第44回 私はこうしてITアーキテクトになった
加山恵美
2007/9/12
■Webアプリケーションの新天地へ飛び込む
このチームへの異動は斉藤氏にとってはるかに大きな方向転換だった。「後の転職より、大きな違いがありました」と斉藤氏はいう。
「新しいチームではJavaやRDBの技術が中心となりました。これまで必要とされたスキルとは大違いです。さらに学ばなくてはならないことだらけでした。またWebアプリケーションなので、HTMLやJavaScriptも知らなくてはなりません。Webにおける通信手順やフレームワークといった概念も習得しなくてはなりませんでした」と斉藤氏。
技術面ではいわば旧式のクローズな世界から新出のオープンな世界へと、未踏の地へ踏み入れるようなものだった。仕事のやりかたもまったく従来と違っていた。これまでは1人ですべてをこなしていた。だが今度はチームで開発をする。
「仲間に『なぜソースにコメントを書かないの?』といわれてしまいました」と斉藤氏はいう。これまでその必要がなかったのだから無理もない。内心では「見れば分かるでしょ」と思いながらも、チームで開発する習慣を身体に慣らしていった。
コメントに限らず、まったくの新天地だったので当初はあらゆることに手こずった。斉藤氏は当時の自分を振り返って「最初のうちは『役立たず』でした」と苦笑いする。しかし斉藤氏は急ピッチで新しい領域を吸収していった。
■助っ人、エバンジェリスト、そしてITアーキテクトへ
「言語の取得は最初の3カ月ほどで十分でした。これまで習得した言語の差分や違いで理解すればよかったからです。その後Webアプリケーションの周辺技術や概念などを習得するのに時間がかかりましたが、1年ほどで必要なスキルはほぼ身に付いたと思います」と斉藤氏はいう。
言語、Web技術、商用からオープンの製品知識など、1年ほどでWebアプリケーションのエンジニアの知識と考え方を身に付けた。この努力の甲斐あり、斉藤氏は社内でも屈指の先進技術を持つエンジニアとなった。これは会社の戦略でもあったようだ。つまり斉藤氏が参加したチームが結成されたのは、会社がWebアプリケーションの技術力を底上げする目的もあったと見られる。
会社の思惑はともかく、斉藤氏はWebアプリケーションのスキルも手に入れた。社内ではまだこうしたスキルを持つ人は少なかったので、ほかのチームの助っ人から社内研修の講師役に呼ばれることもあった。火消しからエバンジェリストまでこなしたということだ。
こうした細かいサポートもあったが、メインの仕事は比較的大規模な開発案件だった。ここではITアーキテクト的な役割をこなした。もともとITアーキテクトとして任命されたわけではないのだが、結果的にそうなった。「ほかにできる人がいなかったからです」と斉藤氏はいう。
■これまでの経験とスキルが役立った
集団でWebアプリケーション系の開発を行うとき、開発標準やルールを定めること、多様な技術をどう組み合わせるか考案することが必要になる。誰かに命令されることなく、斉藤氏は自然とその必要性を察知した。後から「これこそがITアーキテクトだな」と気付いた。
ITアーキテクトの役割はコンサルタントともプロジェクトマネージャとも違う。コンサルタントが考える理論や理想を実現する技術的実装を考案する立場である。理論ではなく具体的な実装に責任を持つ点でコンサルタントとは違う。また開発作業の進ちょくなどを管轄するプロジェクトマネージャとも違う。「ITアーキテクトの仕事は、業務チームが実装作業に入る前に終えなくてはなりません。開発作業に入ってもずるずると仕事をしていたら負けですね」と斉藤氏は笑う。
斉藤氏がITアーキテクトの役割を担うことができるのは「小物職人」をしていた時のシステム全体像を把握するスキルと、Webアプリケーションで身に付けた先進的なスキルと知識があってのことだ。「不思議ですよね」と笑いながら斉藤氏はITアーキテクトの極意を語る。
「ITアーキテクトは大きなプロジェクトに必要な存在ですが、大きなプロジェクトしか経験していない人にはなれないのです。全体像を見る目が必要です」
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