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IT業界の冒険者たち

第30回 ハッカー革命の旗手

脇英世
2009/7/1

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 ネットスケープでのジェイミー・ザビンスキーの仕事は、UNIX版ネットスケープブラウザの開発であった。プログラマは孤独な仕事だとジェイミー・ザビンスキーは書いている。

 「僕には人生というものがない。仕事以外の友人に会うこともない。たった1度の青春を無駄に費やしている。僕は外へ出て面白いことをしたり、アクティブなことをやったりすべきだし、心も体も最終的には崩壊していく中で、できなくなってしまうようなことをすべきなんだ。でもそうする代わりに、僕は蛍光灯の光の中にとどまり、コンピュータの中にほかのオタク連中の興味しか引かないビットを押し込んでいる。(中略)この仕事は、僕の体を壊してしまう。この仕事は、それに値しない」

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 こうした苦悩の末に、ジェイミー・ザビンスキーは、ネットスケープナビゲータのベータ版を作り上げた。

 ネットスケープナビゲータの成功により、ネットスケープはWebブラウザ市場で隆盛を極めた。一方、出遅れたマイクロソフトは、紆余(うよ)曲折の後、最終的にネットスケープとの直接対決という選択肢を選んだ。マイクロソフトは、ウィンドウズブランドの持つ影響力を巧みに利用して、自社のWebブラウザを普及させつつ、ネットスケープナビゲータを流通チャンネルから追いやるため、組織的に行動を開始する。

 まずはISP(インターネット・サービス・プロバイダ)の上位10社に目を付け、インターネットエクスプローラを無料で提供する代わりに、ネットスケープのWebブラウザを使用しないという排他契約を結ぶように要求した。広告費負担の肩代わりやリベートも出したという。当時、ISPは1000社ほど存在していたが、インターネットアクセスの7割5分は、上位10社によって占められていたため、その効果はかなり大きなものだったに違いない。

 さらにマイクロソフトは、パソコンメーカーに対し、自社のWebブラウザをプリインストールするよう迫った。インターネットエクスプローラを無料で提供する一方で、ネットスケープナビゲータを使わせないようにする。その見返りとして、パソコンメーカーはウィンドウズなどのOSのディスカウント特典にあずかれる。しかし、拒否した場合には、ウィンドウズ系OSの最新バージョンなどの提供が受けられないかもしれないという、脅迫めいた示唆もあったという。それにとどまらず、大企業の情報システム部門やコンテンツの制作会社に対しても、同じような話を持ち掛けたという。あざやかな手並みである。

 このようなマイクロソフトの猛反撃によって、ネットスケープは同社の要であるWebブラウザからの収入をほぼ完全に断たれた。そして1998年1月、ネットスケープはWebブラウザを無料化せざるを得なくなる。これは、ネットスケープの事実上の敗北を意味していた。

 1998年2月23日、ネットスケープはモジラという組織の創設を声明した。Linuxと同様のOSS(オープンソース・ソフトウェア)戦略によって最後の戦いを挑んだのである。モジラの指揮は、めきめきと頭角を現したジェイミー・ザビンスキーが執ることになった。しかし情勢は好転せず、1998年11月にネットスケープはAOLに42億ドルで買収されてしまう。こうして、ネットスケープとモジラの戦いは完全に終わった。その後、850人ものネットスケープの従業員が首切りにあった。

 1999年4月1日、ジェイミー・ザビンスキーは辞表を出し、AOLのネットスケープ部門とモジラを去った。この辞職に際して、ジェイミー・ザビンスキーが自分のホームページ上で極めて率直に語っている。

 「この会社を始めたとき、われわれは世界を変えようとして出発した。そしてわれわれは実際に世界を変えた。もしわれわれが存在しなかったとしても、おそらく半年か1年遅れで、変化は起きただろう。いずれにせよ、実際に起こらなかったことは誰にも分からない。しかし、われわれは実際に変化を成し遂げたのだ。われわれはインターネットを普通の人の手に引き渡した。新しいコミュニケーションメディアを出発させたのである。われわれは世界を変革したのだ」

 これとともにジェイミー・ザビンスキーは厳しい自己批判を行い、さらにこういっている。

 「モジラの失敗をオープソース・ソフトウェアの失敗と考えないでほしい。オープンソース・ソフトウェアはうまくいくのだが、万能薬ではない。ソフトウェアとは難しいものなのだ」

 ネットスケープとモジラの失敗は、ソースコードは公開したものの、現実に出荷されているWebブラウザのソースコードではなく、実際の製品とは何の関係もなかったことだ。モジラ開発の成果はネットスケープ本体で利用されなかった。それでもメール機能があれば、何らかの進展はあっただろうが、ネットスケープはその機能を省いた。これでは何の進展も望めない。気前よくさらけ出したように見えても、出し惜しみしてしまったということが失敗につながった。それに、オープンソースに賭ける決心が弱かった。オープンソースは相当の覚悟がなければ成功しない。貴重な教訓である。

 現在、ジェイミー・ザビンスキーはDNAラウンジにこっているらしい。才能の浪費だという人もいる。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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