個人用コンピュータ元年
富田倫生
2009/8/31
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
1977(昭和52)年4月、サンフランシスコで開かれたウェスト・コースト・コンピュータ・フェアー(WCCF)会場の入り口には、長蛇の列ができていた。
この年の2月、アップルは初の本格的パーソナルコンピュータ、アップルIIを発表。続いて大手の電卓メーカー、コモドール社があとを追うようにPETを発表。この2機種が公開されるとあって、フェアーの前人気はいやがうえにも高まった。
そして、熱気あふれるこの列の中に、TK-80の開発者、後藤富雄もいた。
ようやく会場内に入っても、やはり大変な混雑。しかし、そんな人込みの中でも、アップル社の展示コーナーは、いやでも目についた。
コーナーを統一しているのは、あざやかな色のイメージである。
6色に塗り分けられた今ではおなじみとなったリンゴのマーク。ブース全体もカラフルに飾り付けられている。そして肝心のアップルII自体も、家庭用テレビに6色を使ったカラーの図形を表示し、大いに観客にアピールしていた。
さらにこのアップルIIは、ベーシックの翻訳プログラムをあらかじめ記憶装置に収めており、電源を入れるとすぐに、ベーシックの使える状態になるのだという。
しかし、それにもまして後藤をうならせたのは、コモドール社のPETである。
タイプライターを思わせるスタイルのアップルIIが、家庭用のテレビと接続して使う方式となっていたのに対し、PETには専用のブラウン管が組み込まれていた。さらにPETには、外部記憶装置としてカセットデッキまで組み込まれていた。もちろん、スイッチオンとともにベーシックの使用が可能。
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これなら、ブラウン管を見ながら高級言語でプログラムを作り、プログラムを走らせた結果を画面上に表示できる。さらに、作ったプログラムをカセットテープに記録しておき、必要に応じて読み出してきてまた使うなど、PET1台で、1つのまとまったコンピュータとして充分使うことができる。
しかも、これだけの完成度を備えた製品がわずか600ドル、当時の為替レートで換算して約17万円と、TK-80 2台分程度の金で手に入るという。
実際には、このとき後藤が度肝を抜かれたPETはまだプロトタイプの段階にあったもので、発売開始は遅れに遅れて、約1年ほどもたってからになる。さらにその時点では、価格も当初のアナウンスよりは、かなり高めになっている。
だが、後藤の心に焼き付けられた印象は、いかにも強烈だった。
渡辺和也が購読手続きをとり、マイコン販売部に送られてきていた『ドクター・ドブズ・ジャーナル』からの情報で、TK-80のようなシステムでベーシックを使おうという動きが盛んになっているのは知っていた。だが、それどころではない。ここアメリカでは、とんでもないことが起こりつつある。何か、とてつもなく大きな波が、うねりはじめている。
しかしのちに振り返って、この時点ではまだ、後藤には「この波は、海の向こうであるアメリカのもの」とする気持ちが残っていたという。TK-80が、そして自分自身が、この波に乗って運ばれはじめたことを、このとき後藤はまだ実感していない。
後藤富雄がPETの完成度に強烈な印象を受けた同じ会場で、青年と呼ぶにはいまだに稚気を面に残した21歳の西和彦は、目の前で起こりつつあることと日本の現状との落差に、はがゆさを禁じえないでいた。
「日本でTK-80が巻き起したのは、マイコンのブームでしかない。だが、ここアメリカでは、個人がコンピュータを使うという革命が起こりつつある。個人が自分の主体性にもとづいて、パーソナルコンピュータに向き合おうとしている」
後藤富雄がプロの技術者としての目でPETの完成度に着目していたとき、西和彦はもう少し観念的に、大げさにいえば哲学的に会場の熱気をつかまえようとしていた。
この年、先行するアップルIIとPETを追って、電子機器の販売チェーン、ラジオ・シャックで知られるタンディ社はTRS-80を発表。
本格的なパーソナルコンピュータ3機種の出そろった1977(昭和52)年は、のちにパーソナルコンピュータ元年と名付けられた。
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