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転職。決断のとき

第29回 学歴も年齢もハンデにしない

岩崎史絵
2006/2/21


転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおり仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由かもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断について尋ねた。


今回の転職者:岸本ひろしさん(仮名・40歳)
高校在学中から最新情報技術へのあこがれがあり、情報技術系の専門学校に通うも、「実経験からの方が得るものが多い」と悟り、機械メーカーを皮切りにIT企業へ転職する。プログラマとして実績を積んだ30歳の時に、「さらに自分の価値を高めたい」とマネージャ志向へ。マネージャクラスの経験や高い学歴はないものの、「着実に一歩一歩積み上げる」転職スタイルが功を奏し、2005年秋にインフィニアムにシステム部門のマネージャとして転職を果たす。

あこがれからIT業界への一歩を踏み出す

 今回の転職者である岸本ひろしさん(仮名・40歳)の転職スタイルをひと言で表現すれば、「忍耐」に尽きる。転職回数の多さを嫌う日本の風土から見ると、ここで具体的な回数には触れないが、岸本さんの転職回数は決して少ないとはいえない。しかし、岸本さんは所属してきた会社の中で確実に目標に向かって一歩一歩上ってきたタイプなので、しっかりとした技術基盤を持っている。こういった面が企業にきちんと評価されたのだろう。ちなみに岸本さんは自身を「がまん強いとは思うが、目新しいものをいち早く取り入れたいという願望もある」と評価している。やたらと目移りするのではなく、自分の足元を見つつ前を目指すスタイルだ。

 岸本さんがIT業界へ関心を抱くようになったのは、高校生の進路決定をすべき時期だった。「先見性というわけではありませんでした。ちょっと格好よさそう、とかあこがれの気持ちが強かったと思います。それに技術があれば、長く仕事ができるというイメージもありました」(岸本さん)という。

 IT業界への就職を実現するには、「情報技術を専門に勉強し、IT企業に就職してしまった方が早い」と思って専門学校への入学を決意。短期間で最新技術を学び、あこがれの業界へ入るつもりだったが、専門学校へ入学して半年が過ぎるころには学校に失望したという。理由は教科書の反復しかしない学校の学習体制が合わなかったからである。「これなら独学で勉強しても知識は身に付く」(岸本さん)と考えたのだ。

 入学して1年後には学校を辞め、独自に就職活動を始めた。結果は全敗。「企業が求める経験も知識もなかったためです」(岸本さん)。それが、あこがれの気持ちが強く、やる気に満ちていた岸本さんが直面した現実だった。それでも、少しでも技術にかかわる仕事がしたいと就職を決めたのは機械メーカーだった。

 当初は「コンピュータ関連の仕事にもかかわらせてくれる」という触れ込みだったが、業務の心臓部にはいつまでたっても担当させてもらえなかった。しかも岸本さんが入社したころはまだ週休2日制でなかったため、朝早くから夜遅くまで工場で作業をこなすだけが精一杯で、独学の時間もなかったと当時を振り返る。

 この機械メーカーに3年半勤めるうちに、「このままではいけない」と転職意思が頭をもたげてきた。そこで新聞の中途採用募集広告を眺め、IT企業に片っ端からアポイントメントを取った。果敢に応募するものの、結果はやはり全滅。「経験がない」という理由だ。中途採用では、新卒時よりも業務経験の有無が問われる。普通ならここであきらめるが、岸本さんはあきらめなかった。最後に受けたSI会社は「必要な業務知識は入社後に覚えてもらう」というスタイルで、晴れてプログラマとして採用されたのだ。

30歳以降で“下っ端仕事”ではダメ

 転職したSI企業では、転職後3カ月を研修期間として設けていた。ただしこの研修は非常に厳しく、成果が出なかったらその場で採用取り消し。業務経験がなく、3年半もコンピュータから離れていた岸本さんは薄氷を踏む思いで課題や試験をこなしていったそうだ。実際「あまりにもきつくて、辞めてしまいたいと思ったこともありました」(岸本さん)という。

 研修では主にC言語や、当時データベースソフトで主流だったRDMSソフトの専門知識をたたき込まれた。「転職した会社があるRDMSの販売代理店をやっていたため、RDMSを使った業務システムや基幹システムを構築していました。研修後に配属されたのはパソコンによる開発部門で、RDMSの開発が主業務でした。営業SEと共に仕事をする機会が多く、そのうちSE兼プログラマのような位置付けになりましたね。辞めるころには、同じプログラマ職種でもかなり上の方にいて、チームをまとめるような仕事もしていました」(岸本さん)

 このSI企業には7年近く在籍した。年齢もちょうど30歳を迎えていた。そのころ「そろそろ修行は終わったな」と感じたという。というのも、その会社は仕事を取るためかかなり単価をかなり低く設定していたうえに「(本来)数十人で回すようなプロジェクトも、ほんの数人で担当しており、非常にきつく、報酬は低いと割に合わない状態でした」(岸本さん)

 30歳といえば、誰しも社会人として一区切り付ける時期に当たる。岸本さんは「いつまでも下っ端仕事をこなすだけではダメなんだ」と思った。修行も終わり、自分の世界を切り開く時期にきたのだ。

 そこで岸本さんは、これまでの経験を生かし、今度はSE/マネージャクラスにターゲットを絞って転職活動を開始した。岸本さんが2度目の転職活動を開始したのは、バブルが弾けた後の1994年。すでに業務経験もあった岸本さんは、転職情報誌を熟読してこれはと思う企業にアポイントメントを取った。いまでこそ転職活動にエージェントを使うのは当たり前の時代だが、当時はいまほど転職市場が育っておらず、情報収集はもっぱら雑誌や新聞が中心だったという。

 そして、見事SEとして採用された。入社して早々に、あるプロジェクトでチームリーダーとして活躍し、このまま順調にいくと思われたが、当時日本にも普及し始めたインターネットが岸本さんの運命を大きく揺さぶることになる。

   

今回のインデックス
 学歴も年齢もハンデにしない (1ページ)
 学歴も年齢もハンデにしない (2ページ)

   



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