第42回 30分でやると決めたら30分でやる、「いい訳無用」
金武明日香(@IT自分戦略研究所)
赤司聡(撮影)
2009/11/30
天野龍司(あまのりゅうじ)氏 株式会社RYUS代表取締役 1969年生まれ。愛知県三河地方出身。2001年にCMSを知り「すべてのWebサイトでCMSが使われるようになる」と確信、以後CMSに関わり続ける。 |
RYUSを立ち上げたのが2006年、37歳の頃です。いまはXOOPSを使った受託開発を中心に仕事をしています。実はRYUSを立ち上げるまで、部下を持った経験がありませんでした。タクシードライバーやホスト、住宅リフォームの販売員など、さまざまな職業を渡り歩いてきたからです。
■人と話すのが苦手だったのに、タクシードライバーになった日
最初の仕事はプログラマです。愛知県出身だったため、高校を卒業した後はトヨタ系の会社で制御プログラムを作る仕事をしていました。
プログラマの仕事は6年続けましたが、外注担当になったことがプログラマを辞めるきっかけになりました。外注担当といっても、実際はほとんど仕事が来なかったんですね。生活ができないので、副業でタクシー運転手をすることにしました。なぜタクシー運転手の仕事を選んだかというと、1人でできて、時間の都合がつけられる仕事だと思ったからです。
わたしは中学生ぐらいのころから技術オタクで、「できれば人と話したくない」と思っていました。しかし、タクシー運転手を選んだときに、なぜか「タクシー運転手は人と話さなくてはならない職業」だという認識がすっぽりと抜け落ちていました。お客さんを乗せて、初めて話しかけられた瞬間に「タクシー運転手は接客業なんだ!」ということに気が付いたのです。当時は、いまよりもずっとタクシー内での会話が多かった。1対1の空間で話しかけられたら、いくら苦手だからといっても黙っているわけにはいきません。
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かなりの荒療治でしたが、結果的にはタクシー運転手の経験がすごく役に立ちました。そのままプログラマの仕事を続けていたら、いまみたいに人と付き合っている自分は想像できなかったでしょう。タクシー運転手の経験はわずか1年ほどでしたが、わたしの人生にとっては大きな転換点となりました。
■歩合制の仕事を渡り歩く
タクシー運転手時代、さまざまな人と話をするようになったことがきっかけで、次はホストクラブで半年働きました。理由は「やってみたかったから」です。女性を相手にして、楽しくお金を稼げればいいなあという考えでしたが、現実は非常に厳しかった。見習い時代は時給800円なのですが、見習い期間が終了すると時給が400円になるのです。給料は歩合制で、指名をもらえれば給料が上がる仕組みでした。しかし、わたしはほとんど指名されなかったため、月に1万円から2万円しか収入がなかったときもありました。
あまりにお金がないので、当時は先輩の部屋に住まわせてもらっていましたが、その先輩に「自分ができることはきちんとすべし」という、非常に大切な常識を教わりました。間借りをしている身分だったのに、わたしは洗濯や片づけを全然しなかったのです。先輩にはひどく怒られましたね、当然でしたが。しかし、当時のわたしはそういう常識さえ、ちゃんと持っていなかったのです。
結局、あまりに稼げないので、ホストクラブを辞めて、そのまま新潟へ行きました。そこで、風呂リフォーム訪問販売の仕事を始めました。住宅を1件1件訪問して、クローザーと呼ばれる商談員のアポイントをとるのが仕事です。1日8時から23時まで仕事をして、アポイントを月に2、3件とれればいい方です。しかし、商品が高いので、十分それでも食べていけました。
住宅リフォームの仕事を1年した後、その経験を生かして大阪で布団の訪問販売をしました。そんなことをしているうちに、気が付いたら30歳を迎えていました。その年になると、就職先を見つけようとしても、なかなか見つからなくなってきた。面接を受けては落ちを繰り返すうちに、面接が嫌になったので、「どうせ雇ってもらえないなら、自分で何かをしよう」と思い立ちました。
というわけで、始めたのが合コンのセッティングサービスです。しかし、これが完全に失敗でした。なぜなら、田舎では人が10人集まると、必ずその中に知り合いがいるからです。「この手のイベントに参加している」と知り合いにばれるのは恥ずかしいし、そうでなくても知り合い同士で盛り上がってしまい、ちっとも恋人を探す雰囲気にならない。これは誤算でした。田舎を甘く見ていました。
