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パソコン創世記


失われたユートピアを求めて

富田倫生
2009/10/2

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など


  「さて、特講を受けました。特講の内容については、何も申し上げないことになっています。今日申し上げるのは、私が特講後どう変ったかということなのです。私が受講したのは5月1日の1週間で、ちょうど季節は良いし、私はふわふわーっといい気持になったのです。私が思ったことは2つありました。ひとつは、どんなひととでも仲良くなれるんだなーということ。54人のはじめて会った老若男女の受講生と世話係に、私はかつてない親愛の情をおぼえた、これがひとつです。もうひとつは、どんな問題でも――私がそのときたくさんのクエッション・マークをかかえていたことはすでに話しましたが、そのどの問題も自分だけで考えるのでなくて、あるいは自分が考えるのでなくて、みんなの前に『放す』、しゃべるという意味の『話す』でなく、手放すという意味の『放す』ですが、放すことによって解決されるという啓示のようなものです。自分だけでかかえこみ、答えをだそうとするのでなく、みんなのまえに公開し、問いかけ、どんな答えでも聞ける、まあ言葉にしてしまえばこういうことになるのでしょうか――」

 特講を体験した月の末、新島は「ひろい意味での解放運動に携わっている」女性の芸術家、Mから、突然の電話を受けた。彼女は、歴史学者としての新島に「朝鮮戦争は北が起こしたのか、南が起こしたのか」とたずねかけてきた。Mは切実に、その答えを欲していた。

 かつての日本の植民地、満州で少女時代を過ごしたMには、朝鮮人の同級生も多かった。日本の敗戦後も彼女たちとの文通を続けていたMは、新島に電話をかけるしばらく前に韓国を訪れ、旧友たちとの再会を喜びあった。話は切れ間なく続いていったが、話題が朝鮮戦争のことになると、会話が微妙にくいちがうのに気づいた。

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 Mは運動の仲間がすべてそうであったように朝鮮戦争はアメリカ帝国主義と李承晩政権が起こしたものと信じて疑わなかった。そのMの発言に、韓国の古い友は愕然となった。彼女たちにとって、朝鮮戦争とは北の侵略によって起こったものに他ならなかった。帰国したMは韓国で見聞きしたことをある雑誌に書き、その中で「朝鮮戦争はいったいだれがおこしたのか」と自らの揺らぎをそのままに吐露した。

 この文章に、今度は日本の古い友人たちが愕然となり、Mは彼らの批判を浴びた。

 新島の中国は、Mの朝鮮だった。

 新島はMに、自らの中国を「放」した。

 「私も、Mさんも、10年20年と日本帝国主義のアジア侵略、アジア植民地支配という負い目を背負おうとしてきて、その罪悪感は左翼イデオロギーで倍化されて、おもりの反対側に、それだけ大きなユートピアを、中華人民共和国なり、朝鮮民主主義人民共和国なりにもっていたのですね。Mさんも、私も、そのユートピアが、じつはまったく幻想であることを、その晩に確認したんです。かつては、そのユートピアを信じることが、罪のつぐないだと思っていた、そしてそれを人にも強制していた、そのまちがいに気付いたのです。――」

 自分1人では解けない中国を「放」していく作業の中で、新島の中国人の友人は彼を中国から「解」いた。中国がユートピアであるか否かを論じたり、中国にどうあってほしいと働きかけるのではなく、日本をどうするのか、自己をどうするのかという道を進むことを示唆したのである。

 ユートピアを外に求めるのではなく、内に求める。では、内なるユートピアを求めるとして、そのために何をすればよいか。

 新島にその問いが突きつけられた。

 1972(昭和47)年1月、新島が特講を体験してから8カ月目、娘が彼にヒントを与えた。

 中学進学を前にした新島の長女は、もう勉強を押しつける学校で学ぶことはいやだと彼に訴え、イギリスにあるサマーヒルスクールという名の寄宿学校に行かせてくれるよう願い出たのである。そこでは子供を規則や制度に合わせるのではなく、1人ひとりの子供に学校が合わせていくのだという。子供が望まないなら、授業に出る必要はない。

 長女は、この学校の創立者の著書を数冊新島に手渡した。

 その年の5月、長女は1人イギリスへと旅立った。娘の出発の直後、新島は内なるユートピアを求めるための課題をつかみとった。長女が入学を希望したサマーヒルスクールの日本版を作る。子供の創造性を培う自由な学びの場を日本の農村に作り、娘も息子もそこに入れる。最初は生徒、2、3人からスタートし、いずれは人数をふやしていこう。

 新島はその学びの場を、幸福学園と名付けた。

 そして、幸福学園創立のため、山岸会と結ぶことを考えた。

 各地にある山岸会の拠点で共同生活に入ろうとする人は、自分の体も含めた全財産をヤマギシに「放」し、財布1つの一体生活を送る。事前のやり取りで具体的に山岸会と結ぶ道を模索していた新島は共同作業実現の可能性をつかみ、自らを山岸会に「放」し、ヤマギシの中での幸福学園設立を決意したのである。

 1972(昭和47)年12月27日、三重県阿山郡伊賀町の春日山での一体生活に、新島は入った。当面は、全国で幸福学園設立のための呼びかけを行うことになった。

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