第6回 生意気な「部下肌」から、部下を守るリーダーに
長谷川玲奈(@IT自分戦略研究所)
大星直輝(撮影)
2009/3/9
秋田真宏(あきたまさひろ) ヨセミテ CTO 1981年5月7日、石川県小松市出身。1997年、Webサイト「akiyan.com」開設。1999年、Webシステム会社にアルバイトとして入社、その後社員に。2005年ごろより個人Webサービスの提供を開始。2008年6月、ヨセミテに参画。 |
■「部署を率いること」が東京転勤の条件だった
前職で2年ほど、部署のリーダーを経験しました。アルバイトから社員になって5年目、24歳ごろからです。27歳前後の4人のメンバーをまとめ、自社サービスを開発しました。でも初めにリーダーになる話を聞いたときは、「できればやりたくない」と思ったんです。
部署のリーダーになることは、金沢にあった本社から東京支社に行くための条件でした。
「はてな」が人気を集め、Web 2.0的なものが盛り上がって、勉強会にいろいろな人が出てきた。それで「東京に行きたい!」と思うようになりました。そのころ、3カ月の東京出張があったんです。3カ月住んで、勉強会やイベントに出まくって、「これはもう、東京に来るべきだ」と確信しました。辞めるか、東京に転勤するかだと。会社と相談して、「東京支社に行きたい」と主張しました。それがかなわないのであれば、辞めて東京で職を探そうと思っていました。
会社からの返事は、「金沢のシステム部全員からOKをもらえれば行っていい」というものでした。そこで1人1人回りましたが、全員のOKには至りませんでした。ああ駄目かと思ったんですけれど、アルバイト時代の上司が根回ししてくれて、「東京にシステム部をつくって部長になるなら」という条件で話をつけてくれました。実は東京出張も、その上司が行かせてくれたそうです。
けっこう悩んだんですよ。リーダーになるっていうのは想像していなかったので。
「できればやりたくない」と思ったのは、とにかく自分でガーッと手を動かしていたかったからです。リーダーになったらコーディングはできないと思っていたので。個人的にもWebサービスを作って、技術力がどんどん伸びていたころだったので、まだガリガリガリガリ書いていたくて、それをやめたくなかった。
結果的には、意外と自分でガリガリ書ける時間があったんです。自分が作るのとマネジメントとを、半々くらいやっていましたね。
■仕事を管理して部下を守る
リーダーになってからは、「人を管理するというより仕事を管理する」を心掛けました。
PR:@ITジョブエージェント主催セミナー |
この不況下、20代エンジニアが成長するためには? 「プロジェクトメンバーのためのスキルとキャリア」 3月28日(土) 14:30〜、秋葉原、参加無料 |
サービスの機能追加や新規開発のとき、技術者じゃない人が最初に出す仕様は、(エンジニアにとって)苦しいところがある。潜在バグを大量に抱え込みそうだとか、監視がずっと必要だとか、エンジニアに負担が掛かりすぎる可能性がある。そういう仕様が出てきそうだと思ったら、なんとかして負担を減らせるよう心掛けていました。
「この作り方では最初は速いけれど、後々こういう機能を追加するとき、2週間かかるところが1カ月になります」のように、例を挙げて話せば説得力が出ます。
サービスはシステムで出来ているものだから、システムが最重要だと考えていたのです。そこが折れてしまうのはまずいと。後から苦しくなる仕様は、10年先のことを考えると良くないと思い、保守のしやすさを守るようにしていました。
会社を辞めるとき、「すごく部下を守っていたね」といわれました。そういう自覚はなかったんですけれど。自分がエンジニアだったときの金沢のシステムリーダーを見て、そのまままねしていたのだと思います。
■部下の未経験分野をつぶす
ぼくにとって、人をリードするというのは、引っ張るのではなく押し上げる感じ。
ぼくが一番成長したのは、経験したことのない分野の仕事をしたときで、つまりはそういう仕事を与えてもらったときでした。なので部下に「こういうのは苦手です」ということがあれば、「じゃあこれやって」といっていました。
例えばインフラ周り、サーバのセットアップなどの経験者がほとんどいなかったので、セットアップの仕事があれば部下に任せるようにして、未経験分野をつぶしていきました。
得意な仕事に関しては、ほうっておいても大丈夫だと考えていました。ある水準に達していて、向上心があるならば、自分が口出ししなくてもいいかなと。
けっこうそこでいじめましたね。「大丈夫だよできるよ」って。部下から抵抗はありましたよ。もちろん苦しいときはサポートしますが、基本的には、「まずやってみて! 自分で調べてやってみて!」でした。それでみんな伸びましたね。
■部下時代とリーダー時代で、コードの書き方に差が
部下だったときとリーダーになってからでは、コードの書き方に一番差が出ました。
自分が部下だったときは、保守的にコードを書いていました。同じレベルで、環境を変えず、現状のシステムに合わせる感じで作っていました。
リーダーになってからは、とにかくそれまでやっていなかった、会社で行われていなかったことを取り入れました。「この書き方は難しいんじゃないか」というものをバンバン入れて。権限が与えられたからという理由もありましたが、やはり部下に新しいチャレンジをしてほしかったからです。
東京でリーダーをしていた2年間で2つほど、中規模サービスの新規立ち上げを行いました。ぼくが2カ月くらいでガーッと作って、それを部下に渡して、保守や新規機能の追加をするというサイクルをとっていました。なので自分の知る限りの、最新の方法で作っていましたね。
■「部下肌」から「リーダー肌」へ
リーダーになったときは、もうちょっとトラブるだろうなと思われていたようです。上司に、「意外だった」といわれました。会社の中にはいろいろと問題もあるものですが、「秋田のところは問題ないね」と。「立場が人をつくるんだな」ともいわれました。
ぼくがけっこう「部下肌」だったからだと思います。上司に進言するのが得意で。理詰めで「これがこうだからこうすべきなんだー!」というように、生意気にガツーンといっていました。
それまでは、金沢のリーダーに守ってもらっていたんですね。たぶん、ぼくがガツンガツンいった結果返ってきた反応を、金沢のリーダーが吸収してくれていたんだと思います。
自分がリーダーになったら、リーダーなのでほかの部署と仲良くしなければいけない。ほかの部署に何かお願いするときは、「ここ、どうにかなりませんかね……」といういい方をするようになりました。「変わったね」といわれました。
■ヨセミテ発の勉強会を開き、勉強する場を提供したい
いまは4人で会社を運営しています。今後も少数精鋭で運営していく計画があるので、そこに沿った形でメンバーを増やしていくことになると思います。
基本的には、最低限1人でサービスを立ち上げられる人をそろえます。フラットな組織を目指しているので、かなりリーダー感は薄れると思います。
そうはいっても、仕事を提供するように、勉強する場や環境を提供していけたらと考えています。責任感のある人、やる気のある人を採用するので、そこの「やりたい!」という気持ちを阻害しない環境を提供するところに心を砕くと思います。
あとは情報共有でしょうね。1人で抱えて1人で走っているような状態ではなく、情報を共有して、全員が伸びるような環境をつくりたい。勉強会を開きたいですね、ヨセミテ発で。
» @IT自分戦略研究所 トップページへ |
@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。
現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。
これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。