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IT業界の開拓者たち

第42回 早過ぎた孤独な予言者

脇英世
2009/4/8

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

アラン・ケイ(Alan Kay)――
ダイナブック提唱者

 「パーソナルコンピュータの父」と呼ばれるアラン・ケイ。携帯型ラップトップパソコン「ダイナブック」を発案するなど、彼はその思想的先進性で、パソコンに携わる者たちの教祖的存在である。しかし彼は、「先を行き過ぎた天才」ゆえの苦悩の道のりを歩むことにもなった。

 アラン・ケイの風貌は、チョビひげがトレードマークで、分かりやすい。幕張で一度だけ会ったことがある。目の前にグラスを持ってマルチメディアデモンストレーションの音楽に聴き入っている人がアラン・ケイだと分かったときは、多少驚いた。彼は、ボーランドのオブジェクト指向のデモ用VTRにも出てくる。割に背の低い静かな感じのする人である。だがそれは外見上のことだけだし、本当のところは知らない。

 アラン・ケイについてはまだ研究が十分ではない。ごく複雑な個性を徹底的に研究した本が登場することが望まれる。一般的に知られていることだけを簡単に述べることにしよう。

 アラン・ケイは1940年マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれた。彼の父は生理科学者で、義足や義手の設計に従事していた。アラン・ケイが1歳半のときにオーストラリアに移住した。父親の母国はオーストラリアであった。

 1944年太平洋戦争の勃発とともに米国に帰り、母方の祖父であるクリフォード・ジョンソンのいたマサチューセッツ州ハーレーに住んだ。アラン・ケイはニューヨークのブルックリン・テクニカル・ハイスクールから、ロングアイランドの公立高校に通った。高校時代は歌とギターに溺れていたらしい。大学はウェスト・バージニア州のベサニー・カレッジの生物学科に進んだ。

 1961年ベトナム戦争に徴兵されそうになったので、志願して空軍に士官候補生として入隊した。空軍では反軍行動が目立ち、ポーカーばかりやっていたらしい。それでもIBM-1401コンピュータのプログラマになった。

 1966年、アラン・ケイはコロラド大学で数学と分子生物学の学位を得た。その後ユタ大学でFLEX言語を設計した。FLEXは軍事用の高速計算に向いているといわれた。1969年、ユタ大学でPh.Dを取得する。そして1970年、スタンフォード大学の人工知能研究所に移り、さらに1972年、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)に移った。パロアルト研究所でアラン・ケイの率いるグループは、有名なオブジェクト指向言語のSmalltalkを開発する。

 1977年、アラン・ケイは、アデル・ゴールドバーグと「パーソナル・ダイナミック・メディア」という論文を書いた。この論文は、ACMが出している『パーソナル・ワークステーションの歴史』という本に採録されている。いわゆるダイナブックの思想である。

 その後1983年、ゲーム機で有名なアタリに移っている。アタリでは大した成果も挙げずに、1984年にアップルに移った。1987年、ACMソフトウェア・システム賞を受賞した。

 こういう履歴書を読むと、どういう人だろうかと思う。つまり、あっちこっちへと不自然な動きをしている。相当詳しい伝記でもないと解明できない。先見的な業績をいくつも残しているが、現世的な成功は一切ない。むしろ残ったのは悲惨ともいえる失敗だけだ。

 アラン・ケイはパソコンの世界に偉大な足跡を残している。しかし、いずれも早過ぎて、かなり時間がたってからでないと理解されなかった。比較的早くに理解されたのはFLEX言語で、1970年代の初めにパソコンの世界への移植が一時流行した。

 アラン・ケイは、マービン・ミンスキーのロゴ(Logo)という、子どもの教育用に作られた言語に強い関心を持った。ロゴは子どもの自発性や主体性、創造性を引き出すことを狙った言語であるといわれている。特にタートル・グラフィックスが有名である。この言語を開発したセイモア・パパートは、この言語でお金持ちになりたかったらしいが、頭でっかちの学者の考えたものだから、大人には面白くとも、子どもには面白いはずがなく、みじめに失敗した。子どもが面白いと感じることと、大人が幼児的に面白いと考えることは違う。

 面白いと感じたのは、やはり大人のアラン・ケイの方で、アラン・ケイはロゴにいたく心を動かされ、マイクロワールドとか知的増幅装置という考え方に到達したといわれている。Smalltalkをはじめとするアラン・ケイの一連の業績は、ロゴの影響を受けている。

 Smalltalkは、ALTOというマッキントッシュの先駆となるマシンと切り離しては考えられない。GUIとSmalltalkがあって、ALTOの環境が出来上がるのだが、マッキントッシュが実現していたのはGUI環境だけで、Smalltalkのオブジェクト指向がマッキントッシュの世界に進出するには、かなりの時間がかかっている。ウィンドウズにしてもGUI環境は比較的簡単にまねができたが、Smalltalkのオブジェクト指向がボーランドC++やビジュアルC++として入ってきたのはつい最近である。形だけまねて、中身のオブジェクト指向は取り入れていなかったのである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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