第26回 僕は教えない。問題点に気付かせる
荒井亜子(@IT自分戦略研究所)
岩井玲文(撮影)
2009/8/3
物部英嗣 (ものべ えいじ) 株式会社トリグラフ 取締役 最高技術責任者(CTO) 1977年10月10日、東京都出身。大学を卒業後、2001年4月、NTTソフトウェアに入社。2005年1月、ケイビーエムジェイに転職。2008年6月、トリグラフ設立。 |
僕は現在、トリグラフというITベンチャーで取締役とCTOをしています。最近では、技術の知識なしで簡単にmixiアプリを作れる無料サービス「ポコポコアプリ」を公開しました。トリグラフの主な事業は、こうしたWebサービスの独自・受託開発です。
CTOとしての業務は、ローコストで生産性の高い技術を見いだすこと、サービスの企画、プロジェクト全体の進行管理、人材育成です。CTOに必要なのは、コンピュータやITに関する幅広い知識。これは僕の強みでもあります。
■必要なことはすべてゲームから学んだ
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いまの僕はゲームなしには語れません。ハードウェア、ネットワーク、セキュリティ、プログラミング……、コンピュータの知識はほぼPCゲームを通じて覚えました。
小学生のときにゲームに目覚め、大学を卒業するまでゲーム三昧(ざんまい)な暮らしを送っていました。中学生のとき、父親がNEC‐9800シリーズ(当時価格約100万円)を購入したので、家にはPCがありました。
僕が大学2年生だった1997年は、オンラインゲームの元祖、「ウルティマオンライン」の年。ウルティマオンラインはとても画期的なゲームでした。僕は非常にハマってしまいまして、おかげで大学2〜4年生は、ほとんど学校に行かなくなりました。好きになるととことん突き詰めるタイプなんです。
当時の日本は、NTTのサービス「テレホーダイ」によって、定額料金でインターネットを使えるのが夜11時から朝8時まででした。それでは足りないので、ネットワークを勉強して、家に専用線を引きました。これで24時間つなぎ放題です! 月額3万8000円くらいかかっていたので、周囲は皆ドン引きしていましたけど……。
並行して、ISPの接続情報の地図などを眺めてインターネットの仕組みを研究しました。地図は毎月更新されるので、「どこの線が太くなったか」など丹念にチェックしていました。常時、ゲームサーバに近くて太い回線に契約を変更しながらゲームをしていたわけです。
ウルティマオンラインは集団型のゲームなので、ゲーム環境が良くないと対人戦では負けてしまうのです。通信環境やPCの性能を上げて、海の向こうのインターネットカフェから攻撃してくる人たちに必死に応戦しました。ゲームで勝つためにはあらゆる手を尽くし、投資は惜しまなかったと自負しています! ところが、大学3年生のときに気付いたのです。
「このままゲームだけをやっていたら廃人になってしまう……」
大学3年生の後半からはマイクロソフトにインターンシップで入社し、その後契約社員になりました。Excelのチームで開発の一部を任されたり、ユーザビリティテストやサーバルームの管理を行うなど地味な仕事が多かったのですが、ゲームで身に付けた知識が世界有数の企業で通用したことが面白くて、ITエンジニアになろうと決めました。
■“まずはプログラマから”という新卒扱いをされたくなかった
就職したのは、NTTソフトウェアという会社です。プログラマとして、Javaで動画配信システムの開発をしました。プログラミングの勉強になったと思う一方で、新卒は“まずはプログラミング”という風潮に自分は合っていませんでした。
インターネット全般に興味があり、プログラミングだけでは自分の知識や経験が生かせない、ゲームで培ったITの幅広い知識とコンシューマ視点を武器に、ユーザー寄りのWebサービスを開発したいという思いが強くなりました。
2005年1月、ケイビーエムジェイというWebのシステム開発会社に転職しました。mixiが本格的にはやりだしたころです。SNSのパッケージ開発の部署で、サーバやネットワークの構築、開発、保守といったWebに関する業務を、希望どおり一通り経験できました。
