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IT業界の冒険者たち

第9回 人生に3回勝負を挑む男

脇英世
2009/5/22

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 インテルを辞めた2人は新会社についていろいろな構想を出した。フェデリコ・ファジンは新型のマイクロプロセッサを作りたいと思い、ラルフ・アンガーマンはマイクロコントローラを使用した電動式のタイプライタを製造したいと考えていた。フェデリコ・ファジンのアイデアが雑誌に紹介されると、エクソンが資金援助を申し出てきた。

 1974年、エクソンの援助を得て、2人はザイログという会社を立ち上げた。ザイログという名前はラルフ・アンガーマンが考え出したものだという。フェデリコ・ファジンの主張によって、ザイログはインテル8080の上位互換チップZ80を作ることになった。ザイログには嶋正利氏もインテルから合流した。

 1976年、Z80は完成した。インテル8080の設計チームが作った高性能互換チップである。いいと思うものなら何でも詰め込んだ奇妙なマイクロプロセッサであった。

 Z80はインテル8080互換でしかもはるかに高性能であったため、インテル8080ばかりか、後継のインテル8085さえも駆逐し、1980年まで8ビットマイクロプロセッサの覇権を確保した。Z80には、インテル8080用のソフトウェアをそのまま動作させられるという長所もあった。

 8ビットCPUのZ80に対し、次世代仕様である16ビットCPUとしてザイログが提供したのがZ8000であった。ただ、Z8000はZ80と何の互換性も持たなかった。何とも不思議だが、これは新たに雇った高学歴のエンジニアたちがZ80の持つアーキテクチャの泥臭さを嫌い、ラルフ・アンガーマンやフェデリコ・ファジンの知らないところで独自に設計してしまったためである。2人がそれに気付いたときには、すでに手遅れであった。さらに、エクソンが派遣した経営陣との対立や、IBMがIBM PCにインテル8088を採用したことで、Z8000の将来に暗雲がたちこめるなど、ザイログにとっては不幸な事件が続いた。

 結局、フェデリコ・ファジンとラルフ・アンガーマンの2人はザイログを退社することになり、ザイログの株を売却して、それぞれ400万ドルを得た。ザイログそのものはテキサスの投資家グループによって1997年に買収されたが、現在も存続している。ザイログを去ったフェデリコ・ファジンは、1986年にシナプティックス社を設立した。

 1979年、ラルフ・アンガーマンはスタンフォード大学教授のチャーリー・バスと手を組み、LANの専業会社であるアンガーマン・バス社を設立した。2人はザイログの株を売ったお金でアンガーマン・バスに出資した。社名の由来については、案外誤解している向きもあるようだが、アンガーマン・バスという名前のバスがあったわけではなく、単に創立者2人の名前をくっつけただけだ。当時、マイクロプロセッサとは無縁に近かったLANの世界に転進したラルフ・アンガーマンの勇敢さと大胆さには、驚嘆するというより、あきれてしまう。1984年に、チャーリー・バスが1年間アンガーマン・バスの仕事から遠ざかっていることを見ると、やはりアンガーマン・バスは、ラルフ・アンガーマンの会社であったといえよう。

 アンガーマン・バスは、当初GMが推進していたMAP(マニュファクチャリング・オートメーション・プロトコル)用のトークン・パッシング・バスに使うケーブルモデムなどを販売していた。その後はイーサネットカードなどへ事業を展開している。当時、LANを専業としている会社はアンガーマン・バスしかなかったため、同社はたちまち業界の覇権を握った。ラルフ・アンガーマンの名前が最も光り輝いたのは、この時代であったに違いない。

 何度かの買収攻勢を切り抜けてきたアンガーマン・バスであったが、1988年にはタンデム・コンピュータにより2億6000万ドルで買収され、完全に子会社化された。この買収により、ラルフ・アンガーマンは、タンデム・コンピュータの上級副社長兼ネットワーク部門の最高経営責任者に就任した。

 状況は次第に変化し始める。1990年にはシンオプティクスなどの後発LANメーカーがアンガーマン・バスに追い付き始めた。1993年になると、タンデム・コンピュータが5億5000万ドルの赤字を出し、1600名以上の従業員が解雇された。ラルフ・アンガーマンも同年5月、アンガーマン・バスを退社している。アンガーマン・バスは、その後UBネットワークスと社名を変更した。タンデム・コンピュータが、その後コンパック・コンピュータに買収されたことは、ご承知のとおりだ。

 チャレンジ精神の塊であるラルフ・アンガーマンは、アンガーマン・バスを離れた後、1994年にファースト・バーチャル・コーポレーションを設立した。その後、社名はFVC.COMに変わっている。

 ラルフ・アンガーマンは、再び誰もやったことのない未開の沃野(よくや)を目指した。狙ったのは、ビデオ会議と対話型ビデオプレゼンテーションを組み合わせた、ビデオネットワーキングである。具体的にはディスタンスラーニング、ディスタンスワークを目指した。映像を利用するためには、広帯域ネットワークが必要となる。そこでラルフ・アンガーマンは、ATM(非同期転送モード)技術に目を付けた。

 ビデオネットワーキングの思想は、アンガーマン・バス時代に経験したMAPネットワークに基づいているのではないかと予想される。GMの構想したMAPネットワークでは、自動車の生産自動化のためにロボット制御用コンピュータをネットワーク接続するだけにとどまらず、テレビの映像によって自動車の生産状況を監視できるようにしていた。つまりは、広帯域ネットワークであった。ファースト・バーチャル・コーポレーションの製品ラインアップには、マルチメディアスイッチやマルチメディアアダプタ、マルチメディアストレージサーバ、ISDNゲートウェイサーバ、そしてMOS(マルチメディアOS)があった。

 この3度目の挑戦が成功であるかどうかは、どのように判断すればいいのだろうか。ラルフ・アンガーマン自身は、「株式を公開できるかどうかが成功の目安である」といっている。ちなみに、ファースト・バーチャル・コーポレーションは1998年4月に株式を公開できた。前途は厳しいが、本人によれば、3度目の挑戦は一応成功したのである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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