自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

IT業界の冒険者たち

第52回 コンパックの新しい指導者

脇英世
2009/8/6

前のページ1 2

 1996年には、ベンチマーク・キャピタルの創立者で共同経営者となった。また同年に、SAPによる最初の国際的プロジェクト、SAP R/3の立ち上げに関与している。SAPアメリカでは、サプライチェーンマネジメントのディレクターになった。ジェネラル・モーターズのデルファイ・ユニットにおいて、10億ドルをかけたSAPインプリメンテーションプロジェクトで成功した。

 1997年、マイケル・カペラスはオラクルに入社した。グローバルエネルギービジネス担当上級副社長で、ジェネラルマネージャになった。ここでは、製品開発、マーケティング、セールス、コンサルティング、クライアントサポートなどを担当している。

 そして、1998年8月、マイケル・カペラスはコンパックの最高情報責任者(CIO)に引き抜かれて、同社のeコマース戦略を担当することになった。マイケル・カペラスは、コンパックのノンストップeビジネス・ゴー・ツー・マーケット戦略と、eコマース戦略の統合を行った。また、大幅なコスト削減を含む情報技術組織の統合、製造部門統合を含むサプライチェーン戦略の定義とインプリメンテーション、DECの統合に関するゴー・ツー・マーケット戦略の展開とインプリメンテーションなどを実施した。

 1999年6月2日から、マイケル・カペラスはコンパックの最高運用責任者となった。リーダーシップによって、新しく配置したマネジメントチームを調和させている。

 1999年7月22日、マイケル・カペラスは43歳で、コンパックの最高経営責任者に任命された。SECへの届けによると、マイケル・カペラスの給料は85万ドルで、コンパックの株式100万株のオプションに加えて、株式購入のため500万ドルの融資を受けられる、などの厚遇を受けているという。

 マイケル・カペラスの最大の問題は、知名度がまったくといっていいほどないことだ。このため、ベン・ローゼンの傀儡(くぐつ)ではないかといわれたこともある。ベン・ローゼンはひざと腰の手術をしたというが、ゴルフとなれば1日に30ホール回るくらいは問題にしないという。だが、67歳という年齢はかなりこたえるのだろう。2000年9月28日、ベン・ローゼンはコンパックの会長を退任した。これを受けて、マイケル・カペラスはコンパックの会長になった。

 現在のコンパックにはいろいろ難しい問題がある。まず現在のコンパックが、タンデム、DEC、コンパックの3社から成り立っていることだ。これをうまく1つにまとめなければならない。特にDECの買収は、コンパックに不足しているサービスやサポートの部隊を補強するために行ったわけだが、DEC部隊のかなりの幹部がコンパックを去った。また、社内でタンデム、DEC、コンパックという3種類のサーバ製品を持っているため、このうちのどれかを顧客に勧めるのは難しい。また、コンパックはインターネットでのオンライン販売に背を向け、伝統的な小売店販売に頼りすぎた。そのため、デルコンピュータやゲートウェイにおくれを取ってしまった。またHP(ヒューレット・パッカード)にも追い抜かれている。

 マイケル・カペラスは、こうした難問を解決しなければならない。そうは簡単なことではないだろう。だが、マイケル・カペラスはAlphaを搭載したウィンドウズ・サーバの販売を中止した。ずいぶんと勇気のいることだが、思い切って断行している。このことから、実行力はあるといえるだろう。

 最後に、マイケル・カペラスはその容貌からは想像できないが、ロック好きで、特にフリートウッド・マックを好んでいる。ジーンズとエレキギターを肩からつるした姿で、雑誌の表紙を飾ったこともある。

 2001年9月3日、HP社がコンパックを250億ドルで買収すると発表した。この結果、マイケル・カペラスが新生HPの社長になることが決定している。どういうふうにかじ取りをしていくのだろうか。興味は尽きない。

前のページ1 2

» @IT自分戦略研究所 トップページへ

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。