ月の厳しい研修期間中に、年上の技術者を指導するほど技術力が高かった伊藤さんは、以前の会社では無理だった最新技術を仕事で使えることがうれしかった。
研修後、最初に配属されたのは、EAI製品を使ったBtoBシステムの開発プロジェクトだった。ある化学会社の案件で、開発期間は2年間に及ぶ大規模なものだった。このユーザー企業の情報システム担当者との出会いにより、伊藤さんはキャリア目標を修正した。当の情報システム担当者は、「システムのことは、この人に聞けば分かる」と太鼓判を押されるほどの人物。エンジニアとしてもプロジェクトマネージャとしても優秀で、仕事上の失敗を一手に引き受けることができるほど度量の大きい人物だったという。「ミスが起こっても大丈夫、という感じでした」(伊藤さん)。筋道を立て、仕事をしやすいような環境をつくる能力に長けていたのだ。
そこで伊藤さんは「勢いで仕事をするのではなく、下を見ながら進める」ということを学んだ。それとは別に、「自分は技術力で貢献したい」という思いが募るようになった。そこでオブジェクト指向の体系的な知識を習得し、技術力の強化を目指すことにした。
その思いは、別プロジェクトに配属されてからますます強まった。その案件はオフショア開発を含む比較的大きなプロジェクトで、伊藤さんはシステム全体を設計する責任者として参加することになった。当然、伊藤さんの下にもチームメンバーが配属された。
■派遣エンジニアの限界
システム設計は、エンドユーザーのビジネス要件をブレイクダウンさせ、システム上の要件に落とし込む非常に重要な役まわりだ。しかし伊藤さんの「派遣社員」という立場上、エンドユーザーとの交渉や打ち合わせの場でメインに立てないというジレンマが生じた。「派遣だから駄目だ」といわれ、伊藤さんの“負けん気”に再び火が付いた。
実際にエンドユーザーとの間に入ったのは、技術知識の乏しい中間業者。伊藤さんの上司的な役割を担っていたが、その人は「設計できれば技術は知らなくていい」という考え方の持ち主だった。
この考え方に、伊藤さんは疑問を抱いた。システム設計は、非常に高度で広範囲にわたる技術知識が要求される。業務要件を基に、最適な技術を組み合わせなければ使えないシステムができてしまう。つまり高品質なシステム設計には、技術知識のほか業務知識を備える必要があるわけだ。
伊藤さんは技術力には自信があったし、「いいシステムを開発したい」という希望があった。しかし、いかに技術力が優れていても、実際にエンドユーザーと折衝することは少ない。技術知識のない担当者の書いたシステム設計により、プロジェクトが振り回された経験もある。
伊藤さんは派遣社員という自分の立場を変えたいと思った。さらに、きちんとしたシステム設計のために、特定業界の業務知識を備えるべきだと判断。元請けで、かつ特定業界に強いSIerへの転職を果たすべく、活動を始めた。
■ネガティブな日々を勇気づけた転職コンサルタント
転職すべくまず手に取ったのは、新聞や就職情報誌だった。伊藤さんは7〜8社の面接を受けるも、あえなく敗退した。理由は「派遣エンジニア」だったためだ。
「面接に行くと、必ず『派遣でしたよね?』と聞かれました。派遣会社を辞めたい理由は前向きなものでしたが、『プロジェクトで問題を起こしたのか』『わがままで使いにくいのでは』と決め付ける面接官が多く、自分の目指したい方向性や考えを理解していただけなかったのです。また、過去の実績を見せても、『しょせんは派遣技術者だ』という感じで、正当に評価してもらえませんでした」(伊藤さん)
技術力には自信はあるが、「派遣だった」という理由から、実績を不当に低く評価される。これが世間の常識だと知ったとき、「いつか見返してやる」という思いと「どうしたらいいのか」という焦燥感が募ってきた。
伊藤さんが@ITジョブエージェントに登録したのは、そんな失意の日々が続くころだった。否定され、すっかり打ちのめされていた伊藤さんは、うまく自己アピールができていなかった。自分でもそれに気付いていたが、一度喪失した自信はなかなか復活できない。
