簡易教材開発作戦
富田倫生
2009/8/24
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
マイクロコンピュータをどう売るか。その答えはいまだに出ない。
しかし渡辺は、アメリカから吹き込んでくる風を受けて、ほんの少し気持ちが楽になっていくのを感じていた。「マイクロコンピュータとはどんなものなのか、そのイメージを伝えることさえできれば、使い道を考える人間は出てくるのではないか」
これまではすべての答えを自分で出さなければと思い込んでいたが、そう考えなおしてみると気持ちは楽になる。
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たとえばミシンにマイクロコンピュータを組み込むとして、それで何ができるかに自分が充分答えられないとしても、考えてみれば当然ではないか。現在のミシンにやらせたいと思ってもできないでいることを一番よく知っているのは、ユーザーでありミシン屋であろう。ならば彼らにマイクロコンピュータのイメージをつかんでもらえば、マーケットはひとりでに膨らんでいくのではないか――。それには一にも二にも、マイクロコンピュータなるものを、各分野の技術者に理解してもらい、それぞれの専門の機器のコントロールにどう生かすかを考えてもらう必要がある。
もちろん、マイクロコンピュータを理解してもらうことの必要性を感じたことは、渡辺の専売特許ではない。
九州日本電気熊本工場で、後藤富雄が草むしりの合間を縫っていじり回していたのも、埼玉大学理工学部の加藤明が卒業研究そっちのけでかじりついていたのも、教育を目的とした評価用キットである。すでに日電でも、自社で開発したマイクロコンピュータ用の評価用ボードを作っており、各地で技術者向けのセミナーを開いていた。
しかしこれも、本体自体はごく小さくとも、値段が高く場所ふさぎのテレタイプとつないで動かすものである。テレタイプが約55万円、電気屋に特注で作ってもらった電源が約30万円。一式では100万円と、かなりの値段になる。スペースの面からも費用の面からも、30〜40人入る教室にも1台しか持ち込めない。
そうすると結局、1人ひとりに触わってもらいイメージをつかんでもらいたかったはずのものが、講師が1人でいじり回し、解説に終始することになる。それでなくてもイメージのつかみにくいマイクロコンピュータである。聞き手の多くは、わけの分からない説明が続くうちに、舟をこぎはじめることになる。「先日の講習会で使っていたシステムを貸してくれないか」と頼まれても、何しろ100万円はかかる代物である。そうそう気軽に貸し出すわけにもいかない。1人ひとりに行き渡らせることのできる安くて手軽な教材、それを作るためには、とてもテレタイプなど使っていられないのだが――。
「あの、こんなものはどうですか」
後藤富雄が紙になぐり書きしたラフなスケッチを手に渡辺に声をかけてきた。
マイコン販売部に引っ張ろうと声をかけた優秀なスタッフの多くが「そんなゲテ物と心中するのだけは勘弁してくれ」と尻込みした中で、例外的に積極的に乗ってきた男である。
「何とか1人ひとりが持てる、いい教材ができないか」との渡辺の言葉を受けて、ラフなスケッチを提出してきた。プロの技術者としての経験を積んでもいい意味でのアマチュアリズムを失わない男で、こんなオモチャじみたものの設計となると、他の人間ならふくれかねないものを、後藤はかえって嬉々としてアイディアをひねってくる。
電卓用のLSIを担当しているスタッフに相談してみると、比較的簡単に発光ダイオードの簡単な出力装置が付けられそうだということで、入力装置も簡単なテンキーのようなものでいってはという。要するに、電卓型の入出力機器を備えた超簡易システムというわけだ。
渡辺は乗った。
マイコン販売部が正式にスタートする前、教材作りはすでに始まっていた。後藤の書いたラフなスケッチにもとづいて実験を行い、細部を詰めていく作業は、入社1年にもみたない新人が担当することになった。埼玉大学理工学部出身の加藤明――。
入社そうそう、マイクロコンピュータに興味を示すという異常な行動に出て周囲を驚かせ、テレタイプにつなぐ評価用システム作りを担当させられた男。渡辺和也は、マイコン販売部のスタッフにとこの男につばを付けておくのを忘れなかった。
1975(昭和50)年暮れ、クリスマスソングが師走の賑わいをあおる中で、加藤は実験の詰めに余念がなかった。
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