最初の3カ月はプログラマという肩書きでしたが、システム構成、データセンターの管理などを行ううちに、必然的にプロジェクト全体を見る位置に就き、リーダーやプロジェクトマネージャをするようになりました。
会社の急成長とともに部下の人数が増え、2007年には20〜30人ほどの部下を見る立場にいました。リーダーとしての意識が芽生えたのはこのころです。
■手順書という病
僕は仕事を事細かく指示するタイプではありません。現場のエンジニアにとって大事なのは「何をいつまでに作るか」でしょう。これがぶれなければ「ご自由に」というスタンスです。一から十まで教えてしまうことには反対です。
仕事を依頼したときに、「どうやってやるんですか」といわれると、正直ムカッとくる。語弊のあるいい方かもしれませんが、Webの技術は難しくないと思うんです。Web上にあるマニュアルや参考書を読んで分からないことは、実際のWeb制作現場にはほとんどありません。僕らがやっているのは、言語の発明や誰も見たことがない技術の研究開発ではなく、必要なモジュールやAPIを組み合わせて新しいサービスを作ること。それには難しい学術的なコンピュータサイエンスの知識はあまり必要ありません。ですから、「やり方が分からない」という質問を受けるほとんどの場合は、僕が以前どこかのWebサイトで読んだことのある内容であったりするわけです。
目的を達成するための方法を、一度でも自分の頭で考えないと、応用の利かない人になってしまいます。僕はこれを手順書病と呼んでいます。他人の手順をそのままなぞる人は伸びません。
かつての部下には恨まれていたかもしれませんね。「何で教えてくれないんだろう」とよくいわれました。冷たくて理不尽に思われていたかもしれませんが、その人の5年後、10年後を考えたときに、考える力、必要な情報を自力で見つけ出す力を養ってほしかったのです。思いはなかなか伝わらないものです。そのときの反省から、トリグラフでは、人材育成をもう少し体系的に考えています。
僕の華道の師匠は、「まずまねをして覚えなさい」といいます。エンジニアやクリエーターの技術は特殊技能です。ある意味芸能の世界に近いですよね。まねから始めるのは、エンジニアのスキルアップにも良い方法だと思います。以下は、有名な「守破離」の考え方です。
「守」……何かを大成したいのであれば、まずは誰かのまねをすることです。まねは単純作業ではありません。パーソナリティが違う人同士が同じことするのは、歪(いびつ)であり普通はストレスを感じます。
「破」……まねで体得した型を、「自分だったらこうする」「自分にはこれが似合う」「もっとこうすれば効率がいい」といったアイデアで壊し、自分のものにします。
「離」……個性が仕上がれば一人前です。後は独自の世界が開けていきます。
人から人に何かを伝えるには、こうしたステップを加えないと本質的には伝わらないと思います。言葉で指示するのは簡単ですが、それでは当人のものにはなりません。人に何かを伝えるというのはとてもエネルギーのいることなのです。
■究極のリーダー論は“リーダー不在”
僕は面倒くさい人間なんです。
単純にプロジェクトを遂行して目標を達成するだけであれば、方法を教えてしまえばいいのですが、そんな場当たり的なやり方で人生の大部分を消費することを好ましく思えません。
それゆえ上記のような考え方を強要しがちですが、それが身に付けば、いずれ僕がいなくなっても成長を続けられます。
究極のリーダー論は、“リーダー不在”だと思います。なぜリーダーが必要か――それはみんなの意識が1つに向かないからでしょう。便宜上、誰かが代表して意見をいう必要があります。
「やり方が分からない」という質問を受けたときには、「分からなくない」と思わせるようにしています。「このマニュアルは読んだ?」など対話を通して、自分の求めている答えがどこにあるのかに気付いてもらえればと思います。社内でよく起きる問題の9割方は「話せば問題じゃなくなる」と思いますよ。
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