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IT業界の冒険者たち

第31回 GNOMEの開発者

脇英世
2009/7/2

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 さて、Linuxの世界でCDEに相当するデスクトップ環境には、まずKDEがある。KDEはKデスクトップ環境という意味である。Kには特に意味がない。KDEはマティアス・エットリッヒという人物によって開発された。これはよくできていて、実はリーナス・トーバルズも支持している。しかし、KDEはトロールテックという会社のQtという製品を使用していて、ライセンス関係に一部モヤモヤした点があるのが難点だった。

 そして、このKDEの対抗馬として急浮上してきたのがGNOMEである。GNOMEについては、リチャード・ストールマンはグノームと読むといっている。このGNOMEの主開発者が、ミゲル・ドゥ・イカザなのである。

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 ミゲル・ドゥ・イカザは、1972年にメキシコで生まれた。UNAM(National Autonomous University of Mexico)、つまりメキシコの国立自治大学で最初は物理を学び、続いて数学を学んだ。本人もよく覚えていないようだが、20歳の時、Linux用にファイルマネージャのミッドナイトコマンダーを書いたらしい。ラテン系の特質からか、細かいことにはあくせくせず、従って本人の語る話は時間的な整合性がまったくない。年代がめちゃくちゃで、資料を読んでいる方は悩まされる。

 ミゲル・ドゥ・イカザのユニークなところは、IBM互換機でなく、SUNのワークステーション上でミッドナイトコマンダーを開発したところにある。高速なマシンの方が楽だという論理である。UNAMの学部卒業後には、同大学の核物理学研究所で働いていた。システム・アドミニストレータとネットワーク・アドミニストレータを兼任していたが、自由な時間はいくらでもあったようだ。26歳で大学院の数学科で論文を書いていたというから、博士課程まではいったようにも思えるし、そうでもないようにも思える。数学はあまり性に合わなかったことだけは確かだ。Linuxも扱っていたらしいが、SUNのSPARCワークステーションやSGIのワークステーション用のLinuxが得意であったようだ。ミッドナイトコマンダーの件にもあるように、IBM互換機にはあまり興味を示していない。ちなみにミゲル・ドゥ・イカザは、Linux環境での画像処理ツールGIMP(Gnu Image Manipulation Program)で一般的に有名だが、本人はGIMPについては何もしていないといっている。そんなことはないはずだが、と唖然とする。

 ウィンドウズ95を最初に見た時、ミゲル・ドゥ・イカザは衝撃を受けた。「われわれの負けだ。われわれは主導権を失った。われわれは完全にインターフェイスを無視して、たたきのめされたんだ」と感じた。ウィンドウズ95には近づくことすらできないと考えたという。ところが、1997年8月に出たKDEはそういった衝撃とは反対のことを証明した。つまり、ウィンドウズ95のようなデスクトップ環境の開発は可能であるし、しかも小さなプログラマの集団で行えるということを証明したのだ。勢いづいたミゲル・ドゥ・イカザのグループは、1997年8月にGNOMEの開発のアナウンスを行った。このアナウンスはGIMPのメーリングリスト、ついでGNUのメーリングリスト、さらにKDEのメーリングリストに流された。

 GNOMEの開発に当たって、最初はCOMやアクティブX、フェデリコも勉強したらしいが、結局は独自仕様に収まったという。GNOMEは14カ月の開発期間で完成した。GNOMEとは、GNUネットワーク・オブジェクト・モデル環境の略称である。GNOMEは当初CDEやKDEを意識して、GDEつまりGNUデスクトップ環境と呼ばれるはずだったが、最終的にはGNOMEという名前に落ち着いた。GNOMEを非常に厳密な定義でいえば、「オープンソースガイドラインに完全に合致したコンポーネントから構成されたオープン・ソースによるデスクトップ環境」となる。

 GNOMEはOMG(Object Management Group)のCORBA(Common Object Request Broker Architecture)を使用している。またバブーンと呼ばれるオブジェクトモデルの構築を目指した。GNOMEはウィンドウマネージャを選ばず、GTK+をGUIツールキットとして使っている。ミゲル・ドゥ・イカザによれば、GNOMEの開発はウィンドウマネージャのエンライトメントを開発したラスターマンが中心となりつつあり、レッドハットはラスターマンに給料を払って開発をさせているとのことだ。このことから分かるように、レッドハットは公式にGNOMEのサポートを表明している。現在、GNOMEのアプリケーションとしては、ワープロのGo、スプレッドシートのGnumeric、カレンダーのGNOMEcal、画像処理のGIMP、テトリス風ゲームのGNOMEtrisなどがある。

 なお、ミゲル・ドゥ・イカザは、エリック・レイモンドの論文「伽藍とバザール」は読んだかと質問されて、「退屈なので読み切っていない」と答えている。今日の状況でレイモンドの論文を退屈と喝破できる面白い人物だ。

 ミゲル・ドゥ・イカザは最近ちょっとした騒動を引き起こしている。事の起こりは2000年6月22日にマイクロソフトのビル・ゲイツが発表した.NET戦略である。1995年12月8日に発表され、インターネット戦略に匹敵するといわれたが、わたしはこれほど実質を伴わないくだらないものもないと思った。結局、ビル・ゲイツは2002年の初頭に「今後のマイクロソフトの戦略の要はセキュリティである」と非公式に表明し、戦略転換を図った。

 この間、親マイクロソフト陣営からも、あまり.NET戦略を賞賛する声は聞かれなかった。ところが、ミゲル・ドゥ・イカザが途方もないことをいったのである。

  • .NETイニシアチブに感動した。C#言語が好きで、インターフェイス・ベースのプログラミングやCORBAを使うよりいい

  • .NETのコンポーネント・アーキテクチャに感激し、開発ツールに感動した。.NETの方が優れた開発環境を提供している

  • すべてをマイクロソフトのAPIに任せてもいい

  • .NETアーキテクチャをオープン・ソースの世界に取り入れるべきで、そのためモノ(Mono)という新しいプロジェクトを始める

  • GNOME CORBAとボノボをドットネットにマッピングする

 目や耳を疑いたくなるような主張だが、本人はまじめらしい。これについては、何も評論しないでおくことにしよう。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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