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パソコン創世記
第2部 序章 パーソナルコンピュータの誕生 1972〜彼方のパーソナル・ダイナミック・メディア〜

アラン・ケイのダイナブック

富田倫生
2009/11/4

「日本電気の動き、タケシの足跡」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 胸の底にふっとぬくもりが兆すのを感じて、後藤富雄は目を閉じた。

 小さなろうそくの炎を両手をかざして守るように、開いたままの雑誌にてのひらをあててみた。読み終えたばかりの「パーソナル・ダイナミック・メディア」と題した論文を包んでいる柔らかな気配が、両手を通してさらさらさらさらと胸に流れ込んでくる。

 後藤はそのまま、あたたかな気配がゆっくりと内にみちてくる心地よさに身を委ねていた。

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 1977(昭和52)年、初夏。

 勤務先の日本電気玉川事業場にあった中央研究室の図書館でコンピュータの雑誌をめくっているうちに、後藤の目が奇妙なタイトルの論文に止まった。流行のメディア論でも扱っているような表題は、アメリカ電気電子通信学(IEEE)発行の『コンピュータ』という専門誌には似合っていないように思えた。

 タイトルの脇に添えられている挿し絵も、かなり変わっていた。

 ベレー帽をかぶった絵かきが画面に向かって親指を立て、構図をとろうとしている。計算機と芸術家という取り合わせが、後藤には少しいぶかしく思えた。

 だが何気なく読みはじめた論文の数行に、好奇心の針が鋭く振れた。

 コピーを自宅に持ち帰り、英和辞典片手に一気に読み終えたとき、後藤はこの表題にもそしてこの挿し絵にも、素直にうなずくことができた。

 ゼロックス社のパロアルト研究所に籍を置くアラン・ケイとアデル・ゴールドバーグという著者は、人が何かを生み出すための新しい道具を作ろうと考えていた。

 コンピュータはまず、計算機として生まれ落ちた。

 だがケイとゴールドバーグは、これまで注目されてきた計算の力ではなく、巧みな物まねというもう1つの側面に光を当てて、コンピュータをとらえなおそうとした。

 ものがどう働き、どう動くのか、その振る舞いの仕組みを分析できれば、コンピュータはプログラムでルールをなぞって何物にも化けることができる。さらに動き方を正確に定義できれば、これまでには存在しなかった何かにすら、コンピュータは変身しうる。

 コンピュータの本質をあらためて〈万能の物まね機械〉と定義しなおせば、電子計算機というこれまでのあり方は、単に計算機をなぞってみせた物まねの1つのパターンだったとも考えられる。

 ではコンピュータを万能物まね機械ととらえなおしたうえで、何をまねようとするのか。

 著者たちは、その目標に〈メディア〉を据えていた。

 人間はこれまで、考えをまとめて人に伝えるために、さまざまなメディアを使ってきた。文字や絵筆、新聞やテレビなど、さまざまな媒体が人の思いを伝えた。これらすべての機能を取り込んだうえで、これまでのものを超えてしまう新しいメディアを、彼らはコンピュータを使って作りたいと考えた。

 パロアルト研究所の学習研究グループのメンバーであるゴールドバーグと、グループのリーダーで主任科学者の肩書きを持つケイは、目標とするメディアを超えたメディアを「パーソナル・ダイナミック・メディア」と名付けていた。

 いったん取り込まれた情報は書き直しや修正ができないという点では、これまでのメディアは焼き上げられて床の間に飾られた置物のような静的な存在だった。だがコンピュータで作る新しいメディアなら、取り込んでおいた情報の加工や修正の要求に柔軟に応じることができる。さらに人が働きかければ応えるような振る舞いも、このメディアはこなしうる。

 ケイとゴールドバーグは〈ダイナミック〉という表現に、打てば響くという新しいメディアの特長を込めていた。

 このダイナミックなメディアを、彼らは誰もが所有できるものに仕上げたいと考えていた。

 論文で彼らが示そうとしたのは、こうした考え方の枠組みだけではなかった。

 彼らはすでにパロアルト研究所で、具体的な開発目標を設定し、コンピュータを使ってパーソナル・ダイナミック・メディアを作りはじめていた。

 人が創造的に考えるための目指すべき道具を定義して、彼らはダイナブックと名付けた。
 
  想定によれば彼らのダイナブックとは、形も大きさも厚めのノートほどの、持ち運びのできる道具だった。

 この小さな道具には、本の何千頁に相当する資料や、絵、アニメーション、音など、あらゆる形態の情報を収めておくことができる。記録しておいた情報は簡単に呼び出すことができ、必要に応じて自由に手を加えられる。

 だが、もっぱら数値と文字だけを相手にしてきたコンピュータに、絵や音や動画を扱わせようとすれば、従来とは桁違いの処理能力と記憶容量が必要になった。これまでコンピュータは目覚ましい技術革新を繰り返してきたが、ダイナブックに求められるパワーを持ち運び可能なサイズに収められる日は、まだまだはるかに遠かった。

 そこでケイらは、ハードウエアに関しては暫定的に大型のものですませ、このマシンを試験台として、ソフトウエアの側からダイナブックに向かって進もうと考えた。

 ケイが性能の要求を示して研究所のハードウエアのエンジニアが作った暫定版ダイナブックは、アルトと名付けられた。

 一見すればアルトは、キャビネット大の本体と縦長のブラウン管式ディスプレイ、キーボードなどの入力装置からなるミニコンピュータだった。だが細部には、ユニークな仕掛けがこらされていた。

 画面と向かい合いながらコンピュータを使う形は、これまでも一部の先進的なマシンで試みられていた。だがアルトのディスプレイには、ケイの注文によって、ビットマップと呼ばれるめずらしい方式が採用されていた。

 1つひとつ描いたり消したり色をつけたりと、自由に操作できる点の集まりで画面を表示するこの方式を用いれば、ディスプレイを白紙に見立てて思うままに点描でイメージを描き出すことができた。決まりきった形の文字だけを表示するのに比べれば、ビットマップでははるかに大きな処理速度とメモリーが必要となった。だがコンピュータに巧みな物まねを演じさせるうえで、ビットマップはきわめて強力な武器であり、絵や動画を扱わせようとすればこの方式の採用は欠かせなかった。

 アルトへの入力のために用意されたマウスと5本指のキーボードは、先駆者からケイが受け継いだ財産だった。

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