二筋の道
富田倫生
2009/9/2
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
TK-80への不満は、そのほとんどは渡辺からすれば誤解にもとづくものだったとはいえ、ビット・インからの報告やマイコン雑誌の記事を通して確実に彼の耳に入ってきた。そうした不満を耳にするたび、渡辺は自らが引き裂かれていくような奇妙な焦りを感じはじめていた。
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市場に送り出したTK-80は渡辺たちの思惑を超えて一人歩きを始めた。ひょっとすると今度は、歩きだしたTK-80を自分たちが追ってみると面白いのかもしれない。TK-80用の電源を作り、いろいろな周辺機器とのインターフェイス回路を用意し、記憶容量も大きくする。確かにベーシックが使えるようになれば、TK人気はさらに高まることになろう。
そうした思いが強まってくるのを感じながらも、渡辺はそうした不満の声に応えて動きだすことができなかった。確かにTK-80は予想外に売れてはいた。だが社内には「いくらカタログがはけたってどうしようもない。本業のマイクロコンピュータを売れ」という空気が圧倒的である。とても「カタログを改良してもっと売れるようにする」といった動きはとれない。
彼を縛ったのは、周囲の空気だけではない。
自分自身、日本電気という一大組織のある部分を支えるこまとして自己を規定している。サラリーマンなら誰だってそうだろう。そのこまが、自分に与えられた役割を放り出して逸脱しはじめたら、組織はどうなる。
アメリカに出張させていた後藤富雄からの報告は、渡辺の内心の焦りをいっそう募らせた。
アメリカでは明らかにこれまでは存在していなかった「個人用コンピュータ」という新しい商品が成立しはじめている。TK-80を育てていけば、日本にもこのまったく新しいタイプの商品を誕生させうるかもしれない。しかし自らの任されたセクションは、新商品の開発部門ではない。さらに、個人用コンピュータが商品として成り立ちえたとしても、それは日電のまったく苦手とする、民需向け商品となる。
渡辺和也――。
昭和20年代後半、渡辺が山梨大学工学部電気工学科で学んだというエレクトロニクス。ところでそのエレクトロニクスとは、当時は具体的には何だったのか問うと、「我々のところは特殊ケースで」と笑ってから答えはじめた。
当時のエレクトロニクスとは、要するに通信。増幅、発振、変調、検波とこの4つが分かれば普段はどこに行っても通用したのだという。
ところが電気工学科の名物教授、角川正は、エレクトロニクス=通信とする常識をしきりにつぶしにかかった。エレクトロニクスは通信だけでなく工業一般、さらには日常生活にも幅広く応用すべきだと、盛んに学生たちに吹き込んだのである。事実、渡辺が在籍した当時、この学科では高周波加熱、現在の電子レンジの原理を応用し、木材を乾燥させたり米を乾燥させて味をよくしてみたりと、いかにも親しみやすく、逆にエレクトロニクスの常識からすれば風変わりな研究が行われていた。また渡辺自身の卒論のテーマも、超音波による加工と、本筋からはかなり離れている。
そうしたバックグラウンドを持ち、さらには中途入社という経験を持つ渡辺は、堅い一方という日電マンのイメージからはかなりはずれたところがある。
アメリカで生まれつつある個人用コンピュータ。普段なら興味津々で飛びついてくるはずの話題を、苦虫を噛みつぶしたような表情で聞き流している渡辺の姿に、勢い込んで報告した後藤富雄は肩すかしをくったようなもの足りなさを感じていた。
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