■ ビル・ゲイツ アルテアにベーシックを書く |
13歳のビル・ゲイツ
富田倫生
2009/12/4
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
生徒の母親たちの有志はがらくた市を開き、この年の利用料にあてようと3000ドルを集めた。
1955年10月28日に生まれたゲイツは当時、13歳の8年生、年上のアレンは10年生となっていた。
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数学の授業でコンピュータ室を覗いたゲイツは、それまで何の予備知識も持っていなかったが、教師の指示に従って操作したテレタイプに電話線の向こうのマシンが反応を返してくるのを見て、とたんに興味を引き付けられた。
以来、ゲイツはコンピュータ室に入りびたりとなり、マニュアルを読みふけった。
だが彼には端末を独占することはできなかった。上級生の何人かも、同時にコンピュータの虜となっていた。
そんな中に、ポール・アレンがいた。
テレタイプに取りついた生まれたてのコンピュータマニアの中でも、2人の熱中度は群を抜いていた。ポール・アレンは機械語に近くて取っつきにくいものの、効率のよいプログラムの書けるアセンブリー言語★に興味を持った。一方、ビル・ゲイツは、もともとは学生にプログラミングを教えるための言語として書かれたベーシックを使って、3目並べを手始めにゲームのプログラムを書いてはコンピュータと遊びはじめた。
★プログラムを組む際に使われるコンピュータ言語の1つ。マシンのCPUがそのまま解釈しうる機械語の字句を、人間に理解しやすいように記号に置き換えてある。ただし、その他の言語と比較すると、日常的に人間が使っている言葉とはもっともかけ離れており、学ぼうとする者には敷居が高い。アセンブリー言語で書かれたプログラムを、マシンに実行してもらうために機械語に翻訳するためのソフトウエアをアセンブラーと呼ぶ。 |
両親たちの集めた3000ドルは数週間で使い果たされ、ゼネラルエレクトリックから送られてくる高額の請求書を前にして、学校側は2人の両親に料金の一部負担を求めた。請求書の額をはね上がらせる一方で、2人は互いに一目置く仲となり、次第に友情を育てていった。
この年の秋、コンピュータの使用時間を切り売りするビジネスを目指してシアトルに設立されたCCC社はポール・アレンとビル・ゲイツのコンピュータ熱をいっそうあおり、彼らに技を磨く絶好の機会を提供することになった。
レイクサイドスクールがタイムシェアリングのサービスを買っていることを聞きつけたCCCは、この学校への売り込みに成功した。
CCCのPDP-10には面白そうなプログラムがたくさん詰まっていることを発見した彼らは、システム中をしらみつぶしにあたり、使用権のないプログラムに手を出した。通常の操作では触れることのできないデータのところまで忍び込み、ときにはシステムを使用不能の状態に陥らせた。
バグと呼ばれるプログラムの誤りや、予想していない操作、誤った使い方などによって、コンピュータはしばしばクラッシュと呼ばれる使用不能状態に追い込まれる。
PDP-10のシステムには、こうした脇の甘さやバグが数多く残されていた。
いったんコンピュータがクラッシュしてしまえば、料金を払ってまともな使い方をしているユーザーも、システムを利用できなくなった。
少年たちの熱中ぶりに手を焼いたCCCは、もともと弱みを残しているPDP-10のシステムを徹底的に洗いなおすために、逆に彼らを利用することを考えた。CCCはPDP-10の購入に際して、システムソフトウエアのバグを継続的に発見しているあいだは代金の支払いを猶予するという契約をDECと結んでいた。夕方を過ぎてからと週末、少年たちはCCCで好きなだけコンピュータを使う代わり、どんな操作を行ったときにシステムがクラッシュするか、詳細に記録することを求められた。少年たちは好きなだけコンピュータを使ってよいという夢のようなチャンスをとらえて、PDP-10にのめりこんだ。彼らは若さの特権を十二分に発揮して貪欲にシステムに関する知識をたくわえ、目覚ましい勢いで短期間にプログラミングの力を養った。
ゲイツとアレンはその後、企業の給与計算ソフトウエアを書き、学校からはクラスの編成プログラムを頼まれて、コンピュータの使用時間とアルバイト料をせしめた。
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