第27回 「変わっていかなければ」。日本Rubyの会 会長の葛藤
岑康貴(@IT自分戦略研究所)
赤司聡(撮影)
2009/8/10
高橋征義(たかはしまさよし) 日本Rubyの会 会長 1972年1月29日、北海道出身。北海道大学大学院工学研究科修了(情報工学)。ツインスパーク所属。2004年8月に「日本Rubyの会」を設立、会長を務める。著書に『たのしいRuby』『Railsレシピブック』(共著)など。 |
■日本Rubyの会、5周年
2004年8月8日に日本Rubyの会を設立しました。ちょうど5周年ですね。当時からLL(Lightweight Language)イベントなどが盛んでしたが、Rubyはいわゆるイベント参加の受け皿になるようなコミュニティがなかったんです。ユーザーや開発者向けのMLがあったくらいで。でも、これだけでは足りない。例えばイベント開催のためにRuby代表の人選をお願いしたいという時に、まつもとさん(Ruby開発者のまつもとゆきひろ氏)の手をいちいち煩わせるのも違うだろうと。そういう開発以外の部分の受け皿となるようなものが必要だというのが、日本Rubyの会ができた背景にです。
そんな折、まつもとさんが住んでいる玉造温泉にみんなで遊びに行こう、というイベントを企画したことがあって。それはわたし個人の主催する企画になったんですが、それなりに大きなお金が動いたりするのに、個人名義じゃあいかがなものか、と。個人ではなく、団体が必要だよねという話になって、日本Rubyの会を設立しました。わたしがいい出しっぺなので、そのまま会長になりました。
いま考えると、Railsが出てきてRubyの世界が大きくなる前にこういう団体を作っておけたのは、すごく良かったと思っています。Rails以前はそこまで注目されていませんでしたから、あんまり重く考えずに、いい出しさえすれば軽く団体を作れたんです。ラッキーでした。これがRails以降だったら、いろいろな思惑が絡んで大変だったでしょうね。
■目標を決める人と、引っ張る人
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もともとイベントは好きで、学生時代は生徒会や新歓実行委員をやっていたり、社会人になった後もSFやミステリなどの読書系コミュニティのイベントに関わったり。SFはすごいんですよね、コミュニティが。SF大会ではホテルに1000人単位で集まったり。都内のイベントには10年くらい参加し続けています。そういう活動を近くで見てきたので、いわゆるエンジニアのコミュニティにも違和感なく接することができたんだと思います。
コミュニティ活動はモチベーションがすべて。仕事ではないので、義務として何かをやらせるのは不可能じゃないかと思います。だから、(コミュニティのリーダーが)無理やり引っ張ろうとしても、誰もついてきてくれません。例えば、RubyKaigiの運営をやりたいという人に、人手が足りないから「るびま」(日本Rubyの会が発行しているWeb雑誌「Rubyist Magazine」のこと)の編集をやってよ、ということはできないですよね。だから、ただ指示するんじゃなくて、魅力的な目標を作ることが必要です。
そもそもわたし自身、引っ張るのは得意ではないです。人見知りするので、知らない人に声を掛けるのも苦手。わたしが向いているのは、テーマや目標を作ること。日本Rubyの会におけるわたしの仕事はそれだと思っています。毎年、RubyKaigiのテーマを決めて趣意書を書くのはわたしが担当してます。みんながそこに向かいたくなるような、魅力的なゴールや目標を作ることを意識しています。そういうことを思い付くのは比較的、得意なので。
一方で、角谷さん(角谷信太郎氏)は引っ張る力が強いですよね。わたしが立てたゴールに向かって、「こっちに行こう!」とみんなを引っ張っていく。あるいは笹田さん(笹田耕一氏)なら、やはりRubyの開発者の視点や、そこから広がる人脈がある。日本Rubyの会では、たまたまゴールを考える人、つまりわたしがリーダーになっていますが、逆に角谷さんのような引っ張るタイプの人がリーダーの集団もあり得ると思います。その場合、テーマや目標を決める人は参謀としてリーダーの隣に立つ感じ。もちろん、両方できる人もいますよね。
■うまく進んでいない、変わらなければ
