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IT業界の開拓者たち

第43回 コンピュータ世界のカリスマ

脇英世
2009/4/9

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 さて、テッド・ネルソンのザナドゥとは何だろうか。ザナドゥとは大域的なハイパーテキスト・パブリッシング・システムである。

 ザナドゥとは、「相互に関連する発想やデータを統合し、それらのデータや発想をコンピュータ画面上で出版していく方法についての統一されたコンセプト」であり、「ザナドゥは、情報を記憶するための新しい構成方法である。それは文献の新しいかたちを実現するだけでなく、それが目指すネットワークによって人々の生活に新たな息吹をあたえるものである」(『リテラリーマシン』)

 1967年、ザナドゥの設計が開始される。軍関係のテキスト・システム作りに従事した後、1969年、テッド・ネルソンはブラウン大学のテキストプロジェクトに関係した。テッド・ネルソンはウラジミール・ナボコフの小説『Pale Fire』をハイパーテキストのデモンストレーションに使おうとするが、ブラウン大学の研究のスポンサーであるIBMに断られる。この辺りからザナドゥの開発がテッド・ネルソンの崇拝者たちの献身的な努力で推進される。

 1973年、テッド・ネルソンはイリノイ大学に勤務する。ここで1974年8月『コンピュータ・リブ/ドリーム・マシン』という本を自費出版する。「コンピュータ・リブ」という書名はウーマン・リブの運動に影響を受けていた。「カウンターカルチャーのコンピュータの本」と本人も認めるように、有力な出版社もそうでない出版社も『コンピュータ・リブ』には、まるで興味を示さなかった。奇妙な本で、サイズが大きく真四角、活字はむやみに小さかった。反対側にひっくり返すと『ドリーム・マシン』という本になり、ここにはザナドゥの簡単な記述があった。中身はスチュワート・ブランドの編集した『ホール・アース・カタログ』誌のような、カウンターカルチャー的な色彩を帯びていた。

 『コンピュータ・リブ/ドリーム・マシン』は数百部印刷され、ある程度売れた。その程度の部数で歴史に名を残したのだから、テッド・ネルソンの面目躍如たるものがある。意図してそうなったかどうかは分からないが、彼の反商業主義的な姿勢がカリスマや教祖としてのテッド・ネルソンを際立たせた。マイコンの草創期、テッド・ネルソンという名前は、輝いていたのである。テッド・ネルソンを慕ってやってくる人も多くなった。『コンピュータ・リブ』の第2版は、マイクロソフト・プレスから出版されている。これも面白い。当時のマイクロソフト・プレスにはこうした分野に興味を持つ編集者がいたようだ。

 1977年には『ホーム・コンピュータ革命』を自費出版している。これも有名な本だ。部数が限られているはずだから、死ぬまで持っていれば絶対に値上がりすると思う。もっとも、難しいのは買ってくれる人を見つけることだ。だいたい惨めなくらいに買いたたかれる。

 1970年代の終わりにいたるまでザナドゥの開発はテッド・ネルソンの崇拝者たちによって続けられる。

 1981年、テッド・ネルソンは『リテラリーマシン』という本を再び自費出版する。これはザナドゥの全容を解説した書物である。ザナドゥとは、未来の文献のための枠組みを創造しようとするプロジェクトである。ザナドゥのデータベースに格納されたドキュメントは、いずれも、その土台となった知的活動の成果や同じ主題の関連ドキュメントに結び付けられている。この結び付きをリンクという。

 ザナドゥの場合は、ウィンドウを表示して原典への自由なアクセスを可能にしている。このような作業には一定の順序がない。そこでテッド・ネルソンはこれをハイパーテキストと呼んでいる。

 この『リテラリーマシン』で、テッド・ネルソンは完全に教祖となる。少し長いが引用しよう。「ザナドゥ・グループは、冒険と挑戦を恐れない聡明な人材を今も求めている。長時間労働と低い給与に耐え、食べるに事欠くこともあり、名声と富を手にする可能性の少ないことも承知していてほしい。知性の応用と拡張と普及を通じて、ほとんど確実に近づいている破滅から人類を救わなければならないのだ。人工の知性によってでなく、人類の知性で。人類のために」(『リテラリーマシン』)

 過激なアジテーションであるが、よくツボを心得ている。

 1988年、CAD大手のオートデスク社が、ザナドゥの一部を獲得し、研究開発資金が提供された。ゼロックスのPARC出身でSmalltalkを奉じる新規参入部隊と、C、C++言語を奉じる旧来のザナドゥ開発部隊の方針が対立した。この2つの勢力の調停には、予言者テッド・ネルソンでも無力だった。テッド・ネルソンはプログラムの実際のコーディングはできないし、開発経験もない。ザナドゥ計画は強力な指導者を欠いたまま泥沼にのめり込んでいく。開発の実際に携われないテッド・ネルソンと開発部隊との溝は深まる一方であった。

 1992年には業績不振により株価の暴落を招いたオートデスク社がザナドゥ開発計画から撤退する。予言者であるテッド・ネルソンはすべてを失ってしまう。1993年ごろから日本との接近が深まり、1994年10月から札幌の北海道大学に滞在した。故郷を追われた予言者ということになろうか(*1)。

*1)テッド・ネルソンはその後、慶應義塾大学の藤沢キャンパスに客員教授として滞在している。わたしもOMWFの総会で講演してもらい、著書『リテラリーマシン』にサインをしてもらった。多少ミーハーであったことを反省している。講演は、ジェスチャーたっぷりで面白かった。

 しかし突然、テッド・ネルソンは再び注目を集める(*2)。WWWの開発者ティム・バーナーズ・リーがテッド・ネルソンのハイパーテキスト技術を意識したと伝えられたのである。予言は成就したことになるのだろうか。

*2)ゲアリー・ウォルフはテッド・ネルソンのザナドゥのことを「コンピュータ史上最も長いベーパーウェア」と呼んでいる。30年もベーパーウェアとしてとどまれれば、それはもはやベーパーウェアとはいえない。

補足

 テッド・ネルソンは現在(当時)、慶應義塾大学の環境情報学科の客員教授として藤沢キャンパスにいる。ここで彼はホームページを開いており、多くの新しい情報が載っている。例えば、テッド・ネルソンが取り組んできたものはパーソナル・コンピューティング、ハイパーテキスト、パラレル・ハイパーテキスト、ザナドゥ・モデルであり、現在やっている仕事はコズミックブック、Web用の新しいザナドゥ、ジグザグ・ソフトウェアであるといっている。簡単に読めて面白いので、ぜひご一読をお勧めしたい。それにしてもテッド・ネルソンは絵が上手だなと思う。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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