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IT業界の冒険者たち

第36回 ワークグループソフトの父

脇英世
2009/7/9

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補足

その1 ロータス ノーツとRSA暗号

 RSA暗号は、MITの3人の若手の数学者ロン・リベスト、アディ・シャミール、レン・アーデルマンによって開発された。そしてRSA暗号は1983年9月、米国特許4405829として認められた。ただし特許はMITに帰属していた。これに力づけられてか1983年3人はRSAデータ・セキュリティ社をつくった。RSAデータ・セキュリティ社はMITが保有する特許の排他的使用権を必要としていた。MITは15万ドルで特許の排他的使用を認めたが、そのような大金はRSAデータ・セキュリティ社にはなく、またまともなベンチャー・キャピタルで出資してくれるところもなかった。必要な22万5000ドルはジャック・ケリーというネバダ州リノの医者が用立ててくれた。個人に頼ったのだから、初期のRSAデータ・セキュリティ社がどんな貧弱な会社であったかが分かる。

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 資金が手に入ったので、RSAデータ・セキュリティ社はシリコン・バレーにオフィスを設置し、ラルフ・ベネットというマネージャを雇った。ベネットはバート・オブライエンという若い営業マンを雇った。オブライエンはフロリダのパラダイン社で働いたことがあった。RSAデータ・セキュリティ社の最初の製品は、RSA暗号を組み込んだメールセーフというものだった。メールセーフの開発にはロン・リベストとレン・アーデルマンが当たった。メールセーフの暗号のアルゴリズムの開発にはアーデルマンが当たり、実装はリベストが担当した。大学の教員をやりながら、片手間に開発していたので、メールセーフの開発はなかなか進まなかった。

 ここでジム・ビドーが登場する。ビドーは1955年2月ギリシャに生まれた。1950年代末、父親に連れられて米国に移民してきた。高校卒業後、海兵隊に入隊し、負傷した後、メリーランド大学に入学した。勉強はあまり好きでなかったらしく3年で中退し、IBMに入った。その後パラダインに入社した。パラダインに飽きたジム・ビドーは1985年カリフォルニアに移る。ここでジム・ビドーはRSAデータ・セキュリティ社に入社する。RSAデータ・セキュリティ社は、ただ給料と経費を使うだけの会社で危機に瀕していた。

 このときRSAデータ・セキュリティ社の前に現れた救世主が、レイモンド・オジーのアイリスという会社である。アイリスは開発中のノーツという製品にRSA暗号を必要としていた。

 1985年8月、バー卜・オブライエンとロン・リベストがアイリスを訪れた。RSAデータ・セキュリティ社の希望する金額は大きかったが、アイリスの方には払うつもりがなく、交渉は難航した。1986年ジム・ビドーは先渡し5万ドル、総額20万ドルでアイリスと契約した。ずいぶん安い契約だったが、これで弾みがついてRSAデータ・セキュリティ社は、モトローラ、DEC、ノベルと契約が取れた。

 契約と同時にロータスの創立者ミッチ・ケイパーがロータスを出て行ったことは、RSAデータ・セキュリティ社を失望させた。

 ここで非常に意外に感じることを強調しておきたいが、RSA暗号が最初に使われたのは、大型コンピュータのソフトや軍事暗号としてでなく、パソコン向けのロータス ノーツだったのである。つまりRSA暗号はパソコン向け暗号として出発した。何とも意外なことである。

 ロータス ノーツにRSA暗号を組み込むに当たっては、特に輸出上の問題があった。米国では暗号は当然、武器・弾薬と同じ扱いであった。そこで当局の許可なしにロータス ノーツを輸出した場合には、武器・弾薬の密輸と同じ制裁を受ける。そういうことは避けたいので1986年レイモンド・オジーは、NSA(米国国家安全保障省)を訪ねた。ロータス ノーツは暗号鍵の交換にRSAを使い、実際の暗号化にはDESを使っていた。NSAの関心はこの暗号がNSAに解けるかということであった。結局、米国ではすべての暗号がNSAによって解読されている。盗聴されているといってもよい。輸出にはなかなか難しい問題があることが分かった。

 NSAは暗号鍵の長さを制限して暗号の強度を弱くすれば、輸出を許可しそうな雰囲気であった。そこでロータスはロン・リベストを雇って、鍵の長さを変えられるRC-2暗号を作らせた。RCとはリベスト・サイファーの略である。

 1987年半ば、レイモンド・オジーはNSAにロータス ノーツのRSA暗号のコードを提出した。1987年から1988年にかけて、ノーツには輸出許可が下りず、これがノーツを苦境に追い込んだ。しかし1989年半ば、NSAは32ビットの暗号鍵ならば輸出を許可するといってきた。

 ロータスは米国国内用に64ビットの暗号鍵、輸出用に32ビットの暗号鍵という2つの暗号鍵を使用することで、NSAのお墨付きを得た。

 実は、これがロータス ノーツの開発に5年もかかった原因なのである。

その2 PtoPとグルーブ

 1997年10月、レイモンド・オジーは5つ年下の弟であるジャック・オジーとムーア・ペイティ、エリック・ペイティとともにグルーブ社を設立した。全員ロータス ノーツの開発スタッフである。

 もともと考えられていた社名はリスミックスであったが、発音しにくいのでグルーブに変えられた。グループにかけたしゃれだろう。プとブが違う。

 設立資金はレイモンド・オジーから出ていた。1988年にミッチ・ケイパーが出資し、その後ミッチ・ケイパーがベンチャー・キャピタルのアクセル社を設立すると、アクセル社もグルーブに投資した。

 グルーブはロータス ノーツに似ているが、より個人志向である。現在グルーブのPtoP(ピア・ツー・ピア・ネットワーキング)が話題になっているが、レイモンド・オジーは暗号に強いので、暗号にも重点を置いている。

 グルーブの開発は3年間、秘密裏に行われ、2000年4月、グルーブの構想が公表された。続いて2000年10月、グルーブが発表されている。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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