@IT自分戦略研究所ブックシェルフ(84)
協業できない専門家に存在意義はない
@IT自分戦略研究所 書評チーム
2009/1/23
■専門家同士の共同作業
街場の教育論 内田樹(著) ミシマ社 2008年11月 ISBN-10:4903908100 ISBN-13:978-4903908106 1680円(税込み) |
教養教育とは畢竟(ひっきょう)コミュニケーションの訓練のことだ。「私たちがふだんなにごともなく使っている人間的用語や人間的尺度が『使えない』という条件で、何とかコミュニケーションを成立させる。その訓練が教養教育ということのほんとうの目的ではないか」(『街場の教育論』、p.89)とこの本の著者は書く。
専門教育とは「内輪のパーティ」のことだ。専門家同士の話は多くの場合、符丁の交換である。実はよく意味が分かっていないのだけれど、使い方だけは知っているテクニカルタームを並べて話をしたり、文章を書いたりする。もちろん、門外漢が聞いても何のことやらさっぱり分からない。しかし、それが専門的だということなのだから、そのこと自体に問題はない。
問題が生じるのは、ある専門領域を有用であると証明しなければならないときである。「ある専門領域が有用とされるのは、別の分野の専門家とコラボレーションすることによってのみだからです」(本書、p.91)。多くの場合、ほかの分野の専門家は、あなたが属する専門領域の知識をほとんど持っていない。あるいは、これっぽっちの関心さえないかもしれない。それでも、それだからこそ、専門家はほかの専門家と共同作業ができなくてはならない。ほかの専門家と協業できない専門家に存在意義はない。
「自分が何の分野の専門家であるかを、他の分野の専門家たちに理解させることのできない専門家には、誰からもお呼びがかかりません。これが『専門家』という存在の背理性です」(本書、p.93)
技術力、知識量に関係なく、人は何らかの分野の専門家である。専門家同士が専門領域を融合し、新しき「良きもの」を生み出す。その基礎となるのが、教養であるとこの本の著者は考えている。(鯖)
本を読む前に | |
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