ストレスと上手に付き合うために
ITエンジニアにも重要な心の健康
第23回 たとえ失敗しても、世界は終わらない
ピースマインド
カウンセラー 田中貴世
2006/2/2
エンジニアにとっても人ごとではないのが心の健康だ。ピースマインドのカウンセラーが、毎回関連した話題を分かりやすくお届けする。危険信号を見逃さず、常に心の健康を維持していこう。 |
■Gさんの腰痛の原因は
Gさんが自分の体の異変に気付いたのは、配属が変わり新しい部署で働くようになってから半年後のことでした。
以前から腰の辺りに違和感を覚えていたのですが、運動不足と長時間いすに座っている仕事環境のせいだろうと思い、そのままにしていたのです。腰の痛みは増していきましたが、忙しさのあまり何もせずにいました。ある朝Gさんは、前夜からのひどい腰痛で起き上がることができなくなってしまいました。
Gさんは整形外科を受診し、投薬などの対症療法的治療を受けましたが、痛みはなかなか取れません。その結果を見たドクターに、「痛みは自律神経の不調からくるものではないか」といわれました。
「職場にストレスがあるのではないですか」。Gさんはそういわれて初めて、「自分は職場にストレスを感じていたのかもしれない」と気付き、働き方を見つめ直すことになったのです。
「Gさんの実績が評価されての異動だよ」。Gさんは上司からそう伝えられていました。新しい配属先のスタッフも、「期待の星は何をしてくれるのだろうか」と興味津々の様子でした。自分の行動すべてに投げ掛けられる視線を、Gさんはびりびりと感じていたのです。「失敗してはいけない」「みんなの期待に応えなくてはいけない」。そう思い、自分で自分にプレッシャーをかけ続けた半年間でした。Gさんはそのことに、腰痛がひどくなるまで気付かなかったのです。
■悩みの原因は固定観念
今回は、「論理療法」のアプローチでGさんの相談を見ていこうと思います。論理療法とは、アルバート・エリスによって1955年ごろに提唱された心理療法です。
その骨子は、簡単にいうと「人の悩みは出来事や状況(例:仕事が評価されない、上司に認められない)に由来するのではなく、その出来事をどう受け止めるかに由来する」ということです。この受け止め方のことをビリーフ(Belief、固定観念)といいます。
例えば、「自分の仕事は高い評価を受けるはず」というビリーフを持っていると、自分の提案が採用されないと不愉快になるのです。「自分の仕事よりほかの人の仕事の方が評価が高いこともある」というビリーフを持っていれば、たとえ自分の提案が採用されなくてもさほど不快にはならず、「今回は採用されなかったけれど、ポイントを変更して再挑戦してみるか」と思うことができます。
論理療法ではビリーフを変えるだけでなく、行動を変える(この例ではポイントを変更する)ことで、出来事を変える(採用されない→採用される)ことも提案しています。その基になっているのが、「ABC理論」です。
上記の例をABC理論で検討してみましょう。
A:出来事 (Activating event) |
提案を却下された |
B:ビリーフ(Belief) | 仕事で高い評価を受けなければ、自分の価値は否定される |
C:結果、悩み (Consequence) |
不愉快に思う、仕事がやりにくい、職場にいて緊張する |
ABC理論では、同じA(出来事)にあっても、B(固定観念)が違えばC(悩み)は変わってくると考えます。ただし、心の中のBを変えるだけで済まそうとすると、単なるいい訳、こじつけで終わってしまいます。Bを変えた後、できることならAも変えるように工夫すること(ポイントを変更して再提出することで、採用されるようにする)も必要です。
論理療法は、「思考、感情、行動は相互に関連しあっている」という前提に立っています。
ある悩みを解決したいとしましょう。悩みは思考の悩み、感情の悩み、行動の悩みの3種類に分類され、3つのうちどのポイントからアプローチしても、ほかの2つに連鎖すると考えられるのです。
論理療法の中心概念は「ビリーフの変容」です。簡単にいうと「自分を不幸にする思い込み(ビリーフ=固定観念)があるなら、それを変えてみよう」ということです。
■自分を不幸にする「認知のゆがみ」
自分を不幸にし、悩みを引き起こすものに、「7つの認知のゆがみ」があります。
認知のプロセスとは「感覚→知覚→認知」です。例えば、何か冷たいものがあると感じ(感覚)、「これは氷だ」と分かり(知覚)、しかる後に「口に入れても大丈夫だ」と判断(認知)する、これが認知のプロセスです。私たちはこうして認知しているからこそ、「それ(氷)を口に入れなさい」といわれても、悩んだり恐怖を感じたりすることはないのです。
7つの認知のゆがみとはどのようなものでしょうか。先ほどの提案の例を基に見てみると、以下のようになります。
