アメリカからの風
富田倫生
2009/8/21
ホームブリュー、つまりは自家醸造――。手作りコンピュータクラブとでも訳すのだろうか。ただし、手作りという気安さ、自家醸造なるしゃれっ気とは対照的に、そこでたたかわされる議論はすこぶる高度だった。
ホームブリュー・コンピュータ・クラブの第1回会合は、1975(昭和50)年3月、設立を呼びかけたメンバーの家のガレージで開かれた。参加者が次第に膨れ上がるにつれて転々とした会場は、その後スタンフォード大学の線型加速器センターに移された。
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第1回の会合から出席した天才児、スティーブン・ウォズニアックは、まわりの出席者が彼らだけが理解できるパスワード(暗号)を使ってしゃべっており、自分はすっかり疎外されたような気分を味わったという。コンピュータに関しては天才的だったウォズニアックにとっても、マイクロコンピュータはゲテ物、要するにちんぷんかんぷんだったのである。
そうしたクラブの作っている会報にも、渡辺は興味をそそられた。
ピープルズ・コンピュータ・カンパニー、人民のコンピュータ会社ということになるのだろう。だがここは、コンピュータを作っているのではない。クラブである。
しかしコンピュータを作らない代わり、このクラブはなかなか充実した会報『ドクター・ドブズ・ジャーナル』を出していた。
タイトルからして、いかにもちゃめっ気があり、自由な雰囲気を感じさせる。通常は、『ドクター・ドブズ・ジャーナル』と呼びならわされていたが、正式タイトルをそのまま訳すと『ドクター・ドブのコンピュータの美容体操と歯列矯正ジャーナル』となる。
さっそく定期購読の申し込みを行い、日本に送ってもらうことにした。
もう1つの常識外れの訪問先、それはオモチャ屋だった。当時はようやくテレビゲームが出はじめた時期だったが、こうした新しいオモチャが人気を集めるようになれば、オモチャ業界は当然、マイクロコンピュータの売り込み先となりうる。1個あたりの単価は低く抑えられるかもしれないが、かなりの個数がはけることになる。
「これからは、オモチャ業界へもマイクロコンピュータの売り込みを図るべきだ」とする渡辺のアメリカ出張報告には、社内の空気は冷たかった。「コンピュータを使って遊ぶなど不謹慎」といった認識が強かった時代である。
しかし渡辺は、その本質が何であるかはつかみえなかったものの、各地でつぎつぎと生まれつつあるマイコンクラブを源に、アメリカから新しい風が吹き込んでくるのを強く感じていた。たくさんのアマチュアたちが、マイクロコンピュータに何をやらせるのか、勝手に考えはじめていたのである。
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