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パソコン創世記


新島淳良が去る

富田倫生
2009/10/15

「鶏が鶏として生きる」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 タケシは考えた。

 新島淳良はなぜ山岸会を離れたのか。

 幸福学園の設立を呼びかける新島の講演や彼の著作は、タケシの山岸会への傾斜を強めた。一時期、新島は山岸会のイデオローグともいった機能を果たしており、彼の言葉に引かれて特講を体験し参画した若者も多かったのである。その新島は、タケシの参画する4カ月前、実顕地を去っていた。

 豊里に入ってはじめて、タケシは新島が山岸会を去っていったことを知った。それはなぜなのか。彼の心に、どのような転換があったのか。

 タケシは考えた。

 山岸会の内部でなぜ派閥の対立があるのか。

 かつてタケシが特講に参加し、1度目の研鑽学校を体験したころ、山岸会に参画するには2つの道があった。1つは中央調正機関に申し込む方法で、ここには春日山と北海道試験場が属していた。そしてもう1つはヤマギシズム生活実顕地本庁に申し込む方法で、その事務所は豊里に置かれていた。この2つの方法に制度上の差がつけられているわけではなかった。だが、意識の上では歴然と差があった。

 中央調正機関が上または頭、実顕地が下または体と見られていたのである。中央調正機関に参画した人は、あらゆるものを投げ出す覚悟でZ革命実現のための実験を繰り返していく。そしてその実験によって得られた結論に従い、実顕地ではヤマギシズムによる幸福な生活を顕わしていく。

 タケシが参画したとき、この2つの方法は一本化されていた。一段下に見られていた豊里の実顕地派が主導権を握り、春日山と北海道試験場も実顕地に改められたのである。だが、春日と豊里の対立の根は残っていた。

 なぜ、理想社会を今ここから実現していくはずの実顕地内に、派閥の対立があるのか。タケシは、いくつかの仮説を立てていた。これは、春日の表わす父性的なるものと豊里の表わす母性的なるものの対立なのではないか。理想社会が父性原理によって貫かれるか母性原理によって貫かれるかが、今、争われているのではないか。あるいは、理想社会に一歩近づいた実顕地内で、善と悪の代理戦争が行われているのではないか。社会が次のステージに移ろうとするとき不可避に起こる闘争が、実顕地外の社会よりも一歩先を行くこの場所で起こりつつあるのではないか。

 タケシは考えた。

 実顕地内のさまざまな物事に目がとまり、それがきっかけとなって神経回路をめぐるパルスはますます加速された。

 自らも長時間働き続けながら、「楽だ楽だ」と言いながら働いている人たちが人間に見えなくなってきた。「彼らはロボットなのではないか」豊里の生活に根を下ろしたように順応して見えるヨーコも、タケシにはその一員に思えはじめた。

 参画している人が、実顕地外の人にとる態度にも、タケシは引っかかった。実顕地のよさや楽しさを強調するだけで、よいのだろうか。素晴らしさを訴え、参画を呼びかけるのなら、もっともっと理想社会の現実化を急ぎ、誰にとっても楽しい社会を用意しておくべきだろう。だが、今の実顕地に理想社会と呼ばれる資格があるだろうか。少なくとも自分がここでの生活を面白いと思わなければ、ここは自分にとっての理想ではないはずである。それは、自分に問題があるのか。それとも、社会に問題があるのか。

 タケシは考えていた。

 ヨーコと共通の友人の結婚式に出席するため、東京への旅行を総務に申し出た。だが、ヨーコに関しては認められたが、タケシに関しては認められない。それはなぜなのか。

 新島淳良と会って話そうと、東京行きを申し出た。だが認められない。それはなぜなのか。

 ヨーコが山岸会と出会うきっかけを作った教師と、会って話したくなった。山口行きを申し出て認められた。

 1人で山口に向かった。

 駅から外に出たとき、ふいにタケシを奇妙な感覚が襲つた。

 方向感覚の座標軸が一瞬に消失し、どこに次の一歩を出してよいのか分からない。

 6月の夏を予感させる鮮烈な太陽にあぶられ、熱く膨れ上がった大気の底で、タケシは立ちつくしていた。しばらくは、熱い空気が肺に染み込むにまかせたあと、タケシは脇を通り過ぎる人にようやくたずねた。

 「僕は、どっちへ行ったらいいんでしょうか」

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