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IT業界の冒険者たち

第30回 ハッカー革命の旗手

脇英世
2009/7/1

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジェイミー・ザビンスキー(Jamie Zawinski)――
ネットスケープ/AOL元社員

 カリフォルニア州サンノゼで開かれたLinuxワールドの帰り道、シリコンバレーのローレンス・エクスプレスウェイに立ち寄った。コンピュータ・リテラシーともう1軒の書店で大きなボール箱1杯分の書籍を購入し、以前から狙っていた本をかなり手に入れることができた。航空会社による荷物の重量規制を考慮すると、これ以上本が増えるのは苦しいが、欲しい本はもう少しある。どうしようかと悩んでいると、家内がまだ自分の割り当てがあるし、邪魔な書類はサンフランシスコから船便で送ってしまえばいいといってくれた。そこで101フリーウェイを北上し、スタンフォード大学の書籍部へと向かった。探していた本の1つは、ネットスケープの創立者ジム・クラークの書いた『ネットスケープの時代』 である。無事に入手できて大いに満足した。

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 ホテルに帰ると、早速ドイツから持っていった冷やしたフランケンワインを飲みながら読み始めた。帰りの飛行機の中でもブラディマリーを飲みながら読んだ。この本を読むことで、わたしのほかの仕事はかなり圧迫されるので得策ではなかったのだが、やはり引きずりこまれて読んでしまった。

 ジム・クラークの著作をなぜ読んだかというと、わたしが最近書いた本と一部オーバーラップする部分があり、自分が間違っていないかどうか、どうしても確かめたかったからである。わたしが知りたかったのはジム・クラークの不可解な行動の説明である。彼の行動については資料が不足していて、合理的に説明しにくい部分がいくつかあった。なるべく事実に接近したかったので、分かっている部分を確実に浮き上がらせ、そのうえでいくつか推論を加えた。結果は幸いにも間違っていなかった。

 予想外にうれしいこともあった。わたしはジェイミー・ザビンスキーを大きく取り上げたが、ジム・クラークもこの人物を大きく扱っていたのだ。マイケル・クスマノとディビッド・ヨッフィーが書いた『インターネットでの競争―ネットスケープとマイクロソフトの戦いの教訓』という本には、ジェイミー・ザビンスキーはまったく登場しない。そのことが不安要因だったのだが、ジム・クラークに限っていえば、そんなことはなかった。

 ネットスケープという会社は創立当時、ジム・クラークを中心とするSGI(シリコン・グラフィックス)出身者と、マーク・アンドリーセンを中心とするイリノイ大学出身者で構成されていた。しかし、すぐに開発者が足りなくなり、新規採用の必要が出てきた。さらに、マーク・アンドリーセンは管理職になり、エリック・ビナはイリノイ州立大学の教員になった奥さんがいて、制約を受けるようになった。

 ここで従業員番号20として採用されたのが、ジェイミー・ザビンスキーである。ネットスケープにとって、ほぼ最初の外部採用者だ。ジェイミー・ザビンスキーはカリフォルニア州立大学バークレー校出身の逸材であるが、頭の半分をそり上げ、残りの半分の黒髪はそらないまま数年間放置され、肩まで長く伸びていた。ジム・クラークによれば、ジェイミー・ザビンスキーがパーティに、その異様な髪形、黒い服、黒いコンバットブーツに身を固めた風体で出てくると、圧倒的に神秘的な雰囲気で、太陽の光でさえ吸収するのではないかと思わせたほどだったという。こういう人間を採用できたとは、大したものだ。なお、彼の写真はhttp://www.jwz.org/に最近まであったのだが、現在では残念なことにデジタル加工された画像に置き換えられてしまっている。

 ジェイミー・ザビンスキーは克明な性格で、何でもインターネットに書き残している。その文章は、新鮮かつ斬新で舌を巻くほどだ。新しいハッカー文化の旗手、さらに、そういうものを定義してよいとするならば、新しいハッカー文学の旗手とさえいえるだろう。彼のすべての文章はhttp://www.jwz.org/gruntleからたどって検索でき、有名な文章をいくつも発見できる。文才があるだけでなく、美学的感性も非常に先鋭なようだ。インターネット上に存在する彼の作った映像のいくつかを見れば、それが分かる。スタンリー・キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』や、オリバー・ストーンの『ナチュラル・ボーン・キラーズ』などに影響を受けているらしい。

 ジェイミー・ザビンスキーは、自分自身をハッカーと規定している。個人のWebサイトで、ネットスケープ時代の名刺3枚を公開しており、そこにはハッカーとか、名誉ハッカーと書いてある。最後の名刺には極彩色でモジラのイラストが刷り込んである。モジラとは、ネットスケープのマスコットであり、1994年8月5日、新しいWebブラウザの名前に関する会議で、ジェイミー・ザビンスキーが「モジラ」と叫んだことに端を発する。モジラとはモザイクと日本の怪獣映画『ゴジラ』の合成語だ。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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