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IT業界の冒険者たち

第22回 Linuxを開発した学生

脇英世
2009/6/15

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)――
Linuxを開発した学生

 リーナス・トーバルズは1969年12月28日フィンランドのヘルシンキに生まれた。正式な名前はリーナス・ベネディクト・トーバルズである。リーナス・トーバルズはフィンランドでは少数派のスウェーデン系の血を引く。

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 リーナスとは同じフィンランド系のノーベル賞受賞化学者リーナス・ポーリングにあやかって付けられた名前である。リーナス・ポーリングは米国で活躍し2度もノーベル賞を受賞している。

 リーナス・トーバルズの父親はニールス・トーバルズといい、フィンランドのテレビ局で働いていた。母親はアンナ・トーバルズといい、フィンランドのニュース・エージェンシーの翻訳家兼グラフィックス・アーティストである。妹のサラ・トーバルズは母と同じくニュース・エージェンシーの翻訳家である。両親は離婚している。リーナス・トーバルズは母親に育てられた。

 父方の祖父はジャーナリストで、母方の祖父はヘルシンキ大学の統計学の教授であった。リーナス・トーバルズ自身も語っていることだが、一族にはジャーナリストの血が多い。

 リーナス・トーバルズは1980年、11歳のとき、母方の祖父から、米コモドール社のVIC120というパソコンをもらった。リーナス・トーバルズといい、ネットスケープを作ったマーク・アンドリーセンといい、コモドールの入門機によってパソコンの面白さを知って後年名を上げた。低価格パソコンにも存在意義がある。

 1988年、リーナス・トーバルズはヘルシンキ大学に入学した。ここでリーナス・トーバルズはラルス・ビルゼニウス(Lars Wirzenius)と友人になった。ラルス・ビルゼニウスのホームページで写真を見るとびっくりする。太った体にコートを着て、サングラスをし、帽子をかぶっている。服装で人を判断してはいけないが、ちょっとハッとする。ただし、文章や主張はしごくまともで冷静である。シニカルですらある。

 大学に入ったリーナス・トーバルズは英国製パソコンのシンクレアQLを買った。最初は「Doom and Quake」などのコンピュータ・ゲームで遊んでばかりいたようだ。彼は相当ゲーム好きなようだ。後年になってもメモリ管理やサーバのストレス・テストと称してゲームをやっていたらしい。ひとわたりゲームをやると、彼はエディタとアセンブラを書き、ハードウェアを改造した。壊れたキーボードを取り替え、フロッピー・ディスク・ドライブを付けたという。ただシンクレアQLという機械はキーボードの内部に本体が入っている形式なのだが、どこがどう壊れていたのだろうか。

 1990年の秋、リーナス・トーバルズは大学でUNIX(ユニックス)とC言語(現在主流になっているプログラミング言語)のコースを選択した。

 1991年1月、リーナス・トーバルズはインテル386を積んだIBM互換パソコンを買った。このときも「ペルシャの王子」というゲームで遊んでいたようだ。その後IBM互換パソコン用のアセンブリ言語のプログラミングを勉強した。アセンブリ言語の腕は上がり、キーボードやシリアルポートのデバイス・ドライバも書けるほどになった。

 その後リーナス・トーバルズは、高名なアンドリュー・タネンバウムが『オペレーティング・システム 設計とインプリメンテーション』という教科書に載せたMINIX(ミニックス)を動かそうとした。MINIXはUNIXをお手本にしていた。LinuxはさらにMINIXから派生したのである。

 当初Linuxはかなりの部分でMINIXを利用していた。だんだん別のプログラムで置き換えることによってLinuxはMINIXから独立した。

 LinuxはなぜLinuxというかといえば、LINUS(リーナス)という名前とMINIXを結び付けたのである。Linuxの命名者はリーナス・トーバルズではなく、ヘルシンキ大学のhttpサーバの管理者であったアリ・レムケ(Ari Lemmke)という人といわれている。

