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転職。決断のとき

第44回 私はこうしてITアーキテクトになった

加山恵美
2007/9/12


転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおり仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由かもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断について尋ねた。


今回の転職者:斉藤豊氏(仮名・30歳)
大学卒業後、独立系のソフトウェア会社に。自社パッケージソフトの開発に携わった後、社内で新たに立ち上がったWebアプリケーション開発のチームに、自ら希望して配属される。オープン系の技術を習得し、社内でも有数の技術者になる。30歳を前にしてふとしたことから、@ITジョブエージェントで年収査定を行う。それをきっかけとし、転職活動を開始。現在の会社に転職を決めた。

 今回の転職者は斉藤豊氏、小規模の開発案件を数多くこなし、後にWebアプリケーションで大規模案件も経験した。システム全体を見渡す勘所先進技術の知識を得て、ITアーキテクトをこなせるようになった。彼が学んだこととは何か。

応募先は「独立系で上場企業」で選んだ

 斉藤氏は転職して2007年8月から新しい会社で働いている。年齢は30歳。さかのぼると就職活動をしたのは2000年ころになる。理工学部経営工学を専攻し、多少は授業でプログラミングを経験した。「バリバリにプログラミングをするほどではありませんでしたが、人並みにはこなせたと思います」という。履修経験に加え、ほかの業界や職種への就職は厳しかったのでIT業界でエンジニアを志すことにした。

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 そうはいってもソフトウェア企業は把握しきれないほど多い。学生の斉藤氏には「あまりに多すぎてどう選んだらいいか分からない」と、応募する会社をいくつかの条件でふるいに掛けた。「当時は学生で何も分かっていませんでしたが」と前置きして当時の選考基準をいくつか挙げた。

 まず独立系であること。「親会社がいるときゅうくつかなと思いました。いまでは関係ないことが分かりましたが」と笑う。もう1つは「上場企業であること」だ。これは安定性を重視するという意味があるのかもしれない。不景気のあおりをうけた学生らしい観点なのかもしれない。

 そうして最終的には希望通り独立系のソフトウェア開発会社に就職した。その会社は毎年新卒を3けたほど採用していた。

パッケージ開発部署にて「小物職人」に

 新入社員が3けたともなると、新人研修も大がかりである。2カ月ほどの集中研修では情報処理試験対策からVisual BasicやC++言語など、IT技術の基礎を学んだ。周囲の雰囲気は「おだやかな人が多い」という印象だった。

 新人研修が終わると、斉藤氏が自ら希望した部署への配属が決まった。そこは自社パッケージを開発する部署だった。パッケージは会社の顔にもなるため、その部署には卓越した開発スキルを持つエンジニアがひしめいていた。特にコア部分を開発するメンバーとなると「この道10年」にもなるようなベテランが並び、当時の斉藤氏には輝かしい目標と映ったことだろう。

 職人集団に囲まれパッケージ開発をするうちに、自然と品質に対する意識が磨かれた。パッケージとなると利用するユーザーは不特定多数になる。ささいなバグであろうとも、見逃せばユーザーの誰かに迷惑を掛けるかもしれない。完成度の高いパッケージを開発するためのノウハウを学んでいった。

 斉藤氏はパッケージを利用するためのデータ変換ツールや、障害追跡ツールなどユーティリティを数多く作成した。当時を振り返り斉藤氏は自分のことを「小物職人」と呼ぶ。

 「小規模な開発を数多くこなしていました。ほんの3時間で出来上がるものから、長くても3カ月くらいでしょうか。小規模な開発なので上司がラフに紙に書いた仕様を見て、全体を理解してすべて自分でやっていました。こうした仕事を3年半くらい続けました」と斉藤氏はいう。

自分ですべてこなすから、自分さえ分かればよかった

 この小規模案件を1人で何件もこなした経験が、全体を見渡す目を養ったのだろう。小規模といえども1人で何もかもこなした。プログラマでありながらもちょっとしたプロジェクトマネージャも兼任しているようなものである。関係するシステムに問題がないよう、あらゆることに配慮した。大規模案件で自分の担当範囲がきっちり決まっていたら、そうした目を養うことはできなかっただろう。

 しかし1人ですべてをこなす仕事には欠けているものもあった。いわゆるチームワークに必要なことである。自分だけですべてをやらなくてはならないということは、逆にいうと、自分だけが理解、記憶していればよかった。途中経緯も自分の頭にあるので残す必要がなかった。そのためドキュメントにかける手間は最小限となった。

 「小規模のツールが多かったのでドキュメントが不要となることもしばしばでした。分厚いドキュメント作成に費やす時間があるなら、プログラムの完成度を高めた方がよかったからです。ソースへのコメントもあまり書きませんでした」と斉藤氏。周囲の先輩も「ソースこそがドキュメントである」という考えだった。それゆえにソースには特殊な処理や考慮事項など、自分にとって必要なものをコメントとして残すだけだった。

 品質に注力したため、斉藤氏が1人で開発したシステムはどれも問題なく稼働したという。たまに後から(バグ修正ではなく)保守や改良を求められることもあったが、自分の作成した最小限のドキュメントで実質的には問題はなかったそうだ。

 3年半ほど過ぎたころ、転機が訪れる。社内でオブジェクト指向やWeb系アプリケーションのチームを結成することになり、斉藤氏はそれに自ら志願した。

 ――斉藤氏が挑戦した新天地とは?

   

今回のインデックス
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 転職。決断のとき(44) (2ページ)
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