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IT業界の冒険者たち

第15回 ノーテル・ネットワークスの帝王

脇英世
2009/6/4

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 ベイ・ネットワークスは、1996年10月、インテルからデイブ・ハウスを次の指導者として迎えた。デイブ・ハウスはミシガン技術大学を卒業後、ボストンのノースイースタン大学大学院に進んでいる。卒業後の1965年に、レイセオンという会社に入社し、ハネウェル、マイクロデータと渡り歩き、1974年にインテルに入社した。インテルに勤務した22年間で、デイブ・ハウスの最も有名な業績は、「インテル入ってる」というフレーズで知られるマーケティング・キャンペーンであろう。

 ベイ・ネットワークスへの着任に当たっては、最高経営責任者、会長、社長というすべての役職を任された。またデイブ・ハウスは、インテルから、ほかにも多くの経営幹部を引き抜いた。かなり期待されていたのだが、デイブ・ハウスのような大物でもベイ・ネットワークスの運営は難しかったようだ。実際に目立った業績を上げることはできず、1999年8月に退任している。

 1998年8月、ベイ・ネットワークスはノーテルに91億ドルで買収された。ノーテルとはノーザン・テレコムの略であり、カナダの巨大電話会社である。ノーテルの歴史はユニークで、ニューイングランドの船長が、カナダにベル電話会社をつくろうとしてやってきたことに端を発する。いろいろな曲折の後、ベル・カナダの設立から1年後には、電話機を製造・提供するカナダ・ベル電話会社製造局という電話機の製造会社ができた。これが1895年、ノーザン・エレクトリック製造会社となる。

 設立以後50年以上もの間、ノーザン・エレクトリック製造会社は関連会社のベル・カナダのためにだけ電話機を作り続けた。紛らわしいが、ベル・カナダとカナダ・ベル電話会社製造局(後のノーザン・エレクトリック)の2社は法律上、別会社である。1960年代に入ってノーザン・エレクトリック製造会社とベル・カナダは研究開発部門を合体させることにした。これがノーザン・テレコムである。

 ノーザン・テレコムは、やがて交換機の分野にも手を染めた。当初技術的には遅れていたが、1980年代にAT&Tの分割があった後、大いに力を伸ばした。

 1998年、ノーテルとベイ・ネットワークスは合併し、ノーテル・ネットワークスと社名を変えた。ここにジョン・ロスが登場する。

 ジョン・ロスは1941年生まれで、カナダのカルガリーとウィニペグで育った。ロスの父親はカナダの航空会社CP Airの無線技術者であったという。たぶん父親の影響で早くから無線技術には興味を持っていたと思われる。また少年時代からロスは自動車が好きであった。機械いじりが好きでスピード狂であったと伝えられる。

 ジョン・ロスはカナダのモントリオールにあるマクギル大学の電気工学科を卒業し、1966年同大学の大学院電気工学科で修士号を得た。

 卒業後、ジョン・ロスはまずRCAカナダに入社した。RCAを選ぶくらいだから無線関係が好きだったのだろう。1969年ジョン・ロスはノーテルに無線技術者として入社した。最初は衛星通信部門に配属された。ノーテルがBNR(ベル・ノーザン・リサーチ)を子会社として設立すると、ロスもBNRに移った。ジョン・ロスは無線技術者として極めて優秀で、無線関係の研究室を率いるまでになった。

 1977年ジョン・ロスは35歳にしてノーテルのジェネラル・マネージャに出世した。ノーテルで最年少のジェネラル・マネージャという記録を作った。将来を嘱望される若手ということになったのである。この後、ジョン・ロスは出世街道をばく進していく。1982年にBNRの社長、1986年生産ライン管理担当副社長、1991年ノーテルのワイヤレス部門の責任者になった。ここでワイヤレスつまり無線はジョン・ロスの得意とするところであったから、ジョン・ロスは大いに腕を振るった。

 またジョン・ロスは光技術に力を入れた。ガリウムひ素のレーザーに賭け、また光ファイバーによるSONET(同期光ネットワーク)技術に賭けた。ノーテルがSONET製品を売った最初の会社になった。2000年には、光のある分野では90%のシェアを持っていたし、光伝送と管理機器の分野全体では40%のシェアを持っていたといわれる。

 ジョン・ロスが率いたノーテルは、光の分野でルーセントを常に引き離して先を走っていた。ルーセントの追随を許さなかったのである。むろんシスコははるかに引き離したままであった。

 誰よりも速いスピードで走るのが好きであったジョン・ロスだったから、会社経営も車の運転と同じで、どの会社よりも遠くということを好んだ。

 ジョン・ロスは、普段はポルシェ911ターボを運転しているらしいが、フェラーリ360、ジャガーXKEコンバーティブル、427コブラ、1967年型コルベットを持っている。ジョン・ロスは速いというだけでなく、レトロな車が好きらしい。こういう古い車は部品がなかなか手に入らないはずだが、インターネットを使って部品を手に入れているらしい。ただスピードは出るのかと首をかしげたくなる。

 ジョン・ロスはF1カーにも乗るらしい。ジョン・ロスの趣味を反映してか、ノーテルはBMWのF1レーシング・チームを応援している。

 1997年ジョン・ロスはノーテルの社長兼最高経営責任者になった。ジョン・ロスは電話系で勢力を持っていたOSI技術よりも、IP (インターネット・プロトコル) 技術が勝つと宣言した。だが電話会社のノーテルはどちらかといえば、IP技術よりもOSI技術の方が得意であった。そこで、ノーテルは前述のようにIP技術に強いベイ・ネットワークスを1998年91億ドルで買収した。実に1兆円の買収であった。思い切ったことをすると、たちまちノーテルとジョン・ロスの名前は評判になった。ただ数年たってみるとベイ・ネットワークスの買収はあまりうまくいかなかったと評価されている。経営幹部と技術者の流出が止まらなかった。ベイ・ネットワークスの買収後、ノーテルはノーテル・ネットワークスと名前を変えた。

 ジョン・ロスの電話でなく、ネットワークに賭ける気持ちがはっきり出ている。

 2001年になってネット・バブルが崩壊し、ノーテルは最も大きな挫折を味わった企業となった。ジョン・ロスも責任を取って、2002年4月に退職することになっている。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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