そんな伊藤さんを支援したのが、テクノブレーンのコンサルタントだった。「『自信を喪失するな。縁がなかっただけだ』という言葉に励まされました」(伊藤さん)
同時に、履歴書についても「アピールできることを中心に書きなさい」とアドバイスされた。「すっかり自信を失ってネガティブになっていましたが、アピールできることを洗い出していくと、少しずつまた自信がよみがえりました」と伊藤さんは語る。
テクノブレーンが紹介したのは、金融業界に強い独立系のSIerであるキーポート・ソリューションズだった。メイン技術にJavaを据え、最新の金融システム開発の元請けとして活躍している企業だ。まだ成長途中にあるが、社長を含め勉強熱心ということで、IT業界からも注目されている。
自信を取り戻した伊藤さんは、「これまでの実績」と「これからの仕事感や目標」について積極的にアピール。それによってキーポート・ソリューションズに見事採用となった。
■そしてこれからどこへ向かうのか
現在の仕事は、アプリケーションのアーキテクトとしてJava、.NET、Webサービスを適用した金融システムの開発にいそしんでいる。別にいるアーキテクトの補佐的な立場で、技術支援に回ることが多いそうだ。
実は伊藤さん、キーポート・ソリューションズ入社して1カ月過ぎ、このプロジェクト内のサブチームのリーダーに昇格することになった。新しい勤務先は気鋭のSIerでもあり、技術力も優れている分、“尖がった”タイプの技術者が多い。「個性の強い人が多いですが、技術力や勉強する姿勢は見習っていますし、やりがいもあります」と伊藤さんはうれしそうに語る。
伊藤さんが意識するのは、以前の化学会社のプロジェクトでお世話になった情報システム担当者だ。チームをまとめるとはどういうことか。チームの議論を仲裁し、お互いの言葉の意味を明確にするにはどうすればいいか。過去の実績が1つひとつ生かされている。
「社内の雰囲気は前向きで、うるさいくらいの環境ですが、活気にあふれていてやる気が出ます」と伊藤さん。現在は金融知識の習得と資格試験に向けての勉強を続けるほか、ネットワーク知識や.NET関連の勉強など、技術面でのキャッチアップも忘れていない。
「いつか見返してやるぞ」という思いを胸にここまで突き進んできた伊藤さん。「IT業界に自分の足跡を残したい」と大きな夢を抱いている。単なる反骨精神ではなく、この努力の姿勢こそが、伊藤さんの最大の強みといえるだろう。
担当コンサルタントからのひと言 |
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伊藤さんは派遣エンジニアという客観的な立場から、人一倍エンジニアの市場価値について意識をされており、「圧倒的な技術力を基盤としたプロジェクトマネージャ」という自己のエンジニアとしてのスキル・キャリアゴールを明確にお持ちでした。 そこで、転職先の提案においても、オブジェクト指向を中心に最新の技術動向を踏まえながら、伊藤さんの意向に沿った元請け、小規模、独立系、業務知識、技術力、実力主義を主要素とする企業の紹介に重点を置きました。 転職プロセスにおける最大の課題は、伊藤さんが苦手意識を持っていた面接での自己アピールでした。このため、事前に過去の面接受験者によるフィードバックを提供するとともに、各企業の面接ごとに何回も徹底的に模擬面接を繰り返し、万全のサポートを図りました。 キーポート・ソリューションズへの転職の成功理由は、伊藤さんの自己研鑽(けんさん)に励むエンジニアとしての前向きな姿勢、ポテンシャルが評価されたのと同時に、「派遣」という形式面にこだわらず、1人のエンジニアとして実力・実績で評価をする同社の自由な社風が合っていたからだと思います。 入社後すぐに大規模なプロジェクト内のサブチームのリーダーに抜擢され、大活躍されているそうで、まさにコンサルタント冥利(みょうり)に尽きる思いです。二人三脚で転職活動に挑んだ伊藤さんと一緒に挙げた入社後の祝杯は忘れられない格別のうまさでした。
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