しかし、思わぬところから転機が訪れました。合コン集客のために作ったWebサイトを見たお客さんが、Webサイト制作の仕事を頼みに来たのです。 これが、現職との出合いです。ときは1999年でした。しばらくフリーの立場でWeb制作の仕事を請け負っていましたが、2001年にCMSと出合ったとき、「すべてのWebサイトでCMSが使われるようになる」と確信しました。さっそく、自分が作っているサイトをPostNukeに置き換え、半自動で更新できるCMSを自作しました。2002年にXOOPSが開発され、以降はXOOPSを中心にフリーランスで仕事をするようになりました。1999年から2004年まで上越で仕事をしていましたが、東京での仕事が多くなったので、2006年には東京でRYUSを設立しました。わたしの職歴はITエンジニアから始まり、まったく違う経歴を経て、またITエンジニアに戻ってきたわけです。
■「いかに効率よく仕事をするか」「どこが自分の限界か」を見極める
これまでいろいろな仕事を経験してきましたが、ある共通項があります。それは「歩合制」であるという点です。
ITエンジニアの給料は決まっています。しかし、「残業すればするほど残業代がつき、仕事の効率が良いほど給料が下がるのはおかしい」と常々考えていました。歩合制の仕事は大変ですが、がんばったらがんばった分だけ、給料に反映されます。そうすると、「いかに効率よく仕事をするか、給料はどこまで上がるのが限界なのか」を、常に意識しながら仕事をするようになります。タクシー運転手時代、1日20時間、1日も休まずに働いた月がありました。「自分が限界まで仕事をしたら、これぐらいの給料になる」ということを見極めたかったからです。
■リフォームの仕事で学んだ「いい訳無用」
一番楽しかったのは、住宅リフォームの仕事です。お客さんと話をしながら仕事をするのが楽しかったし、学んだこともたくさんありました。住宅リフォーム時代に学んだ考え方として、「いい訳無用」があります。
「できない理由を並べるな、できる方法を考えるべし、いい訳無用」。これを毎朝朝礼で読み上げていました。定期報告のとき、アポが0件だと、つい「うまく回ることができなかった」とか、「お客さんが家にいなかった」とかいい訳をいってしまうんですね。しかし、「アポが0件しかない」というのは事実です。だったら、アポが0件のいい訳を考えるのではなく、どうやったらアポがとれるのかと考えた方がいい。いいわけを禁止すると、結果を出せないのは自分の責任だと思うようになり、解決するために行動するようになります。「いいわけ無用」は、いまでもよく部下にいっている言葉です。
■口でいうだけでは駄目、どうやって相手に気付いてもらうか
自分の仕事の仕方について、1人で仕事をしていたときはあまり意識をしたことがありませんでした。しかし、いま経営者として仕事をしている中で、「他の人は自分と考え方が違うんだ」という当たり前のことを実感しています。
わたしは、基本的に「手間のかかることはしたくない、サボりたい」と考えて行動しています。だから、いつも「短時間でいかに作るか」を考えています。しかし、残業癖がついてしまっている人や、遠回りな作業をしてしまう人に、「こうせよ」と教えてもなかなか身には付きません。結局、考え方はその人自身に気付いてもらうしかないのです。
■30分でやると決めたら30分でやる
例えば、「30分でこの作業をする」と決めたとします。しかし、多くの人は40分で完成させて、それでいいやとなってしまう。そうではなく、自分で締め切りを決めたのなら、どうやっても30分で仕上げる方法を考えて欲しい。お客さんとのコミュニケーションでも同様です。何か大変そうな要望をいわれても「こんな短時間ではできない」というのではなく、それでもやる方法を考える。なんなら、ぜんぜん違う形にする第3の道を考えてもいい。お客さんの要望をきちんと達成すればいいのですから 。
仕事で無茶な要求をされたとする。「やらない」という選択肢一番楽ですが、それでは相手に価値を与えられないので問題外です。では、どうやって実現するべきか。いい訳はいりません。必要なのは、どうやって実現するかを考えること。そこなのだと思います。
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