■ 原爆による自滅から人類を救う道具の夢 |
紙に勝るディスプレイ
富田倫生
2009/11/17
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
だがこうした仕掛けが功を奏してダイナブックのユーザーの幅が広がれば広がるほど、システムへの要求もまた多様なものになることには疑いの余地がなかった。子供には子供の、学生には学生の、大人には大人の要求がある。音楽家、絵かき、ビジネスマン、医師、弁護士、教育者と、それぞれの分野の人たちに固有の希望があるだろう。だが個々の具体的な要求を網羅的に数え上げて対応しようとすれば、ダイナブックは機能だけは山のように抱えていても、結局誰の求めにもぴったり沿うことのないがらくたの寄せ集めになってしまうだろうとケイは考えた。必要なのは、ユーザー自身がどんな形でも作れるような柔軟性をダイナブックに与えることだと考えていたケイは、スモールトークにその役割を期待した★。
★「パーソナル・ダイナミック・メディア」をはじめとする一連のアラン・ケイの論文は、現在『アラン・ケイ』(鶴岡雄二訳、浜野保樹監修、アスキー、1992年)によって日本語で読むことができる。英語版の原書が存在しない中で、関係者の悪戦苦闘の末にオリジナル版の同書が生まれるにいたった経緯は、浜野保樹が目配りの利いたアラン・ケイの評伝を寄せた同書の訳者後書きに詳しい。 同書をあらためて確認すると、「パーソナル・ダイナミック・メディア」にはスモールトークを用いて子供たちが書いたプログラムがいくつも紹介されている。12歳の少女はスケッチ用の、15歳の少年は回路設計用のシステムをスモールトークを使って1から書いた。さらに同論文には、スモールトークによる「音楽家がプログラムした譜面作成システム」が紹介されている。 日本で開かれた「パーソナルコンピュータの未来像」におけるケイの講演によれば、このシステムはのちにリサとマッキントッシュのファインダーを開発したブルース・ホーンが、15歳のときにパロアルト研究所で書いたものであるという。 この講演でケイが強調していたポイントの1つが、自分に必要な道具はユーザー自身が書くべきだという自立主義だった。「人はツールのユーザーであるだけでなく、ツールの作り手でもある」という理念は、パロアルト研究所から外部の世界に伝わらなかったと指摘するケイは、ソフトウエア産業の隆盛を見た今でもなお、「カリフォルニア(アップルコンピュータ、筆者注)やワシントン州(マイクロソフト、筆者注)に住んでいるプログラマーがあなた方の個別の要求を先回りしてくみ取っておくことなどできるはずはなく、エンドユーザーが自分自身のツールを作れるようにしておかなければならない」と強調する。 ケイのこの指摘を聞いたあとでも、筆者はマイクロソフトやロータスの株をすぐさま売っぱらおうとは思わない。ただ「日本はソフトウエア産業に弱点を持っており、こうした面でも競争力を養っていかなければならない」といった能書きにくっ付いてきそうな官製産業政策のピントのずれ具合には、こうしたエピソードやのちに触れるタイニーベーシックの手作り運動の経緯を振り返るたびに愕然とさせられる。「日本のソフトウエア産業を強化する」といったことを本当に考えたいのなら、遠回りかもしれないが唯一の有効な手段は、直接の成果を求めずにハッカーを100年ほど放し飼いにしておくことだろう。 |
アルトでケイが目指した大きな目標の1つが、ディスプレイを紙に劣らないものにするという点だった。これまで使われてきたディスプレイも、まったく跡を残さずに編集できる点では紙に勝っていた。だが文字の鮮明さや読みやすさ、いろいろな書体、いろいろな大きさの活字を使ってめりはりのきいた文書を作るといった点では、紙に遠く及ばなかった。こうした欠点を補ううえでは、高解像度のビットマップディスプレイの果たす役割は大きかった。この方式なら、いろいろな書体のフォントを用意して、表現力の点でも紙に近づくことができた。
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ビットマップの特長は、機能や情報のまとまりを示す絵文字、アイコンにも生かされた。アルト用に書かれたお絵かきのソフトウエアでは、ペンの格好をしたアイコンをマウスで操作することで、画面上に線を描くことができた。ブラシのアイコンをインク壷に浸してから動かすと、スピードに応じて微妙な筆合いが表現できた。
ダイナブックは少なくともソフトウエアに関する限り、すでに生きていた。
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