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IT業界の冒険者たち

第34回 奇跡の復活をした男

脇英世
2009/7/7

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 ミッチ・ケイパーは1982年から1986年、ロータスの社長(会長)で最高経営責任者を務めるが、すぐに仕事に飽きる。そしてジム・マンジに職を譲り、多額のお金とともにパソコンの世界から姿を消す。

 姿を消したミッチ・ケイパーは1986年から1987年、ロータスアジェンダの開発に熱中し、MITの認知科学センターの客員研究員、同じくMITの人工知能研究所の客員研究員となる。さらに1987年から1990年、オンテクノロジーの会長兼最高経営責任者となり、ワークグループコンピューティングのソフトウェアアプリケーションの開発にかかわる。ゴーのペンコンピュータにも外面的援助をするが、必要以上には近寄らない。

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 1992年から1993年、MCCT(Massachusetts Commission on Computer Technology and Law)の会長となり、全米情報基盤(NII:National Information Infrastructure)のアドバイザリーカウンセルに名を連ねる。

 インターネット関係ではパフォーマンス・システム・インターナショナルとUUNetテクノロジーに出資した。またプログレッシブ・ネットワークスの取締役会に参加した。お金がたくさんあるから何でもできる。でもやっていることはちぐはぐで、一貫性がない。

 この時期、ミッチ・ケイパーがやった中で一番成功することになるのは1990年のEFF(Electronic Frontier Foundation:エレクトロニック・フロンティア・ファウンデーション)の設立だ。

 1996年2月初旬、Webページの画面の背景が、突然真っ黒になったのに気付かれた方も多いと思う。

 1996年2月8日、クリントン大統領は「1996年の電気通信法」に署名し、この法律が発効することになった。これは、1934年の通信法を62年ぶりに改正したものである。1996年の電気通信法は、あえて独占禁止法の精神を緩め、長距離電話事業、地域電話事業、CATV事業、放送事業の間での競争を促進し、規制を大幅に緩和、来るべき情報スーパーハイウェイ時代への基盤を構築することに主眼があった。その意味ではかなり野心的な法案なのである。

 ところがこの法案の中には、インターネットでの情報発信に一部規制を加えるような個所があった。ポルノ、堕胎、わいせつ、暴力などが規制対象の主なものである。これに対し、一般の書店や図書館で合法的に入手できるようなコンテンツが、WWWやUSENETの上で非合法となることは許せない、インターネットの検閲には断固反対するとして、各団体が立ち上がり、コンテンツ提供業者は、2月8日木曜日を「暗黒の木曜日」と呼んで、画面の背景を黒にして抵抗運動を展開した。

 市民の権利を守るための抵抗の印として選ばれたのがブルーリボンだった。実はこのブルーリボンを選んだのがミッチ・ケイパーである。ミッチ・ケイパー率いるEFFと米国市民自由連合(American Civil Liberties Union)やほかの市民グループは、言論の自由(フリースピーチ)という基本的人権の擁護のために、48時間の間、ブルーリボンを付けるか、画面に表示するように求めた。抗議のゼネストの呼び掛けのようなものだ。この呼び掛けに呼応する動きは燎原の火のように広がった。「フリースピーチオンラインブルーリボンキャンペーン」という表示とブルーリボンが黒い背景の中に浮かんでいるのを何事かと思って見た人も多かったに違いない。

 2月16日、フィラデルフィアの連邦地裁は、「通信の品位に関する法律」には言論の自由を侵害する恐れがあるとして、その適用を一部差し止める仮処分を決定した。抗議行動は緩和され、黒い画面は姿を消した。

 ところで、マイクロソフトはどうしただろうか。マイクロソフトはかなりの時間がたってから立場を表明し、フリースピーチの支持に回り、ブルーリボンを付けた。何かいわないといられないような状況展開となり、遅まきながら多数派に付いたと見るのが適切だろう。

 米国という国は、開明的なように見えて案外そうではない。特にお金持ちは極めて保守的だ。そういう意味では巨万の富を持ちながら、ミッチ・ケイパーが反体制運動を継続していることは極めて異色である。多分ミッチ・ケイパーはエスタブリッシュメントの世界には絶対に受け入れられない。

 ミッチ・ケイパーがどうして浮上できたかを考えると、極めてさめた厳しい目を持っているからだろう。類型的なパターンとして、一山当てては、巨大なインテリジェントビルを建て、DECやIBM出身の社員を雇い専用ジェット機を買い、豪華なクルーザーを買い、キャデラックのリムジンに乗り、最後に美人の秘書と結婚しては消えていく。ケイパーはいまのところ、そうはなっていない。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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