RubyKaigi2009の基調講演でもお話ししましたが、個人的には、いまの日本Rubyの会にすごく閉塞感を感じています。うまく進んでいない。人数は増えたけど、結果的に動く人は変わっていなかったり。あるいは活動の幅が広がっていなかったり。たぶん、ちゃんと「コミュニティ」になっていないんだと思います。
うまく進んでいない、というのは、具体的には「るびまの発行回数が減っているのに、有効な対策が出せてない」とか、「ruby-lang.orgのコンテンツが足りていない」とか。RubyKaigiにしても、もっとうまく回るようにしていけるはず。かといって、日本Rubyの会が「RubyKaigiをやるだけの団体」になっちゃいけないし。単発のお祭りだけじゃなくて、日々、Rubyを使う人が使いやすいように、作る人が負担を感じないようにするにはどうしたらいいか、というのを考えて、実行していかなきゃならない。
その原因を突き詰めて考えると、わたしがボトルネックになっていてうまく進まないのでは、というもやもやしたものがあって、基調講演でそのようなことを話しました。RubyKaigiの基調講演でRubyのことではなく日本Rubyの会のことを延々話すというのはどうなんだろう、と思いましたが……。わたし自身、いつどう辞めるかというのはいつも考えています。わたしがずっと会長をやっていると、ほかの人が育たないんじゃないか、とも。自分がいろいろ思いつくタイプなのですが、わたしの立場で思いつきをいってばかりいると、ほかの人はなかなかいい出しにくいでしょうし、そうするとわたしの考えに従って動くだけで、いい意味での変化が起きず、停滞してしまう。いますぐに辞めるつもりはないのですが、権限委譲は進めていきたい。そうしないと、周りの方で責任意識、危機感が出てこない。
とはいえ、多少権限委譲したところで、みんな遠慮しちゃうだろうなという予想はしています。こういう組織はなかなか変わるきっかけがないので……難しいですね。それでも、変わっていかないといけない。たとえ一時的に活動の質が劣化しても、新しい人、新しい動きは必要です。
■ユーザーの「数」はOSSの成功の尺度ではない
「RubyのようなOSS開発が成功している」という状態は、どのような状態を指すのでしょうか。それは、「ユーザーが増えている」ということではなく、「たのしい開発が続いている」ということだと思っています。もちろん、現実問題としてユーザーがいないと開発が回らないですし、理念としてもソフトウェアはユーザーに使われるために開発しているので、ユーザーがハッピーになることは重要です。でも順番を間違えてはいけない。「開発側がハッピーになるために、ユーザーがハッピーにならないといけない」んだと思います。例えば他の言語ができて、それを使った方がユーザーがハッピーになれるなら、Rubyから一切手を引いてそちらの言語を応援するべきかといえば、それは違いますよね。もちろんこれは個人的な考えで、そうじゃないという人もいるとは思いますが。
だから、Rubyにとって「ユーザーの数が増える」というのは、あくまで手段や結果であって、目的ではありません。今のところ日本Rubyの会はそこを目標にはしていません。極端な話をすれば、OSSはユーザーがたとえ開発者を除いて1人だけであったとしても、その1人がとてもハッピーになれるなら、それは素晴らしいソフトウェアなんじゃないでしょうか。日本Rubyの会は開発を行うコミュニティではなく、支援のためのコミュニティですが、あくまで「たのしい開発が続いていくため」、そのための開発者とユーザーの受け皿として機能させていきたい。
コミュニティのゴール設定はすごく難しいです。必ずしもすべてのコミュニティが「数」を求めているわけではないですよね。Rubyはユーザーの「数」を目指すべきではないと思います。何よりも数を優先するというのはRubyっぽくない。結果として広まった方が良いとは思いますが。
繰り返しますが、これらはわたしの意見であって、Rubyistの中でも意見が分かれます。わたしはなるべく魅力的なゴールをひねり出して、それに共感する人が「そこに行きたい」「そこにみんなを引っ張っていきたい」と思わせるように頑張っていくつもりです。
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