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IT業界の開拓者たち

第52回 2001年に消滅したHALコンピュータ

脇英世
2009/4/24

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

アンドリュー・ヘラー(Andrew Heller)――
元IBMアーキテクト

 アンドリュー・へラーは最年少でIBMのフェローになった。フェローというのは自分でやりたいと思ったことをやってよいという特権的な身分である。抜群に優秀な研究者でなければなれない。

 加えてアンドリュー・ヘラーは異端児であった。いい方を変えれば、極め付きの変人であった。昔のIBMには暗黙のうちにドレスコードという服装規定があり、非常にやかましかった。彼はドレスコードを無視した点で、際立った存在であった。まず顎ひげを生やしていた。これは原則的に許されなかった。きれいにそっていなければならない。ネクタイもしていなかった。IBMではネクタイは必須であり、ノーネクタイなど論外である。ネクタイをしないなどIBMマンにあるまじき行為である。

 それにアンドリュー・へラーはカウボーイブーツを履いて仕事をした。これはIBMに限らず、ふつうの会社でも許されない行為だろう。カウボーイブーツの伝説はIBM PCの生みの親、フィリップ・ドン・エストリッジにもある。彼もカウボーイブーツを履いたとか、履かないの伝説がある。

 さらにすさまじいことに、アンドリュー・ヘラーは建物の5階にまでバイクを持ち込んで廊下を走りまわったこともある。ふつうの見方では手に負えない持て余し者であったろう。何とも痛快な快男児である。IBMの野鴨(ワイルドダックといった方が分かりやすいだろうか)の伝統を継承したといえるだろう。

 アンドリュー・へラーは、IBM3090の開発に関して開発要員の増員をIBM会長のフランク・ケアリーに直訴した。フランク・ケアリーがこの件を承認したおかげで、アンドリュー・へラーはIBMフェローになれたのだと思う。IBM3090の登場は1985年である。

 1970年、天才ジーン・アムダールはIBMを飛び出し、1971年にアムダールコーポレーションを設立した。資金に不足していたアムダールは富士通に援助を求めた。1973年、富士通はアムダールコーポレーションの株式の25%を取得した。

 1975年アムダールコーポレーションはIBMシステム/370に対抗して、470V/6を出した。IBMは1977年、IBM3033でこれに対抗する。アムダールはIBM3033の発表数日後に470V/7、470V/5を出し、さらに1979年、470V/8を出してIBMと激しく争った。1979年、IBMは中型コンピュータIBM4300シリーズを繰り出す。

 こうしたなか、1980年、アムダールは自分のつくったアムダールコーポレーションを飛び出す。1981年、IBMはIBM3080シリーズを発表した。アムダールコーポレーションは5860を発表して対抗する。

 1982年、有名なIBMスパイ事件が起き、日立製作所の社員がFBIのおとり捜査で捕まった。

 1985年、IBMはIBM3090を発表する。これに対してアムダールコーポレーションは5890を発表して対抗した。

 IBMとアムダールコーポレーション、いや、IBMと富士通の間では死闘が続いていたのである。

 アンドリュー・ヘラーは歴代のIBM会長としきりにもめ事を起こし、さらに後年、IBMの宿敵である富士通の懐に飛び込んだ。そのためIBMの歴史の中にはあまり登場しない。また米国人ジャーナリストでも多少愛国的感情を持っていれば、当時の仮想敵国日本の富士通に協力した男など記事にはしたくないだろう。アンドリュー・へラーは歴史から消された感がある。いくらインターネットで調べてもほとんど何も引っ掛からない。本人も自分を宣伝したいと感じていないのだろう。わたしはIBMの注文で『IBMのAIX戦略』という本を書いたので、風のうわさでアンドリュー・へラーについては知っていた。RS/6000は、本当はアンドリュー・へラーがやったのだというのは有名な話だった。

 ポール・キャロルの『ビッグ・ブルース』によれば、IBM3090の開発が終わったアンドリュー・へラーを主役に引っ張り出したのは、1986年に死の床にあったブラックジャック・バートラムである。ブラックジャック・バートラムは、新型ワークステーションの開発をしたいというアンドリュー・へラーの希望を知っていた。ブラックジャック・バートラムは、本社から干渉を受けにくいテキサス州オースティンでアンドリュー・ヘラーを立てて最後の戦いをしたかったのである。

 当時、RISCの父ジョン・コックを形式的な開発責任者としてIBM RT/PCが作られていた。これはRISCアーキテクチャを使ったワークステーションであったが、極めて低速で惨敗していた。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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