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IT業界の冒険者たち

第3回 アップル中興の祖の終わりなきオデッセイ

脇英世
2009/5/14

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 マッキントッシュの救世主となったのはマイクロソフトエクセルとDTPソフトである。「もし」を発動したくなるが、それは無理だろう。

 ともかくスカリー体制になってアップルは急速に巻き返し、さらに破竹の快進撃を開始する。1989年のある時期には、アップルがIBM陣営を一時しのいだという報道さえなされたくらいである。特にマルチメディア分野で、アップルは独走を続けた。

 いろいろいわれてもマッキントッシュは、スティーブ・ジョブズの個性を強く反映した製品である。スカリーは、それに乗っただけである。スカリーには、何とか自分の手掛けた製品やコンセプトを世に出したいという気持ちがあっただろう。ナレッジ・ナビゲータやPDA(携帯情報端末)のニュートンなどに、スカリーはかなりの力を入れた。

 ナレッジ・ナビゲータの思想は『スカリー』(後出)のエピローグ「21世紀のルネッサンス」に一番完全な形で残っている。

 1990年代初頭、米国は危機に瀕しており、スカリーの認識では特に危機に瀕していたのが米国の中産階級であった。中産階級こそは世界経済における米国の強さと力の源泉であった。従って、何としてもこの中産階級を防衛しなければならなかった。希望はイノベーションにあり、それにつながるものは個人の創造性の尊重である。

 「知性を新しい視点に目覚めさせることと、人類がほかのどんな方法によっても発見できなかった知識を獲得する方法を与えることで、個人の創造性を刺激する道具が必要である」「21世紀初めに登場するはずの未来のマッキントッシュは、おそらく素晴らしい夢のような機械で、“ナレッジ・ナビゲータ”と呼ばれ、世界の発見者、印刷機のように世界に生命を吹き込む道具となるだろう」。スカリーはとかく評判の悪い人であるが、ナレッジ・ナビゲータのコンセプト自体は評価してもよいものだろうと思う。

 1991年、スカリー率いるアップルは仇敵IBMと突然手を結び、世間をあっといわせた。パワーPCの製造、カライダ、タリジェントの設立など人を驚かせるような施策を次々に発表する。しかし、華やかな舞台の陰で、アップルの主力商品であるマッキントッシュは次第に追い詰められていった。モトローラの68000系列CPUでは、次第にパワー不足になってきたからである。1993年、ついにスカリーはアップルのCEOを退陣させられる。

 アップルを追い出されたスカリーは、通信関係のベンチャー企業スペクトラム・インフォメーション・テクノロジーズに移ったが長続きせず、すぐに辞めた。訴訟好きなスカリーは、有名な訴訟事件を引き起こす。スカリーは、その後フィルムメーカーのイーストマン・コダックに迎えられた(*2)。

*2)スカリーはコダックも辞め、ライブピクチャーの会長を務め、また、国際人権委員会で活動した。たまにマスコミに登場しているが、もはや影響力を持ち得ないようだ。

 ジョン・スカリーの自伝は、『オデッセイ―ペプシからアップルへ』(邦題『スカリー』会津泉訳、早川書房)という。ペプシコからアップルへの漂泊をつづっているが、トロイ戦争からの帰途、流浪を続けるオデッセウスのようにスカリーの旅は、いまだとどまることを知らない。

 スカリーという人のやり方は極めて冷徹であり、基本的には首切りと派手な宣伝を柱にしている。有能なことは間達いないが、極めて内向的な性格で疑い深い。また持久力にも乏しい。何度自伝を読み返しても、あまり人間的な魅力に富むタイプとはいいにくい。パソコン業界の偉人には、ある日彗星のごとく現れては、ひととき明るく輝き、そして消えゆく人が多い。ジョン・スカリーもその1人ではないかと思う。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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