@IT自分戦略研究所ブックシェルフ(7)
『波乱の時代』(上)を読む
@IT自分戦略研究所 書評チーム
2008/7/23
■世界経済の歴史と共に
米国の前連邦準備制度理事会(FRB)議長 アラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)氏の回顧録。
波乱の時代(上) アラン・グリーンスパン著 山岡洋一/高遠裕子翻訳 日本経済新聞出版社 2007年11月 ISBN-10:4532352851 ISBN-13:978-4532352851 2100円(税込み) |
子ども時代、彼はニューヨークのジャズ楽団でテナーサックスを吹いていた。15歳のスタン・ゲッツ氏と競演したこともある。ニューヨーク大学 商業会計金融学部を経て、コロンビア大学の博士課程に進んだ。指導教官はアーサー・バーンズ氏。ジェーコブ・ウルフォウィッツ氏の指導のもと、計量経済学の基礎も習得した。
1953年、投資顧問・助言会社「タウンゼント・グリーンスパン」を設立、着実な実績を積む。1967年、大統領選挙運動でリチャード・ニクソン候補の陣営に参加したことから、政治への参加が始まる。フォード大統領(当時)の大統領経済諮問委員会に参加、フォード大統領がジミー・カーター候補に敗北した1977年1月20日にニューヨークへ戻る。このころから、大企業の社外取締役就任を打診されるようになる。1983年、レーガン政権のFRB議長に就任した。
FRB議長としての初仕事はインフレ圧力の抑制である。
レーガン政権の景気拡大は4年目に突入していた。表向き景気は好調に見えたが、すでに不安定化の兆候が表れていた。ダウ工業平均株価は年初に2000ドルの大台に突入、40%を超える大幅な値上がりになり、2700ドルを超えていた。バブルの兆しである。経済指標にも問題が出始めていた。政府債務残高が「(レーガン)政権発足の時点の7000億ドルから1988年度末には2兆ドルまで3倍近く膨らんでいた」(『波乱の時代』p.149)。外国為替市場ではドルが下落。消費者物価指数上昇率は、彼がFRB議長に就任したときと比べて2倍近くになっていた。インフレの懸念があった。FRBはインフレ圧力を抑えるために、借入金利を引き上げて景気を減速させようと試みた。
ジョージ・H・W・ブッシュ政権とは対立した。FRBはインフレ抑制の姿勢を示し、ブッシュ政権は景気の刺激を志向した。巨額の財政赤字が解消されないまま景気は後退、「ブッシュ政権は財政政策でそれに対応する柔軟性をもてなくなっていた」(同書、p.173)。
1989年11月。ベルリンの壁が崩れた。ソ連の中央計画経済は崩壊したが、「自由市場制度への移行ではなく、闇市場の制度を築く結果になった」(同書、p.202)。
2001年9月11日、世界貿易センターに飛行機が2機激突したとき、彼はスイスエア128便に乗っていた……。(鯖)
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