エンジニアが語るリレーエッセイ
エンジニアに資格は必要か? 第2回
arton
2001/10/19
毎回さまざまな分野のエンジニアに、「エンジニアに資格は必要か?」をテーマに、自身の実体験などを織り交ぜて語っていただく。エンジニアの“生”の声を紹介する月刊リレーエッセイ。第2回は、RTOS上でデータベースやミドルウェア関連の開発を行っているarton氏が、その本音を語る。 |
■技術レベルとマーケティングレベル
エンジニアとしての矜持(きょうじ)を高く保ち、成果で能力を証明できればそれが一番だ。が、世の中そればかりではないらしい。技術的に優れた製品が必ずしもマーケット(市場)での成功を意味しないのと同じかもしれない。つまり、技術レベルとマーケティングレベルの乖離というのは、エンジニアにも無縁ではいられない厄災のようなものだ。それにマーケットに受け入れられないというのは、やはり何か根本的に間違っているのかもしれないじゃないか。では、それをどうやって判断するのか?
こんなことをかれこれずいぶん前に考えた。考えるきっかけになったのは、かなり前に日経コンピュータに掲載されていたコラム『リプレースの研究』の次のような場面に、衝撃を受けたからだ。そこには、ユーザー企業の担当者が、(それまでの取引企業だった)A社と違ってB社は、情報処理技術者資格を持つSEを担当に付けてくれたので誠意を感じたという場面があったのだ。もちろん、ほかにも致命的な理由があったのかもしれない。しかし、ベンダ選定の要素として、それまで少しも意味があると思ったことがなかった情報処理技術者試験が出てきたことに仰天したのだ。
■人事採用基準としての資格
ちょうどそのころ、担当の仕事がつまらなくて転職を考えていたこと、情報処理技術者試験の試験区分が改定されて、自分のジャンルだと考えていたネットワークとデータベーススペシャリストが加わったことも手伝って、一発(試験を)受けてみるかという気になった。それに、システム担当者がリプレースのエクスキューズに使うならば、人事担当者が採用のエクスキューズに使うかもしれないという下心と、比較的特殊な世界でエンジニアをしていたので、世間一般のエンジニアのレベルとズレていないか不安を感じていたことも、受験した理由だ。いま考えると後者の比重が非常に高かったかもしれない。エンジニアにとって致命的なのは、知らずに“井の中の蛙”になってしまうことだ。いつものように仕事をこなしている限り、井戸の存在にさえ気づくことはない。これでは落ち着いて転職もできないではないか。
その不安に対して、試験区分の改訂や前述の記事が答えてくれた。だれのための資格か、という問題に対して僕がそのとき出した結論は、“エンジニアを使う側”というものだ。考えてみれば、医師の国家試験というのは医師のためではなく、われわれ患者を守るためにあるともいえる。もちろん、無免許医にだってブラックジャックのようなすご腕がいる可能性はある。ましてエンジニアの資格なんて必須ではないからなおさらだ。それでもJITEC(情報処理技術者試験センター)は、産業界の要求にこたえるために通産省(当時)の外郭団体として動いているわけだから、そうそう内容のない試験を出すわけでもないだろう。それが証拠に区分改定をしたじゃないか。
ならば転職の際に意味がないことはあり得ないし、裏を返せば社会一般が期待するエンジニアの資格を自分が持っているかが分かるはずだ。ちなみに、そのころユーザー企業への転職を考えており、そうした企業では、期待されるエンジニアであるかを表す資格も有効かと考えた。もちろん、実力本位で少数精鋭のIT企業であれば、資格に一切の価値を置かないという方法論は理にかなっている。僕だって、履歴書にいくら資格を並べていても実績を話せないエンジニアはお断りだ。技術者の目を資格でくらますことはできない。
■とりあえず受けた結果
それが確信に変わったのは、予想問題集を1冊買って読み始めてからだ。午前中がマークシートということは、機械的に採点ができるわけだから、きっと“足切り”するに違いない(と、当時思い込んだ)。それならば、午後の試験解答を試験官がきっちりと読むだろうと考えた。ならば、過去の事例を勉強する必要はない。問われているのは決められた時間内に読み手を説得可能なソリューションを提供することだ。十分に有意じゃないか。試験らしい部分は、それが可能な問題を瞬時に選択すること……。この点は熟考するタイプのエンジニアにはつらいところだろう。その意味ではしょせん試験は試験、いわゆる秀才向きで合否は現実世界のエンジニアの能力とは無関係には違いない。それでも時間があれば解けるのか(ならばOKだ)、はなから歯が立たないのか知ることは自分の知識や設計能力を問い直すなんらかの目安になるはずだ。
結果を書くと、ネットワークもデータベースも合格した。もっとも、その後勤め先の方向性が変わって刺激的なプロジェクトに参加できたので、転職する気はなくなった。だから、履歴書的な意味では役に立たなかった。
■資格は学んだことの確認
それより、自分のエンジニアとしてのキャリアが世間とずれてはいないようだと実感できたことが、得がたい収穫だった。だからといって、特にネットワークについていえば、当時といまでは使える技術もインフラも全然違うので、資格を持っているという感じがしない。むしろ期末試験で、それまで学んだことが身に付いていたことが確認できたという感じだ。
合格を目的とした勉強をするのであれば、資格取得を勧める気にはならない(時間の無駄だ)が、エンジニアとしてのキャリアに迷いを感じているのならば、受験する価値は、合否にかかわらずあるのではと感じている。
筆者紹介 |
arton■RTOS上でのデータベースエンジンを皮切りに一貫してミドルウェアやフレームワークの開発を行い現在に至る。この間プラットフォームはどんどんダウンサイジングして、いまではWindows周辺の仕事がほとんど。そろそろ飽きてきたところに.NETが出て来たのでまた面白くなってきたという。著書に『Rubyを256倍使うための本 邪道編』『同 網道編』(アスキー刊) |
@自分戦略研究所の資格や学習に関連するサービス | |
|
@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。
現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。
これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。