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必要とされるキャリアとスキルを追う!

第17回 運用経験を生かし、本当に使いやすいシステムを

長谷川玲奈(@IT自分戦略研究所)
2007/9/25

いま、現場で求められているキャリアやスキルは、どんなものだろうか。本連載では、さまざまなITエンジニアに自身の体験談を聞いていく。その体験談の中から、読者のヒントになるようなキャリアやスキルが見つかることを願っている。

 日本ヒューレット・パッカード(HP) コンサルティング・インテグレーション統括本部 ITインフラ第一技術本部 第四部 アソシエートコンサルタント 吉田幸泰氏は、これまで一貫してインフラにかかわってきたITエンジニアだ。

 前職では、大規模なものを含めいくつものシステムを運用してきた。次第に「システムはもっとうまく作れるはず。運用の経験を生かし、今度は作る方も担当したい」との思いを抱くようになり、HPへの転職によってシステム設計・構築にかかわれる立場を得た。

 「本当に必要とされる、運用しやすいシステムの設計や構築をしたい」という信念を持つ吉田氏。彼の歩んできた道を知ることは、運用管理担当者だけでなく、すべてのITエンジニアの参考になるはずだ。吉田氏のこれまでのキャリアを追った。

新人時代に、インフラの基礎をひととおり学ぶ

 吉田氏は昔からのコンピュータ好き。大学での専攻は社会心理学と理系ではなかったが、卒論の研究は「人がコンピュータに対してどういう振る舞いをするか」という、文系の視点から人とコンピュータとのかかわりにアプローチするものだった。ゼミの担当教授はコンピュータにとても詳しく、学生時代はその影響も大いに受けたという。

日本ヒューレット・パッカード コンサルティング・インテグレーション統括本部 ITインフラ第一技術本部 第四部 アソシエートコンサルタント 吉田幸泰氏

 もともとPCに触るのが好きで、大学に入学する前からパソコン通信に親しんでいた。入学は1997年で、ちょうどインターネットが盛り上がってきたころ。「パソコン通信がだんだんインターネットに変わっていくというときでしたね」という。

 そうした背景もあって、吉田氏はこのころから「将来はネットワーク技術者になりたい」と思っていたという。ネットワークに関する本を買って読むなど、個人的に勉強していた。就職するに当たっては迷わずIT業界を選び、大手システムインテグレータに入社した。

 4カ月間の集合研修でビジネスマナー、Oracle、ネットワーク、C言語などを学んだ後、出身地である名古屋に配属。インフラ担当として、あるプロジェクトに参画した。

 このプロジェクトは、製造業系企業の会計システムをERPパッケージに置き換えるものだった。吉田氏が加わったのは設計がほぼ終わり、構築の段階に入っていたころ。「OJT担当の先輩社員について、開発の人たちが使うPCのセットアップからインフラ構築、設定まで、いろいろ担当していました」と吉田氏は語る。

 ここで吉田氏はOracle、UNIXサーバ、Windowsサーバに携わり、知識を吸収することになる。「ERPパッケージってこんなものということも分かりましたし、ストレージの知識も身に付けたし、現在やっているインフラの仕事の基本を、最初の仕事でひととおり勉強できたなと」思えるほど、ある意味当時の吉田氏に最適なプロジェクトだったようだ。「運が良かったんじゃないかと思います」

仕事は「なるべくラクして、楽しく」

 希望していたIT業界に入った当初の印象について聞くと、「いろいろ覚えること、やることがたくさんあって、毎日必死だった記憶があります」とのことだった。「学生時代、それなりにPCに触っていて、自分ではコンピュータ用語などをよく知っているつもりだったんです。でもやはり全然知らない言葉だらけでした」という。入社直後から、残業もかなり多かったそうだ。

 それでも「いま思えば楽しかった。そのころはつらかったですが」と吉田氏はいう。そのわけは、さまざまな人との出会いにあったようだ。「規模の大きなプロジェクトだったので、多くの人とかかわり合うことができました。自社の人にもパートナーさんにもお客さんにもけっこういろいろな方がいて。そういう人と仕事するのは楽しかったですね」と振り返る。

 そのころ吉田氏は、仕事に対する姿勢などに関し、大きな影響を与えてくれた人と出会っている。すでに登場した、OJTで教えを受けた先輩だ。

 吉田氏とはかなり歳が離れていて、「最初は『どんなおじさんなんだろうな』と思いました」。「でもとにかく感覚が若い。相当なベテランでありながら、常に新しいことを学んでいこうという、とても前向きな先輩でした。かつ、仕事はなるべくラクして、楽しくしようという考えを持っていました。そういう先輩と仕事できたのが良かったと思います」

 この先輩の下で、吉田氏は現在のスキルのベースとなるインフラの基本を学んだ。しかし先輩は新人だった吉田氏に、手取り足取り教えてくれたわけではない。「知識も豊富で、部署内のいろいろな人に頼りにされていました。でも技術的に細かいことは教えてくれなくて、『まずは自分で調べろ』という姿勢でした。なので、こう調べたり考えたりすればいいんだという、勉強の仕方を学ぶことができました」。知識だけではなく、自分なりの調べ方も身に付けられたようだ。

 残念なことに、その先輩は半年ほど吉田氏のOJTの担当を務めた後、「部長になってしまって、現場の人ではなくなった」そうだ。「もう半年くらい一緒に仕事して、いろいろ教えてもらえれば……」と吉田氏はいう。

HP-UXチームへの参画

 システムの構築に1年、本番稼働後の運用に1年数カ月携わった後、吉田氏はこのプロジェクトを離れ、次の仕事に就いた。顧客のデータセンターに常駐してのサーバの運用だ。

 データセンターなので、当然ながら大量のサーバがある。「1つ目の仕事でそれなりの規模のシステムを見たと思っていましたが、それよりもはるかに大きなシステムがごろごろしていました」と吉田氏は語る。

 サーバ運用チームは、HP-UX、AIX、Solaris、Windows系とプラットフォームごとに分かれていた。そこでHP-UXのシステムの担当になったのが、「HPとの初めての接触でした」という。HP-UXチームは全体で12人ほど。吉田氏はその中で、ある特定のシステムをほぼ専任で担当していた。「規模が大きいうえに問題も多い、手がかかるシステムでした。本番稼働しながらも、ディスクが足りなくなると追加するなど少しずつ構成を変えていく、どんどん進化していく変わったシステム」だったという。

 HP-UXチームには、HPのプロパー社員が2人参加していた。「その人たちの人柄の良さ、スキルの高さ、HPのサポート部門であるレスポンスセンターの担当エンジニアのスキルの高さ、やっかいな問題を質問しても親身になって考えてくれるところ」に、吉田氏は深い感銘を受けた。

 実は吉田氏は、HPチームの担当になったとき、少し抵抗があったのだという。外資系の会社というものに、あまりいいイメージを持っていなかったためのようだ。「しかしそれは思い込みだったと分かりました。社員の人柄やスキルを見て、HPっていい会社なのかなと」思ったそうだ。

夜中に英語で電話が……  

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