第36回 ディスクドライブの帝王
脇英世
2009/3/30
1979年、アラン・シュガート、フィニス・コナーほか4人の共同出資者によりシーゲート・テクノロジーが創業された。アラン・シュガートは自分を追放したシュガート・アソシエイツに怒りを感じており、そしてシュガート・アソシエイツを買ったゼロックスが憎く、ゼロックスが自分を告訴するように仕向けたかった。なかなか挑発的で戦闘的だ。
アラン・シュガートはSHUGARTのようにSで始まりTで終わり途中にGの入る言葉を辞書で探した。その結果SEA-GATE(シーゲート)という言葉が見つかった。かくしてシーゲート・テクノロジーの社名は決まったのである。何となくシュガートとシーゲートの音が似ているのも当然のことである。シーゲート・テクノロジーの本社はその名にたがわぬよう、海への門であるスコッツバレーに置かれた。
シーゲート・テクノロジーは1979年末、6MバイトのハードディスクST-506を発表した。ST-506は爆発的に売れ、1982年にはマーケットシェア50%を占めるに至った。これに続いてシーゲート・テクノロジーは10MバイトのハードディスクST-412を発表し、1983年IBM PC/XTに採用された。ST-506/ST-412のインターフェイスはESDIとIDEインターフェイスの基礎となった。
会社が創業時の苦しさを抜けて順調になってくると仲たがいが始まるものである。1985年、すべてを部品から製造するというアラン・シュガートの方針と、部品は買い入れるべきだというフィニス・コナーの意見が対立した。方針などどうでもよかったのかもしれない。両雄は並び立たなかったのだろう。
フィニス・コナーはシーゲート・テクノロジーを去って、コナー・ペリフェラルズを設立する。コナー・ペリフェラルズの後ろにはコンパックがついていた。コナー・ペリフェラルズは最初コンパックのためにだけハードディスクを作っていたが、次第にコンパック以外の会社にもハードディスクを売るようになった。
これに気付いたコンパックのエッカード・ファイファーはコナー・ペリフェラルズの持ち株を手放した。コナー.ペリフェラルズは独立した会社となり、大成功を収める。1980年代後半にはコナー・ペリフェラルズはシーゲート・テクノロジーを買収しようと考えるところまでいった。
1989年、シーゲート・テクノロジーはCDC(コントロール・データ)からディスクドライブ製造部門インプリミスを買った。大型機向けのハードディスクは利益の幅が大きかった。パソコン用ハードディスクからの逃亡ともいわれたが、後にこれがシーゲート・テクノロジーの救世主となる。
もっとも、買収したときにはアラン・シュガートは手元に資金がなく、ミネアポリスのインプリミスの社長室に社長のラリー・パールマンを訪ねると、次のようにいってラリー・パールマンをびっくりさせたという。
「ここに来た理由はおたくの会社を買収したいと思ってのことだが、実は金はないんだ」
シーゲート・テクノロジーは1990年代に入ると積極的な買収戦略に転じる。1993年にはフラッシュメモリのサンディスクを買収する。1994年にはデータ保護と管理ソフトのパリンドローム、またデータアクセスとレポーティングソフトのクリスタル・コンピュータ・サービスを買収する。続く1995年には音声認識のドラゴン・システムズを買収した。また中国への進出を果たした。
圧巻は1996年2月のコナー・ペリフェラルズの買収である。かつてシーゲート・テクノロジーを買収しようとしたフィニス・コナーのコナー・ペリフェラルズを逆に買収したのである。パソコン向けのハードディスクはただでさえ利幅が薄く、コナー・ペリフェラルズは価格競争に勝てなかった。シーゲート・テクノロジーは利幅の大きい大型機ハードディスクを持っていたので、価格競争では達観していられた。この買収により、シーゲート・テクノロジーは業界第1位になった。
勝利の秘けつは垂直統合にありとシーゲート・テクノロジーは、シーゲート・ソフトウェアの設立やWebテレビとの提携も進めている。少し脱線が激しく、焦点がぼけるのではないかと気になる。
アラン・シュガートの成功の秘けつは、人を引きつける親分肌の人柄にあり、地元のバーでの非公式な語らいをうまく利用して部下の忠誠心を獲得している。また適切なタイミングで適切な人材を採用することができる才能を持っているのも成功の秘けつといえるだろう。
パフォーマンスがすごく、例えば、60歳を超える年齢なのに、派手なショッキングピンクのショートスリーブのシャツを着て登場する。1年に2度ほど妻のリタとラスベガスに行くが、とても派手なものらしい。ラスベガスのカジノでブラックジャックに1回で7万ドルを賭けるというような思い切ったこともやる。乗ったことはないというが、ホバークラフトも持っているという。
パシフィックグローブにファンダンゴというレストランを持ち、キャメル・ベイ・パブリッシングという出版社も持っている。また、リタと洋服店や飛行機のチャーター会社を共同経営している。
1998年7月21日、アラン・シュガートは業績不振を理由に、シーゲート・テクノロジーを解任された。激しく厳しい業界である。
■補足
アラン・シュガートはシーゲート・テクノロジーを追放されると、すぐにアル・シュガート・インターナショナルを設立した。社長、最高経営責任者、会長である。アル・シュガート・インターナショナルは一種のベンチャー・キャピタルだ。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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