1.少ない証拠を基に、独断的に物事を判断してしまう。 例:提案が却下されたのは、提案者が私だったからだ。 2.何事も白黒をはっきりさせないと気が済まない。 例:私の提案が却下されたということは、私の提案はすべて認められないということだ。採用されたAさんの提案はすべて認められるんだ。 3.自分の関心や気になる部分だけに目を向け、結論付けてしまう。 例:今回の提案では、表計算の数値には細心の注意を払った。そこが評価されなかったのだ。 4.自分の関心事は大きく、自分の考えに合わない部分は小さくとらえる。 例:提案の際、データの鮮度は重要だ。作業の段取りなどは予測不可能だから考慮しなくてよい。 5.ごくわずかな事実を過度に一般化してしまう。 例:提案を却下された決め手は、係長の意見だった。みんな係長と同じ意見に違いない。 6.何か悪いことが起こると自分のせいだと思い、自分ばかりを責めてしまう。 例:提案が却下されたのは、私の案が悪かったからに違いない。 7.一時の自分の感情を基にして現実を判断してしまう。 例:提案が却下されてとても不愉快だし、いらいらする。みんなが自分を嫌っているんだ。 |
■「〜は残念だ。でもこの世が終わるわけではない」
Gさんのケースに戻りましょう。Gさんはカウンセリングによって、腰痛になったのは新しい部署で極度の緊張にさらされたためであること、その原因は自分の固定観念、ビリーフにあるらしいことに気付きました。ここから論理療法的アプローチを始めることができます。
まずはABC理論で検討してみましょう。
A:出来事 | 新しい部署で緊張して仕事をしている |
B:ビリーフ | 失敗してはいけない、期待に応えなければならない |
C:結果、悩み | 強い腰痛で出勤が困難になる |
Gさんのケースでは、Bを変えることでAとCに変化を起こすことが可能です。B(ビリーフ:失敗してはいけない、期待に応えなければならない)を変化させるために、「文章記述法」を活用します。文章記述法は、文章完成法テストを基に田中が作成したものです。
Gさんに以下の文章を完成させてもらいます。
1.〜に越したことはない。 Gさん:仕事で失敗しないに越したことはない。 2.〜だからといって人生が終わりというわけではない。 Gさん:仕事に失敗したからといって人生が終わりというわけではない。 3.永遠に〜と決まっているわけでもない。 Gさん:永遠に仕事で失敗し続けると決まっているわけでもない。 4.〜の状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない。 Gさん:周りの人の期待に応えられない状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない。 5.〜を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない。 Gさん:仕事を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない。 6.〜は残念だ。でもこの世が終わるわけではない。 Gさん:周りの人の期待に応えることができないのは残念だ。でもこの世が終わるわけではない。 7.〜されたい。しかし、〜ねばならないというわけではない。 Gさん:期待に応えて賞賛されたい(仕事で失敗したくない)。しかし、賞賛されねばならない(失敗してはならない)というわけではない。 |
■自分をハッピーにするために
Gさんは、この文章記述法やそのほかのカウンセリングによって、自分のビリーフを変容させていきました。
さらにGさんは第2段階として、自分に合ったリラクゼーション法を身に付けることで、職場での極度の緊張を解くトレーニングを始めました。腰痛は快方に向かっているようです。もちろん整形外科の対症療法も、投薬も継続しています。体質改善の漢方薬も検討しているそうです。
これまで、自分の健康を気遣うことなく仕事に没頭していたGさんは、仕事も自分も同じように大切にするように行動を変化させていったのです。それが自分をハッピーにする方法だと認知したからでした。
「最近は、できないことはできないといえるようになりました。これまでは、できないことは敗北と思っていたのでいえなかったのですが」とGさんは話します。「納期が迫っている仕事があるから、いまは手を付けられない」「君も忙しいだろうけれど、この部分だけ手伝ってもらえないかな」。ほかのスタッフに気軽に声を掛けることができるようになって、とても仕事がしやすくなったといっていました。
論理療法は、問題をより柔軟に、感情的にならず理性的に、悩んでいる本人の現状に即してアプローチしていくものです。あなたも、悩みを論理療法で解決してみませんか。
参考文献『論理療法の理論と実践』誠信書房刊 『エンカウンターによる“心の教育”』東海大学出版会刊 |
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