はじめに――1952年に生まれたことへの感謝
富田倫生
2009/8/17
「誕生! 超貧弱マシン」
パーソナルコンピュータに興味のない人にはさっぱりイメージがつかめず、何やらコンピュータやそのメーカーを馬鹿にしているのではないかと受け取られたようです。逆に興味を持っている人からは、トレイシー・キダーの『超マシン誕生』が頭に浮かぶのか「あいつのパロディーですか」と問われました。パロディーでもなく、あとから出てきたものが似ている場合には「要するにまねた」ということになるのでしょうが、本人は結構気に入っていました。
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もともとはコンピュータと思って作ったのではない代物、コンピュータとして見れば絶望的に能力がなく、使い勝手もすさまじく悪かった代物を「これは俺のコンピュータだ」ととらえなおしたとき、革命はスタートしたのだ。そんな私のイメージを、「誕生! 超貧弱マシン」というタイトルがよく伝えてくれるのではないかと考えたからです。
パーソナルコンピュータの誕生は一つの革命だった、と書きました。しかし、「革命」という言葉ほど、安売りされがちなものもありません。そこでこの本を通して、二筋の道からいったい何が起こったのかを、具体的に考えてみたいと思います。
1つは、日本電気の内部で起こった、企業内ベンチャーとも呼ぶべき動きです。
副題には「日電PC帝国」といささかぶっそうな言葉が入っていますが、最近の日電のシェアを考えると、これもそうオーバーな表現ではないように思います。しかし日本電気がパソコンの日電という一面を獲得するまでには、かなりの紆余曲折があったようです。パーソナルコンピュータという革命児は、日本電気内のコンピュータの専門家が育て上げたものではありません。そもそもはコンピュータとは直接関係のない部門、しかも純粋に技術系のセクションではなく新設された弱小の販売部門から、革命児は誕生しているのです。しかも、日電内の誰も、開発担当者までが商品としてはまったく期待しない形で――。
パソコンの日電のルーツとなった革命児、私流にいわせてもらえば超貧弱マシンはTK-80と呼ばれています。TK-80は、担当者もまったく予想しなかった7万台を売りつくすことになります。副題にある「7万人」とは、このマシンに手を伸ばした人の数を指しています。
さて、二筋の道のもう1つは、ある若者のパーソナルコンピュータによる再生の物語です。
パーソナルコンピュータの誕生にあたっては、いく人かの天才的なヒーローが大きな役割を演じています。しかし、この革命劇の真のにない手をあげるならば、それはやはり、パーソナルコンピュータに興味を持ち、これに飛びついていった数多くの無名の人々でしょう。
では、なぜ彼らは、パーソナルコンピュータに飛びついていったのか――。
その理由をたった一言に帰するほど、私は自信家でもありませんし強引でもないつもりです。いろいろな理由、さまざまな接近のパターンがあったでしょう。
しかしこの革命を同時代者として体験してきた、少なくとも眺めてきた私には、パーソナルコンピュータへの接近のパターンの中に、ある種の似通ったグループがあるように思えてなりません。
いろいろな体験や挫折を通して一度社会の枠組みからはずれてしまった人間が、パーソナルコンピュータを通じてもう一度社会に足がかりをえる。いわば一種のリターンマッチとして、パーソナルコンピュータに接近する。パーソナルコンピュータの文化は、挫折組のリターンマッチ文化としての性格をある面では備えている気がします。
もう一筋の道、再生の物語に登場する若者は、目の前にある社会の枠組みからはずれていこうとする志向を強く備えていました。そうした人物にとって、生きていくことは一種の格闘にならざるをえないようです。
そうした格闘の連続の中での挫折、そして沈滞――。
もしもあの時期にパーソナルコンピュータという奇妙な機械が登場していなければ、彼の沈滞はもう少し長く、もう少し深くなっていたことでしょう。
裏返していえば、挫折と沈滞を余儀なくされていた1つの時代精神が、パーソナルコンピュータという革命児を生み出したのではないか。少なくとも、生み出す一因となったのではないか。
そう考えていくと何やら、1960年代前半のビートルズの革命、1960年代後半の世界的な学生運動の渦、そして1970年代後半のパーソナルコンピュータの革命を結ぶ、1本の筋が見えてくるような気がします。
さあ、言葉だけを先走らせるのは、このへんでやめましょう。
あとは、具体的に書いていきます。
日電内の企業内ベンチャー、そしてある若者の再生物語。
この二筋の道を通して、私はパーソナルコンピュータのまわりで何が起こったのか、そして今、何が起こりつつあるのかを考えてみたいと思います。
この二筋の道の交点に、願わくば革命の本質が姿を現わさんことを。
1984年12月14日
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