 1991年7月、リーナス・トーバルズはニュースグループへの投稿の中でPOSIX(ポジックス)標準規格文書を無料で入手する方法を尋ねている。POSIX標準規格文書が手に入らないほど貧乏であった。ふつうの研究者には恥かしくてできないことだ。だが何も持たない若者には根源的にすべてを初めから問い直すこともできた。

 1991年8月、Linuxのバージョンは0.01になった。インターネット上でソースコードが公開されたが、実際には動かなかった。10月Linux0.02が出る。これは動いたが、ソースコードをコンパイルするにはMINIXとgccを必要とした。つまりLinuxを走らせるためには、MINIXが必要であり、まだスタンドアロンのシステムではなかった。2、3週間後Linux0.03が出る。これはかなり、まともに動くようになったらしい。

 12月にLinux0.10、0.11が出た。0.11からMINIXの助けなしで、スタンドアロンで動くようになった。「Linux0.11を使う」という文書が残っている。インストール法を説明した4ページほどの簡単な文書であるが、ほぼ現在の手動でやるインストールの原型が出来上がっている。1992年1月Linux0.12が出た。1992年3月にはLinuxのバージョンは0.95になったが、1.0にはならなかった。Linux0.95aとLinux0.96のインストール・ノートも残っている。これも4ページほどの極めて簡単なものだ。

 LinuxはGNUのパブリック・ライセンスとして無料で提供された。誰でも一定の約束を守ればただで使えるようになった。これは重大な決定である。リーナス・トーバルズ自身、このことが彼の下した決断の中で最良のものであったといっている。リーナス・トーバルズはLinuxをシェアウェアにはしなかった。シェアウェアのソフトウェアは自由に配布できる。ただし気に入って継続して使用する場合、ユーザーは代価を払う義務がある。シェアウェアにはソースコードが付いてくることは少ない。

 Linuxの開発にはインターネット経由で全世界の篤志家の専門家が協力した。当時のリーナス・トーバルズの力だけでは不足で専門家の協力が必要であった。全世界の専門家が協力できたのは、インターネットが自由に使えるようになっていたことと、リーナス・トーバルズの包容力のある個性が役立っていると思われる。

 Linuxの開発者は同時にユーザーでもあったことが良かった。作った人は使う人でもあったのである。

 またLinuxの成功の理由の1つにFSF(フリー・ソフトウェア・ファウンデーション)の創立者リチャード・ストールマンによって書かれたgccが動かせたというのがある。本当に動くようになったのはMITのセオドアー・ツオが払った努力によるところが大きいという。1993年12月にはLinuxのバージョンは0.99になった。それでも1.0にはならなかった。

 実際にLinuxバージョン1.0が出たのは1994年3月である。これほど難航した理由は、Linuxのネットワーク・インターフェイスのサポートがなかなかうまくいかなかったからだといわれている。

 リーナス・トーバルズはネットワークに接続するためのネットワーク・カードを持っていなかった。パソコン以外に何も持っていなかったのではと、びっくりさせられる。

 何もないから、何もできないということではないのだと教えられる。マイクロソフト以外にOSの開発ができないということではない。

 ネットワーク・インターフェイスの開発にはNASAの研究者ドナルド・ベッカーも協力した。ドナルド・ベッカーはベオウルフというクラスタ・システムを開発していた。

 周辺機器を接続するために利用するSCSI規格を使うためのドライバ・ソフトの開発も難航した。SCSIの開発が難航した理由はネットワーク・カードの場合と同様に、1つにはリーナス・トーバルズがAT仕様のハードディスクしか持っていなかったからである。SCSIドライバはレオナルド・ズブコフが中心になって完成した。

 ほかにもLinux開発には、全世界から数百人の篤志家のプログラマがインターネット経由で参加した。リーナス・トーバルズの真に偉大なところは、これらのプログラマをうまくまとめ上げて、Linuxの開発を成功裏に進めていったことである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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